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6-1.他人との距離を撮る

『動画で考える』6.他人を撮る

身近な家族や友人を撮影しよう。

自分以外の他人を動画撮影すること。それはその相手との距離を測ることだ。距離が近ければ動画撮影は簡単だが、遠ければ遠いほど困難になる。

自分の家族であればあらかじめ断ることなく動画撮影しても、笑って許してくれるだろう。ごく身近な友人や学校の仲間たちを撮影する場合にも、軽いノリで、何か友達のうわさ話でもしながらいつの間にか動画のスイッチをオンにすれば、動画を撮影している事に気付きさえしないか、例え気付いたとしても、何を撮影しているのか、スマホの機種が何なのか、そんなことに気を止めるかも知れないが、またすぐに自分たちの話題に戻っていくだろう。

あるいは運動会や海外旅行の際に動画を撮影すること。ここで家族や友人を撮影することは、あらかじめ許可されている、と言って良い。ビデオカメラを提供しているメーカーは決まったように、CMやカタログでそういった使い方を推奨しているのだから。家族や友人はあなたを暗黙のうちに専属カメラマンとして指名してくれているだろうし、あとは当たり前のように編集して共有サイトにアップしてくれるものと期待している。

このような場合では、動画撮影することをわざわざ断らなくても許される前提がある。ではその前提がない場合ではどうだろう?

あなたが動画撮影する理由を、初対面の相手に説明し説得してみよう。

街を歩いていて、たまたま出会ったひとにカメラを向けて撮影する。あるいは、スーパーで買い物をしているひとにカメラを向けて撮影する。もっと身近な人物でも、例えば、教室に一人で残って自習している、友人ではないけれども以前から気になっていた同級生にカメラを向けたらどうか?

それぞれのケースでOKかNGか、一つ一つ検証していくと、その条件には様々な要素があり、複雑に絡み合っていることがわかってくる。近くにいる人物だからといって動画を撮る場合の距離も近いかというとそうではないし、普段まったく接していない、遠く離れた場所にいる人物でも、動画撮影の距離は近い場合もある。

街を歩いてたまたま出会ったひとを撮影すれば、避けられて逃げられるか怒鳴られるだろうし、スーパーの店内でいきなり撮影を始めたら、店員に呼び止められて事務所で説教されるか、場合によっては警察に突き出されるだろう。身近な人物だからといって、一度も話もしたことのない人物に向けて撮影を始めたら、やはり相当な不快感を示されるだろう。

相手の立場や、タイミング、撮影する場所など一つ一つ状況を解きほぐしながら、それに対応した承諾を得なければいけない。その結果次第で、必ずしもOKかNGかの二択ではなく、場所によってはOK、時間によってはNG、その人物でなく別の人物でも良いのでは?など、選択肢も細分化されてくる。

街で出会った見知らぬ人を撮影するまでの過程を記録してみよう。

全くの初対面の人物に動画撮影の許可をもらうのは、複雑に絡まった線を解きほぐしていくことに似ている。まず、あなたが誰であるか紹介し、しかもそれを信用してもらう必要がある。あなたの服装や髪型、立ち振る舞いや話し方など、相手はあなたのいろいろな状態を観察して、信頼出来るかどうかを判断しようとするだろう。残念ながら、相手と向かい合ってその場にいるあなた自身だけで、初対面の相手に信頼してもらうのは非常に困難だろう。

新聞や雑誌などの取材であれば、腕章をしていたり、求められれば名刺を出したりすることで、インタビューに応じてもらえる可能性は高いだろう。それがない場合は、運転免許証か保険証かそのようなものがあれば、あなたが誰かと言うことは信用してもらえるかも知れない。あなたが学校や会社のような組織の一員であることが証明できれば、とりあえずは第一段階はクリアだ。

その上で、あなたがなぜ相手を動画撮影したいのかの説明が必要だ。映画の撮影でもなく、テレビ番組のインタビューでもなく、ただあなたが個人的に動画撮影しようとする場合、それを納得がいくように説明することは絶望的に困難だ。企画書とかシナリオとか、まずはあなたがどんな動画を撮影したいのか、その動画をどうしたいのか、なぜ目の前にいる相手に依頼することになったのか、そのようなことを説明しなければならない。

その他にもあなたが相手に声をかけた場所によっては、その場所の管理者に許可を取る必要もあるかも知れないし、周囲にいる人びとや店頭に並んでいる商品や看板、聞こえてくる音楽や人びとの会話のようなものまで、あらゆる事を考慮しなければならない。

あなたの前にいる見知らぬ誰かは、無数に張り巡らされた線のある交叉点の一つに立っている。またあなた自身も別の交叉点の上に立っている。その二つの点はいままで一度も交わったことのない点で、いまはじめてお互いに相手の存在に気が付いたが、近づいてはいるがまったく接点がない。そこで自分の交叉点についてあらゆる線を辿って説明し、相手の交叉点との接点を見つけなければならない。

それは、相手を理解すること、あなた自身について知ってもらうこと、つまりあなたが誰かとコミュニケーションをとるときのやり方と同じだ。「他人」を動画撮影すること、とはその過程を動画で記録することに他ならない。

(イラスト/鶴崎いづみ)

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