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「ミズ・マーベル」が僕を救ってくれた話。
いつもは好きなアメコミの感想を書いているけど、今回はアメコミの感想というよりアメコミが関わる自分の身の上話みたいな感じです。僕の話がほとんどになってしまう上、作品を変なフィルターを通して見てしまっているので、そういうのが苦手な方、純粋にアメコミの話が見たいという方はブラウザバックお願いします。
また、僕の身の上話のことですが、自分の精神状態や病気のことに触れる内容なので、そういった話が苦手な方も読まない方がいいと思います。
約2年前の春、僕はADHDという病気だと診断された。発達障害の一種で、度を越して集中力がもたなかったり、落ち着きがなかったりするような病気らしい。
一つの病気でも人によってさまざまな特性があるらしく、自分の場合は小さい頃授業中に立ち歩いたりするようなことはなかったし、長時間椅子に座って作業するのも全然苦じゃない。ただ忘れ物やミスは多かったけど単にガサツなだけの範囲だと思っていた。今思えば周りに相当恵まれていた故だけれど、何一つ不自由を感じたことはなかったし、学生の頃は特にどこか自分がおかしいとは思わなかった。しかし2年前に就職して社会人になった時、周りと比べて異常にミスが多いことに気づいて精神科に行った結果、自分がこの障害を持っていることがわかった。
その日から僕は、自他共に「障がい者」として見られることになった。周りの人も気を遣ってくれたし、自分もなるべく周りに迷惑をかけないようにしなければと意識して生活するようになった。しょうもないミスをした時「これは"普通"の人ならやらないのかな」と考えるようになったし、周りの人から「病気だとどんなことができないの?」と聞かれるようにもなったけど、自分ではそんな疑問への答えは全くわからなかった。
例えば事故で足を怪我してしばらく歩けなくなってしまったら、今までの生活より不便になることは間違いないだろう。数週間、もしくは数ヶ月の時間を重ねてだんだん歩けるようになって、しばらくすれば以前と変わらない生活に戻るかもしれない。そんなふうに何か自分に変化が起きているのなら、怪我や病気のせいで何が悪くなって、何をすればマシになるのかもわかるものだろう。
でも今回は、僕の目線では何も変化はなかったのだ。いつもと変わらず出勤し、くだらないことを考えながら昼食を食べ、家に帰ったらコミックを読んで寝る。僕にとってはこれが普通の日常で、病気だとわかる前もわかった後もずっと変わらない。唯一変わったことは、これが「ずっと普通ではなかった」と気づいてしまったことだけだった。今までと何も変わらないのに、病気だとわかった途端に「自分の生活のどこが異常なんだろう?普通の人ならどう違うんだろう?」と考え込んでしまう。当然答えは全く出ないし普段はそのまま忘れてしまうけれど、ふとした時にミスをしてこれまで溜め込んでいた不安に襲われる。何も変わっていないのに全部が変わってしまったような不思議な感覚に圧倒され、全く解決策がわからないまま、僕はダラダラといつも通りの日常を過ごしていた。
そんな時偶然手に取ったのが「ミズ・マーベル:ザ・ニュー・ミュータント」という作品だ。
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ジャージー・シティに住む高校生カマラ・カーン。普通の女の子として過ごしていた彼女は、ある時自分が「インヒューマンズ」という超人種族の血を引いていたことを知り、自分の体に眠っていたスーパーパワーを発現させる。大好きなヒーロー、キャプテン・マーベルと自分を重ねた彼女は新ヒーロー「ミズ・マーベル」として街を守るために闘う!
