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5-3.フレームを越える旅

『動画で考える』5.自分と世界の境目

視線を移動することで、異なる「フレーム」の間を移動しよう。

動画の撮影を通して「フレーム」を意識し始めると、身の回りにあるさまざまな種類の「フレーム」が気になり始める。動画の撮影と同じように、特定の空間・時間を切り取って、別の空間・時間に移植すること、そのような仕組みはすべて「フレーム」によって日常生活に配置されている。

あなたの部屋を見渡しただけで、そこにはたくさんの「フレーム」がある。テレビ・モニターの「フレーム」、パソコンやスマホの「フレーム」、写真立ての「フレーム」、自分の気に入ったイラストやポスターを「フレーム」に入れて飾ってあるかも知れない。あなたが生活する空間・時間を、別の空間・時間と接続する仕組みは全て「フレーム」と言えるだろう。

SFに登場する「ワープ」や「瞬間移動」といった仕掛けを使って、空間・時間をショートカットして移動するという離れ業を、あなたは既にこの「フレーム」を使って軽々と成し遂げている。部屋に居ながらにして、少し視線をパソコンのモニターに向ければ、遠く離れた場所にある友人の部屋に意識は移動して、コミュニケーションをとることができる。また少し視線をずらして、テレビモニターに注意を向ければ、ドラマというフィクションの世界に移動して、過去や未来の世界に意識を没入させることもできる。

複数の「フレーム」をつなぎ、移動することで、物語を作りだそう。

動画の撮影・再生もまた空間・時間を「フレーム」によって切り取り、別の空間・時間に配置する試みだ。動画の「フレーム」を、日常生活に置かれたさまざまな「フレーム」と並置することも出来るし、動画の「フレーム」だけをつなげて再生することも出来る。そしてあなたはそのあいだを自在に行ったり来たりすることが出来る。あなたの想像力を駆使すれば、「フレーム」を越えて旅をしながら、あなただけの物語を紡ぐ事が出来るのだ。

あなたの内面でも、過去の特定の情景が繰り返し蘇って、日常生活を送りながらもそこにオーバーラップしたりインサートしたりして介入してくることがあるだろう。あるときには過去の情景が目の前の現実以上にリアルに蘇って、頭を離れないこともあるだろう。そんなときにあなたは、気分転換にお気に入りのドラマをもう一度見直したり、懐かしい人の写真を取り出して壁にピンで留めたりするかも知れない。そうやってあなたの内面世界は、多重に重なり合った「フレーム」に影響を受けながら、複雑に形成されている。

劇映画のように、その「フレーム」の中に完結した世界観を持った動画の場合でも、それが劇場という空間に配置されているのか、自宅の部屋という空間に配置されているのかによって、その受け止められ方は異なってくる。劇場空間という暗い場所でたくさんの人びとと一緒に鑑賞するか、自宅の明るい部屋で、その他の「フレーム」と並置された状態で鑑賞するかによって、作品自体の印象も大きく変わって感じられるだろう。

内容がどのようなものであれ、動画の「フレーム」は外側に向かって開いている。外側からの影響も受けるし、影響を与えることもある。あなたが撮影した動画は、あなたの日常生活からは切り離されて、オンラインにアップされて、投げられたボールのようにそれを誰かがキャッチする。そしてその誰かの日常生活に配置され、別の意味を持ち始める。

他人の「フレーム」で世の中を見てみよう。

だからあなたが撮影し外部に向けて投げかける動画は、外に向かって開かれていることを前提として計画されるべきだ。あなたがいくら思いを込めて動画を作っても、その動画をあなたの想定通りに受け止めてもらえるとは限らない。あなたは自分の動画を、一度も眼をそらさずに集中して視聴して欲しいと思うかも知れないが、それを受け取った人びとの多くは、せいぜい数分で視聴を中断するか、何か他のことをしながら動画を流し見する程度だろう。

あなたにとってはその動画は人生の一部を写し出した断片でも、それを受け取った人びとは、あなたの人生のすべてを知りたいとは思わないだろう。断片の前後の事情さえ知りたいとは思わないだろう。あなたはただ切り取りっぱなしの断片を提供するだけで、それに加える説明は必要とされていない。

動画サイトのインデックスに並べられたさまざまな種類の動画を思い浮かべてみると良い。世界中のあらゆる人びとが、場所が、時間が、均等に同じ「フレーム」で切り取られて並んでいる。そこには絶対的な距離も重み付けもなく、単に相対的に分類され順番が決められ、並べられているだけだ。視聴者は思いつくままに選び視聴して、自分自身の人生に取り込む。

「フレーム」を越える旅には、距離も行程も無い。まったく異質な空間・時間にも瞬時に移動可能だ。そうやって移動を重ねるうちに、あなたは、あなたが知っている「フレーム」とはまったく違うタイプの「フレーム」があることに気が付くだろう。それは、世界の果てまで到達して初めて出会う類の発見ではなく、ごく身近にある良く知った場所で出会う発見だ。あなたが設定した「フレーム」を通しては絶対に見えなかったものが、ごく身近な人の「フレーム」を使えばはっきりと見えるようなもの。

動画を撮影して交流することでしか気付くことが出来ない、そのような「フレーム」は、あなたの生活空間に無数に潜んでいるのだ。

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