大動脈解離と共に生きる episode6
While My Guitar Gently Weeps
意識が回復したら
身体に起きている異変に気づき始めた
・声が出ない
日常会話もままならないぐらいであった。
原因は、人工呼吸器を喉の奥まで長く着けて続けていた事による声帯への影響。開胸手術で肺や横隔膜を動かす事ができないなどの理由があげられる。生きている喜びの方が大きかったのでショックは不思議と小さかったが、歌う事、音楽活動はもう無理だろうなと悟った。
・手術跡
心臓の手術という事で、開胸手術の胸の跡はグロテスクで驚いた。首の下からお腹まで開いた傷跡にフランケンみたいにデカいホッチキスで胸がくっつけられているのだ。そして、腕などに内出血したような大きなアザ、色んな管が繋がれてたり、繋がれた跡傷が多数見られる。
・開胸手術による胸の痛み
開胸手術とは読んで字の如く胸を開けて心臓の手術をする事。その際に胸骨を真っ二つに切開する。人間の身体のど真ん中の骨が分離しているからか、寝る位置が定まらない日々は4ヶ月ほど続いた。痛みで目が覚めて、右に左に何度も寝返りを打っていた。また仰向きで寝ると肺が潰れてしまうので、入院中に寝る体制は看護士さんに何度も怒られてた。痛みがある時に厳しい事を言われて、ムッとした事もあったが、今思うとそんな看護師さん達には感謝している。
・飲み物が飲めない
手術後、急に飲み物を飲むと身体への負担があるということで、飲み物を飲ませて貰えなかった。正直これはキツかった。無理をお願いすると、小さいスポンジに水を染み込ませて吸うことだけが許された。その少量の水分は、まるで砂漠のオアシスに辿り着いたような快楽に感じた。
このような異変の現実も、悲観的になることなく受け入れることができた。何より、生きていることへの感謝と喜びのほうが勝っていたからだ。
・リハビリ
リハビリは早い段階で始まった。
意識が回復してすぐに「ベッドから立ってください」と言われたときには、正直、焦りを覚えた。ベッドから足を一歩踏み出すことができない。恐る恐る片足を出してみると、まるで生まれたばかりの子鹿のように足が震えた。人間はたった1週間立たないだけで、筋力が驚くほど弱るのだと痛感した。
少しずつ病院内で歩く距離が増やされていったが、最初は10メートル歩くだけで精一杯だった。椅子に数十分座っているだけでも疲労感に襲われた。
やがて集中治療室から一般病棟へと移された。
そんな中、家族がこっそりエレキギターを病室に持ってきてくれた。入院直前に購入したばかりのピンクペイズリーのギターだった。
しかし、正直なところ、ギターを弾くのが怖かった。後遺症の影響で、楽器は弾けなくなるかもしれないと言われていたからだ。
恐る恐るギターを手に取り、弦を弾いてみた。
左手はコードを押さえることができた。
右手ではピックをポロポロ落としながらも、
音を出すことができた。
While My Guitar Gently Weeps
涙は出なかったが、心の中で歓声が上がった。
このときの喜びを、私は一生忘れることはないだろう。
歌うことはまだ難しいかもしれないが、ギターやベースを弾くだけでも音楽は続けられるかもしれない。そんな希望の光が、私の中に差し込んだ瞬間だった。
少しずつ、入院生活の中で、自分のことを自分でできるようになっていった。朝の歯磨き、シャワー、食事を摂るだけでも体力を使い果たして、終わったあとはベッドに倒れ込むような日々だった。
それでも、筋力が弱っていくのが怖かった。
「1時間に◯周」といった目標を自分に課し、病棟のフロアをひたすら歩き回った。声が出ない、息が続かないという恐怖に怯えながらも、小さな声で発声練習を繰り返した日々だった。
そんな中で私に勇気を与えてくれたのは、元旦に発生した能登の地震による被災者の方々だった。地震により京都の病棟も大きく揺れ、揺れによる目眩がしばらく続いた。お正月早々、テレビの映像で被害の惨状を目の当たりにすることとなった。被災によって命を落とされた方々やその家族のことを思うと、自分だけが助かり命を与えられていることに申し訳なさを感じた。同時に、自分が抱えている身体の痛みや病の苦しみが、ちっぽけな悩みであることかと思い知らされた。
リハビリは順調に進み
私は無事に退院の日を迎えることになる
episode7につづく
The Mayflowers
里山 理
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