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6-2.身近なささいな事を撮る

『動画で考える』6.他人を撮る

身近なものごとを撮影してみよう。一番身近にある自分の日常を。

あまりにも身近過ぎて普段は気にもとめないような、わざわざ動画を撮影する必要もないような、普通の生活や身近な人びとを。運動会やお誕生日会のような特別な日ではなく、何も予定がない今日、今この時に撮影しよう。久しぶりに会った友人や、街を歩いていてばったり出会った有名人と記念撮影するのではなくて、自分の親や兄弟を撮影しよう。

あらかじめ予告もなく、これから撮影をするよ、とひとこと断るでもなく、いきなり動画の撮影を始めよう。自分の家族であればそれでも許してくれるだろう。家族が話に夢中になっている傍らで、とにかく撮影を始めよう。

家族のありふれた日常会話を動画で撮影してみよう。

私はある日、母親と妹が台所で話をしている様子をすぐ近くでずっと撮影していた。母親は何でもお小言を言うのが習慣になっているので、私の方を向いて(カメラの方を向いて)「そんなにずっと撮っていてもったいない・・・」と洗い物をしながらつぶやいている(何ももったいないことはないと思うのだが・・・)。妹は話に割り込んできて、近所のうわさ話をし始めて、母親それに乗って話は盛り上がる。「そうだよね」「そうそう」「それからさ」「だよね〜」といったたわいもない会話がいつまでも続く。私はひらすらそのやりとりを撮影している。

撮影中は一つの話題で随分意気投合して話は盛り上がっているように思えた。ところがあとでビデオを再生してみてみると、二人の話はまるでかみ合っていない。「そうそう」と相づちを打っているのは、自分が次に話をするために間をつないでいるだけで、内容はまったく関連していないし、相手の話をまるで聞いていないのかも知れない。

それでも日常会話は、話の行き着く先に結論はないし、単なる時間つぶしだったり、あいさつ程度の言葉のキャッチボールなので、そんな風に脈絡のないやりとりでも一向に構わない。当事者はその事に気付きさえもしない。

その動画を繰り返し視聴して、内容を詳細に分析してみよう。

だからこそ、身近な人びとや出来事を動画で記録して、後から見直すことには発見がある。それ程私たちは日常の些末なことをいちいち意識して過ごしていないし、そこで起こっていることを一つ一つ立ち止まって、観察したり吟味していたら、正常な生活が送れない。

わたしが、母親と妹の話を傍らで聞きながら、「それはどういう意味?」「それはさっき言っていたことと矛盾しているよ!」「そんなことを言っているんじゃないよ!」・・・といちいち突っ込んでいたら、うるさいからあっちに行ってろ、と追い払われただろう。そんな中身のない矛盾だらけの会話も、コミュニケーションのあり方の一つだし、それはそれで役目を果たしているのだ。

動画が記録するのは、そんなありのままの人びとの状態だ。家族はあなたに対して何を演じることもなく、素の自分を見せてくれる。話の内容ではなく、話し方(言葉の強さや弱さ、速さや遅さ、柔らかさや堅さ)、態度、身振り手振り、視線・・・それら全体から伝わってくる親密さのようなものが伝わってくる。

それは普段あなたが身近なひとに対して感じている印象そのものだ。言葉で伝えられたわけでもなく、強い態度で示されたわけでもないが、あなたに伝わってくる何か。それにあなたが気が付かないときにでも、動画は淡々とそこにある「もの・こと」を記録し続け、あとからそれを確認することが出来る。

だからこそ、取るに足らないそんな動画を繰り返し再生して、画面のいろいろな場所・瞬間を観察してみよう。そのうちに、すごく気になる場面がいくつか見つかるだろう。ちょっとした態度や口調の変化のようなもの。もしかしたらその人の癖のようなもので、繰り返し同じ動作を繰り返すかも知れない。

言葉は、必ずしも言いたいことをそのまま言っているわけではない。正反対のことを言っている場合もあるかも知れない。それがわかる瞬間がある。なぜその事に気付いたのか考えてみよう。動画に記録されたどういう要素があなたにそういう印象を与えたのかを分析してみよう。

あなただけのプライベートな動画を他人に共有して、その反応を観察しよう。

そしてそのような気になる瞬間だけを集めて、面識のない他人に見せたら、どんな印象を与えるだろうか?他人からみたら、自分とはまったく関係のない家族の様子を見せられてうんざりするだけかも知れないし、他人に対しても、何かちょっと引っかかる、気になる印象を与えるかも知れない。あなたにとっての家族は、他人にとってはやはり他人にでしかない。

いずれにしても、家族は同じ家族にしか見せない、プライベートな瞬間というものがあるはずだ。それはどの家族でもそうであるという点において、普遍的であるとも言える。あなたにしか話さないこと。あなたにしか見せない顔。どの家族でもそのようなことがあるはずなのに、あまりにも当たり前すぎて、わざわざ動画で記録しないし、ましてや人に見せるなんて事がないようなこと。

自分が何かに気付くためかも知れないし、その動画を通してあなたと誰かがいつもとは違った関係を作れるかも知れない、そんなきっかけとして家族を撮影してみよう。それは、いつでもすぐにでも出来ることだ。

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