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5-1.あいだにあるもの

『動画で考える』5.自分と世界の境目

「もの」と「もの」、「ひと」と「ひと」、「建物」と「建物」の「あいだ」。形のある目に見えるものではなく、その「あいだ」の、何も無い空間を撮影してみよう。「あいだ」とは中間地帯であり、二つの実体のどちらにも属さない場所、それぞれに固有のルールがあるとすれば、そのいずれにも縛られない場所だ。

「もの」と「もの」の「あいだ」を撮影してみる。飲み物の入ったビンが2本机の上に、少し距離を空けて並べられている。2本のビンの「あいだ」は、2本のビンがあって初めてそこに出現した空間で、単独で「あいだ」として存在することは出来ない。

しかしそれが、何も無い空間であることで、あなたは2本のビンの「あいだ」を通して、その向こうの景色をのぞき見る事が出来るし、手紙の束を挟んで立てかけることで、その空間を埋めることも出来る。「もの」と「もの」の「あいだ」は、何も無い空間であることで、そこに行為や機能を誘発する。

「ひと」と「ひと」の距離を撮影してみよう。

「ひと」と「ひと」の「あいだ」を撮影してみる。少し間を空けて立っている2人の人物。2人の「あいだ」の距離は、あるときには「ソーシャル・ディスタンス」と呼ばれて、社会的に適切と定められた長さを保っているだろう。その長さは、公共空間で明示的に定められている場合もあれば、例えばエレベーターのような密室空間で互いに距離を取りあう様な場合には、暗黙のうちにケースバイケースで適切な長さが決定される。

また「ひと」と「ひと」の親密さの度合いによっても、その距離は接近したり、大きく離れたりするだろう。男女の関係を距離で表現するのは映画の常套手段だ。

「ひと」と「ひと」の「あいだ」を撮影することで、そこには社会的な制度や、心理的な関係性といった、目に見えないものを写すことができる。あなたがある人物を撮影するときに、ファッション雑誌のグラビアのようにその人物をただ表面的に撮影するだけでなく、もっとその内面に入り込んで撮影したいと思うかも知れない。その場合には、その人物をフレームの中心から外して、「あいだ」の空間を撮影してみよう。「あいだ」とは、その「ひと」と、その「ひと」を取り巻くさまざまなものごととの「関係性」であり、一人の人物の内面もまた、それらの「関係性」が複雑に折り重なることで成り立っているのだから。

「建物」と「建物」の境界は、法律で厳密に定められいても、土地の所有者同士の諍いが絶えない。しかしその「あいだ」でも、人間社会のルールを易々と乗り越えて植物は繁殖するし、野良猫は軽々とその境界上を行き来する。「建物」と「建物」、「ルール」と「ルール」の「あいだ」の緩衝地帯で、その場所を行き来するものたちを観察するのは非常に興味深いことだ。2つの場所、2つの価値観を自由に行き来するような、第3の視点を手に入れることが出来るかも知れない。

「建物」と「建物」の「あいだ」の何の機能も無い場所を探してみよう。

ルール上は厳密に境界線が引かれていたとしても、日常的にそこを通貫するもう一つのルールが出現する場合がある。そういう場所を探して、観察し動画で撮影してみよう。例えば本来は通路では無い場所が通路になっているような場合。「建物」と「建物」の「あいだ」の何も機能の無い場所が、ある時から通路になる。最初は舗装もされておらず、雑草が生い茂っていた場所が、人が頻繁に通ることで踏みしだかれて、そこに道が出現する。そんな「けもの道」のような場所を都会の中に発見してみよう。そして、そこを通過しているかもしれない人びとを想像してみよう。

それぞれの「場所」は境界線で区切られて、それぞれのルールで管理されている。その「あいだ」では、人が通過するだけでなく、交流もする。道が出来たら、そこに屋根をかけて、ベンチを置いてみよう。それぞれの「場所」から出てきた人びとが、交流し・滞留する。「あいだ」にあるものは、何も無い空間という可能性を秘めた場所だ。そこにある(何かが起こりつつある)痕跡や気配を記録してみよう。

実体を失った「あいだ」=「関係性」だけを撮影してみよう。

古代の遺跡を訪れるときに、そこの住人たちは遠い昔に居なくなってしまったが、彼らが生活していた空間・距離はそのまま残されている。当時の住人が立っていた同じ場所に立ってみて、その空間を体感してみる。そしてあたりをぐるっと見渡して、歩いてみる。そこに残されているのは「あいだ」=「関係性」だけだ。文字情報が残っていなくても、その場所全体が記録媒体として情報を伝えている。

「もの」も「ひと」も「建物」も、やがてその実体を失う。そのあとには、それらの断片や痕跡だけが残される。しかしそれらをつなぎ合わせて空間や距離を再現することは可能で、そのことでそこには無い実体を思い描くことが出来る。そういった視点で、あなたの身の回りの「あいだ」を観察して、動画を撮影してみよう。実体そのものを追いかけるのでは無く、あえてそれを視線から外すことで、そこにはないもの、見えないものの全体像を描いてみよう。

(イラスト/鶴崎いづみ)

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