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12-2.編集する

『動画で考える』12.編集する

気の向くままに撮影された動画の流れをカットするポイントを探してみよう。

映画やTVドラマの撮影や編集は、あらかじめ作成されたシナリオや絵コンテといった設計図を手がかりに行われる。綿密に作り込まれたシナリオのト書き(演技の指示)や絵コンテの表現は、それ自体が動画の完成イメージを作り上げていて、そのような場合は、撮影や編集の作業はそのイメージをただなぞって、忠実に再現しているだけのように思える。

そんな”いわゆる”「撮影」や「編集」の常識に一度でもとらわれてしまうと、無計画に撮影したり、それを編集しろといわれても、どうしたら良いのか判断に困って、手が止まってしまうに違いない。

気の向くまま、その場の思いつきで撮影した動画には、設計図がないので編集するにしても手がかりがない。細切れに撮影した動画の断片がたくさんあっても、それをつなぐストーリーはないから、並べる順番も、必要か不要かの判断基準もない。

ワンショットが長い動画の場合も、どこで切って、どこを使ったら良いのかがわからない。もしそこに写っている人物が演技したり話をしているのなら、そこから必要な部分だけ切り出して使えば良いかも知れない。しかし、ただ風景を延々と撮影したり、ましてや動きのない「もの」を撮影した場合に、いったい何を頼りに、切ったり選んだりすれば良いのだろう。

カットされて断片化した動画の中から、残すもの捨てるものを選んでみよう。

あなたが何となく撮影した動画を、何度も繰り返し見返してみよう。普段はせいぜい一回さらっと流し見するぐらいだろうけど、今回は退屈なのを我慢して、うんざりするぐらい繰り返し見続けよう。しかも、何か他のことをしながらじゃなくて、画面をしっかり凝視しなければならない。画面の全体をぼんやり見たり、真ん中や周辺を集中的に見たり、移動するもの目で追っても良いだろう。あるいは聞こえてくる音に注意を方向けて、目を閉じることがあっても良いかもしれない。

そして、あなたがその動画を撮影した時のことを思い出してみよう。なぜその場所で撮影しようと思ったのか?なぜその瞬間に撮影をスタートしたのか?そしてストップしたのか?その理由が言葉にならなくても良い。それでも、あなたは他ではないその場所で撮影したのだし、あなたはそのタイミングを選んで撮影したのだ。

何度か繰り返して画面を見続けるうちに、ほんのかすかに気になる箇所が出てくるはずだ。何か明確な理由があるわけではないけれど、気になってそれが映し出されるとことを少しだけ期待して、それを確認して満足するような、そんな動画のかすかな部分。それは、木漏れ日が地面に映し出す光線と影の模様だったり、ただ黙ってこちらを見ている人物のちょっとした表情の変化だったり、もしかしたら遠くの方から聞こえてくる正体不明のうなり声かも知れない。

そのような箇所が見つかったら、それが見える間は、聞こえる間は、その変化が確認出来る間は、その動画を残して、その前後をカットしよう。そうやって、気になる箇所は残して、その前後はカットして、そんなことを繰り返すと、気になる箇所だけが断片として残るはずだ。

断片を並べて、ランダムに組み替えながら、そこから見えてくるものを発見しよう。

そんな断片を、ひとつながりにならべて、再び全体を通して見てみよう。その段階で、全体の時間はかなり短くなっているだろうけど、それはまだ、撮影した時の時間の流れに沿って並んでいるだろうし、同じ場所は同じ場所で、同じ出来事は同じ出来事で、同じ人は同じ人で、まとまって並べられているに違いない。

それは、いってみれば現実のルールの中で撮影した動画をただ切り刻んだだけ、の状態だ。

その状態の動画をさらに見続けると、今度は、これとこれは似ているな、とか、これはこれよりも前に置きたい、これはもっと短くしたい、といった気付きが出てくる。その場合も、なにか明確な、人に説明できる理由がなくても良く、何となくそんな気がすると言った程度で良い。自分が思った通りに並べ替えたり、長さを調整してみよう。

もしかしたら、一度カットした動画が使いたくなるかも知れないが、その場合は再利用すれば良いし、同じ箇所を繰り返し使いたければそうすれば良い。

そんなことを繰り返して、並び替えて、見て、並び替えて、長さを調整して、再び見て・・・自分が納得いくまで作業を続ける。そのうちに、まあなんとかこれで良いか、という気になったら、作業を終わりにしよう。

そこで出来上がったものをもう一度見て、はじめて、ああ自分が気になっていたことはこういうことだったんだ、と気が付くかも知れない。それは動画を撮影する前には自分が考えてもみなかった事かも知れないし、動画を撮影している最中にも自分では意識していなかったことかも知れない。撮影して編集して、はじめて自分自身でも気が付くことがあるのだ。

もし、自分が見ても何も発見することがなかった場合には、それを他の誰かに見せてみよう。自分では気が付かなかった何かを代わりに発見してくれるかも知れないし、自分があれこれ考えていたこととは、まったく違う感想を伝えてくれる場合もあるだろう。

最初からわかっていることを動画撮影を通して再確認するのではない。動画撮影を通してはじめて、発見し、理解し、それを記録するのだ。

そこで自分自身で発見したこと、他人から教えてもらったことを手がかりに、次の撮影を開始しよう。その時には、その手がかりは明確になっていなくても良い。かすかな手がかりを見失わないように、それをたどって、次へと前進しよう。

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