シンビオートの歴史の転換点「ヴェノム(2018)」
最近のシンビオート界隈はとにかくアツい。
実写映画三作目の「ヴェノム:ザ・ラストダンス」が公開し、コミックでは大型イベント「ヴェノム・ウォー」が連載と、ここ最近とてつもない盛り上がりを見せているヴェノム関連。直近のNYCCでも新たなタイトルが発表されて、しばらく楽しみが尽きないなとワクワクしております。
そんな今のヴェノムの物語の基盤といっても過言ではなく、かつ前述の映画に登場する強敵「ヌル」が初登場したのか「ヴェノム(2018)」である。
実はシンビオートを生み出したのは、宇宙誕生以前の遥か昔から存在していた暗黒の神「ヌル」という存在であり、一度は下僕のシンビオートの反乱で封印された彼が再び目覚めようとしていた。時を同じくしてエディ・ブロックには本人も知らない息子がいることが発覚。ディラン・ブロックというその少年はどうやら不思議な力も宿していて…というあらすじで始まる本作。あまりにも強大なパワーや、マーベル全体を巻き込んだクロスオーバー「キング・イン・ブラック」での無双っぷりからヌルの名前や姿は知っているという人も多いかもしれない。
しかしこのヌルにはある特徴がある。それは「とにかく強くて悪いやつ、それ以上の説明はない」ということ。最近の作品の悪役はどこか人間味があったり、悪人になった背景に辛い過去があったりしがち。でもヌルにはそういうのが全くない、びっくりするほど純粋に悪いやつなのだ。そこに生き物がいれば殺す。そこに星があれば滅ぼす。そんなヌルの行動原理は純粋な暴力と破壊の化身としての存在感をとてつもなく強めて、悪逆非道っぷりとともに彼の強さを知らしめた要因にもなっている。それと同時に、ある意味では全く中身がない、すごく空っぽなキャラクターでもある。
ヌルの復活と同様に、本作の肝として扱われるのがエディの息子、ディランの存在だ。
エディ本人も気づかないところで生きていた彼は、シンビオートを介してエディと元恋人アン・ウェインの間に生まれた少年。本人はエディの父親のもとで普通の子供として生きてきたが、実はシンビオートを介して誕生したことで特殊な能力を持っていたことが判明する。さらに、復活したヌルも実はディランの力を求めて地球を目指していたことがわかり、エディは宇宙規模の脅威から息子を守る闘いに身を投じることになる。
圧倒的なパワーを持っていながらも、ディランは望んで力を得たわけでもなく、父とシンビオートの因縁のせいで無理やり闘いに巻き込まれた少年である。その境遇はスパイダーマンへの憎悪を募らせ望んでヴェノムとして事件を起こしたエディとはまるで別物。エディがディランを助け出す構図は、ヴェノムの口癖”Protect the innocent.”と綺麗に重なる。この作品はヴェノムのヒーロー観を、子を守る父親という視点で描きなおしていくのだ。
この関係性を象徴するエピソードが、このシリーズの途中で連載されたイベント「アブソリュート・カーネイジ」のラスト。ヌルを復活させようと企む敵のカーネイジにディランを人質に取られて絶体絶命の状況の中、カーネイジはエディにある選択を迫る。ここで息子を見捨てれば、カーネイジはディランの力を吸収してヌルを復活させてしまう。逆にカーネイジを倒せば、カーネイジの力がヴェノムと融合してしまい、それはそれでヌルが目覚めてしまう。世界と息子、どっちをとっても最悪の結末。果たしてエディはどちらを選ぶか、それとも第3の選択を考えるのか…という状況の中、エディはなんの迷いもなくカーネイジを殺してディランを助けだした。エディの人生のゴールは世界を救うヒーローになることではなく、息子を助ける父親だったというのが如実に現れた名シーンだ。
この親子の絆と父としての責任を描く物語の中で、じゃあヌルとは一体なんなのだろうか。読者の数だけ答えはあると思うけど、僕の考えは「新たな責任にまとわりつく漠然とした不安感」だ。
前述の通り、ヌルという敵はびっくりするほど中身がない。ただとにかく強くて悪いやつを倒さないと、エディは息子を守れない。この情勢は、エディが父親になるために自身の不安を乗り越えることと綺麗に重なり合う。これまで犯罪者として、ヴィランとして生きてきたエディは、自身が父親に相応しくないことなど重々承知している。それでも目の前にいる息子を守るためにエディは自分でも得体の知れない、ドロドロとした不安の暗闇と闘わなければならない。「父親になること」の不安との闘いを宇宙規模の神との戦争として昇華したのが、このヴェノムの物語だと思う。
「多くの人が経験するライフイベントをそんな大袈裟な」と思うかもしれない。実際、僕は親ではないので、その不安がどんなものかはわからない。でも他人にはちっぽけに見えるような話も、本人にとっては宇宙から来た化け物より怖いかもしれない。エディは自身が抱える不安、そして目の前に迫る最恐最悪の暗黒神という壁を越えることで、初めて「息子を育てる」という事実と向き合えるのかもしれない。
本シリーズのラストを飾るイベント「キング・イン・ブラック」のラストは、エディがディランからシンビオートとしての力を全て取り除くシーンで終わる。エディのゴールはヌルを倒すことではなく、息子を救った後自分が巻き込んだシンビオートの呪いまで全て払い落とすことだった。かつてヴィランとして憎悪に塗れた男が、その責任に巻き込むまいと純粋な息子を救う。これこそが究極の”Protect the innocent.”、これまでのヴェノムの集大成として、そしてエディとディランの新たな人生の始まりとして、まさにシンビオートの歴史を変えた傑作だ。