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12-3.自分の人生から動画を切り離す

『動画で考える』12.編集する

あなたの人生を変えた3時間について思い返してみよう。

あなたは自分の日常生活で起こる出来事を、順序だって意味を持たせて受け止めているかも知れない。

あなたがある日街を歩いていて、古い知り合いに出会って、立ち話で昔話をした後、次に会う約束をして、分かれる。次に会うときには相手の家でホームパーティーがあって、そこに招かれる。そこに集まった人びとはこれまで自分が付き合ってきた人びととは異なるタイプで、その日話した話題やそこに集まった人びとの印象は強く記憶に残って、その後のあなたの人生に大きく影響することになる。

この一連の出来事は、あなたの人生の中の大きな分岐点として、あなたの記憶に残っている。その中でも特に重要な要素は、ある人物との出会いなのかも知れないが、あなたのなかでは、最初に旧友と出会った日の朝、自宅を出かける前の様子が重要な意味を持って記憶に残っているかも知れない。あの日の朝、定期券が見つからずに部屋のあちこちを探し回って、普段乗っている時間の電車を逃してしまった。もし時間時間通りに電車に乗っていたら、旧友に出会うことも無かったろう、といった様に。

もし、これらの記憶をすべて動画に記録していて、それが3時間の長さだったとする。それを3分程度の長さに短縮しなければならなかったとすると、あなたはどの部分も切り捨てることができずに苦しむことになるだろう。何しろこの3時間はあなたの人生を変えることになった3時間だ。どの場所もどの顔もどの出来事も、あなたにとっては重要な意味を持ち、強く印象に残っている。どうやって3分程度に短縮しろというのだ。

あなたにとって大切な意味を持つ動画を、あなたの人生から切り離してみる。

しかしあなたが記録したこの3時間の動画のことを知っているのは、間違いなくあなただけだ。その3時間の動画が3分になろうとも、失われた2時間57分の動画のことを誰も知らないし、それが失われた喪失感に悩まされるのはあなただけだ。だからあなたは自分の大切な3時間を、他の人と共有するという目的を持ったときに、あなたの動画をあなたの人生から切り離さなければならない。

あなたの体験、あなたの存在を軸とした人のつながり、その積み重なった人生は、あなただけのものだ。ときには、あなたとその多くを共有する人びともいて、親密な関係を築いたり、分かちがたく人生の一時期を共にするかも知れないが、しょせんは一人で生まれてきて、一人で死んでいくのが、宿命というものだ。あなたしか知らない、あなたの人生。だからそこで撮影される動画も、そのほんの一部でしかなく、人生のほんの一部を切り出して、人に見せるといった程度のものでしかない。

だからあなたが、自分の人生を3時間に切り出して見せようが、3分に切り出して見せようが、それは他人にとっては大きな違いは無い。だれもが30年の時間を共有出来るわけではない。多くの場合は3秒や3分の時間を共有するだけで通り過ぎていく。その時間のあいだに、強く印象を与えるか、まったく記憶に残らないか、それだけのことだ。

だから3分という時間は十分すぎる。そこですべてを伝える事もできるし、そこで伝わらないことは3時間かけても伝わらない。

あなたの人生の断片が、誰かの人生の一部に着地すること。

3分の動画を自分の人生から切り離して、目の前の机の上に置いてみよう。それは机の上の手帳のようなものだ。どこにでもあるありふれた手帳だから、一見ではあなたのものだとは、わからない。でもよくみると、表紙のあちこちが折れ曲がったりシミが付いたりして汚れが目立つ。手帳を開くと、日付や待ち合わせの予定や、メモのようなものがとりとめも無く記されている。すべてが断片的で、それを見ただけではあなたのことはよくわからないだろう。

その手帳を誰かが手に取って、ぱらぱらとめくってみたとする。その誰かとは関係のない人物が書き綴った、言葉の断片、生活の断片、人生の断片。そのほとんどが意味も無く理解できない。つまり手帳の持ち主と手に取った人物とではまったく交わる点がない。しかし時々、言葉の断片が気になり、頭の中でぐるぐると反芻される。その言葉は手に取った人物の頭の中に取り込まれ、着地点を探して点滅したりひらひらと飛び回ったりしている。そんな断片がいくつか発見される。

その時にはその手帳は関係ないものとして、その誰かの手を離れてしまう。しかし、言葉の断片は、いつまでもその人物の頭の中で飛び回って、着地点を探し回っている。うるさい羽虫のように、忘れかけると、また頭の中に戻ってくる。そして、やがて着地点を見つけてそこに定着することになる。着地点とはどんなものだったのか。普段は記憶の表面に浮上してこないが、記憶の深いところにしまい込まれていて、手帳に書かれていた言葉の断片は、その記憶の深部にある何かと、親和性があったのだ。それを探し回った末に、言葉の断片は誰かの記憶の中に場所を見つけて定着する。

3分の動画は、そんな風にあなたの人生から切り離されてこそ、誰かの人生の一部に着地する。だからこそあなたの撮影した動画は、思い切って切断して、断片化し、選んで、捨てて、残ったものだけをテーブルの上に並べてみよう。きっとだれかがそれを手に取って、その断片はその人物の人生に取り込まれて、もしかしたらその人生を大きく変えてしまうかも知れないのだ。

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