数年間ヒーロー生活を続けてきた彼女だったが、敵との闘いの最中でカマラは命を落としてしまう…しかしここで彼女の更なる秘密が明らかになった。カマラはインヒューマンズのパワーで闘っていたが、彼女の遺伝子は実は突然変異を起こしており、「ミュータント」と呼ばれる進化した人類でもあったのだ。ミュータントのヒーローチーム「X-MEN」の技術で復活したカマラ。これでハッピーエンド…かと思いきや、新たな脅威が彼女を襲う。
マーベルの世界では、ミュータントはスーパーパワーを持つというだけでなく、いずれ人類にとって代わるであろう新たな種族として、人類側からとてつもない差別を受け続けていた。現世に生き返ったカマラはこれまでの「愛される街のヒーロー」から「ミュータント野郎の偽善者」として冷ややかな視線を浴びせられてしまう。突然変わった状況に困惑しながらも、ミズ・マーベルは人々の生活を守り続けようと奮闘していく…
僕はもちろんスーパーパワーは使えないし、超人種族の末裔でもないし、周りに差別されているわけでもない。けれどこの作品を読んだ時、カマラの感じている不安と自分が漠然と感じていた不安がぴったり重なるような不思議な感覚になった。
この作品の設定の面白いところは、カマラがミュータントだと判明する前と後で、カマラの能力やヒーロー活動にはなんの変化もないこと。確かにX-MENの一員になったり、それに伴って着ているコスチュームも(ダッセェ)新バージョンになったり…という変化はあった。けれど彼女のパワーはこれまでと変わらないし、やっていることもいつもと変わらない人助けのはずだ。なのに彼女を取り巻く周りの目は以前とはまるで別物になり、カマラ自身も自分が何者かわからなくなっていってしまう。「あなたはミュータント」ただそれだけの一言は、本質的にはカマラにとって無意味で、それでいて彼女の人生を大きく揺るがしてしまうものだったのだ。
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カマラの不安は作中何度も彼女の夢の中で描かれる。特に痛々しいのが、かつて共に闘ったヒーローの仲間たちが、カマラのことを「ミュータント野郎」と罵りながら襲ってくる夢だ。もちろん現実ではそんなことはないとわかっていながら、もしかしたら…と思わせてしまうほど、ミュータントというアイデンティティは彼女の心を揺さぶっていた。実生活での差別と同じくらい、この作品はカマラが「自分」を見失っていく不安を描いていく。正直途中から胃がキリキリするくらい辛い感覚だったけれど、それでも夢中になって読み進めていた。
ありがたいことに僕の周りは本当に温かい人で、病気のことでもそれ以外のことでも「差別されてる」と感じたことは全くない。それにこの「ザ・ニュー・ミュータント」が僕みたいな境遇の人を意識して書かれた作品かと言われると、読者のターゲットとしてあまりにも狭すぎるから多分そんなこともない。僕がカマラに変なシンパシーを感じているのもあくまで勝手な妄想だと思う。それでも、カマラが感じていた「何も変化していないのに全てが変わってしまった」という不安は、当時の僕の心に突き刺さった。ミズ・マーベルは実在しないフィクションのキャラなはずなのに「自分と同じ人がいるんだ!」とすごく嬉しくなったのを覚えている。自分でも何が何だかわからなかったし、人に相談しようにもなんで言葉にしたらいいかわからない、そんな漠然とした気持ちを、ミズ・マーベルは綺麗に代弁してくれて寄り添ってくれたような気がして、泣きそうになりながらページを捲り続けた。
“Inhuman. Champion. Avenger. X-Man. These labels have one thing in common: they’re inadequate. There isn’t a word out there that really deacribes what I am. What mattets is who I am. The world can hate and fear me all it wants. But I’ll sleep just fine at night knowing that whatever people want to call me… I’ll always be Ms. Marvel.”
「インヒューマン。チャンピオン。アベンジャー。X-MAN。こういうラベルには一つ共通点がある。それはこんなんじゃ語りきれないってこと。私のことを本当に表せる言葉なんてない。大事なのは私が誰なのかってことだもん。世界中に嫌われても怖がられてもいい。周りがどんなふうに私を呼んでるか知っても、それでも夜にぐっすり眠れるわ。私はこれからもずっとミズ・マーベルだもん」
残念ながら僕の人生はコミックみたいに単純じゃない。周りに迷惑がかかる以上は自分の病気と向き合っていかなければならないし「俺は俺だ!」と無視することはできない。けれど少なくとも自分の心と向き合う時、どうしようもなく不安な時、カマラの最後のセリフはいつも勇気をくれる言葉だ。スーパーヒーローは現実にはいないし、コミックの世界は現実とはまるで別物だ。それでも時にヒーローたちは僕の不安に寄り添い、一緒に悩んでくれる。ミズ・マーベル歩んだ轍を追いかけながら、いつか自分悩みが晴れるような日が来ることを信じて生きていきたい。