現地メディアが実際に認める、ブラジル音楽の名盤25選 (前編)
どうも。
今回は、こういう企画をやります。
ちょっと小耳に、日本のミュージック・マガジン誌が「ブラジル音楽の100枚」という企画をやると聞きました。それを聞いた時に
どんなの選ぶんだろう??
と、ちょっと、「う〜ん」と気になってしまったんですね。
というのも、日本でブラジル音楽といった場合に、「一部のボサノバとMPB好きの人が、それ以外にあまり目もくれず、偏った情報だけでブラジル音楽を決めつけている」という印象が昔から拭えないからなんですね。まあ、無理もないです。僕が日本にいた頃から、渋谷タワレコのラテン音楽の置き場でさえ、かなり偏ったセレクションにはなっていましたからね。僕のワイフが言うところの名盤なるものはほとんどと言っていいほど見たことなかったですからね。
で、今回も、「100枚選ぶ」というのは大胆な行為なんだけど、
実際に、「本国で名盤と呼ばれているもの」への検証とかって、ちゃんとやってるのかな?
というのが、やっぱりどうしてもちょっと気になったので、こういう企画をやろうと考えました。
現地メディアが実際に認めている、ブラジル音楽の名盤25選
もしかしたら、僕の杞憂で、今頃は日本でもSNSやウィキペディア、サブスクなどを駆使して、実際のブラジルでの評価に近いものを聞くようになっているかもしれません。ただ、少なくとも何年か前に出たブラジル音楽の本では、超有名アーティストの定番作でさえ全然正しくないのが平気で選ばれていたりもしたから、ちょっと不安があります。
僕もここまで言うからには、ちゃんと裏付けをしっかりとって、3つのメディアが選んだ、「ブラジル音楽のアルバム・オールタイム・リスト」、これに基づいて、25枚を選んでみようと思いました。なんで25枚かというと、それはアプリの都合上、一番綺麗に見えるからと、それだけの理由なんですが、ただ選んでみて、「文句なし」な感じで選べるのも、このくらいの枚数でしたね。30枚だと僕も選んでて微妙に迷ったので。
では、
以前にローリング・ストーン・ブラジルが選んだもの。これをR表記で
以前にMTVブラジルが選んだもの。これをM表記で
http://selectaclub.jornaldaparaiba.com.br/novidades/o-melhor-de-todos-os-tempos/
2012年にエスタードというサンパウロの新聞と系列のFM局が選んだオールタイム30枚。これをEと表記しましょう。
この3つのメディアの結果を僕が考慮して選んだ25枚は次のようになりました。順不同で歴史順です。
はい。こんな感じです。書いてみて、すごく長くなったので、今回はその半分、最初の13枚、ちょうど25枚の真ん中にあるアルバムまで紹介することにしましょう。
Chega De Saudade/Joao Gilberto(1959)R#4 M#6 E#15
まず最初に来るのが、これがアルバム時代のブラジル音楽ではやっぱり真っ先に来ちゃうかな。ボサノバのパイオニア、ジョアン・ジルベルトの、もう、これが「ボサノバの先駆け」的な1枚ですね。
サンバというのはブラジルの土着の伝統音楽ですが、それを世界的にクールな音楽がジャズだった時代に、リオでジャズやクラシックを志していた若者たちがサンバをアーバン解釈してできた音楽が大雑把に言えばボッサなんですけど、それの金字塔が天才ギタリストだったジョアンが作ったこれです。
これを起点に、ボサノバは1960年代前半のアメリカのジャズやインスト・ミュージックの世界で華やかに迎えられ(ハーブ・アルパートやバート・バカラックの時代でもあったし)、ジョアンもスタン・ゲッツとの共演になった「イパネマの娘」が全米シングル・チャートで5位のヒットまで記録しているのですが、ブラジルだと「ゲッツ/ジルベルト」のアルバムはそこまで神格化されていないし、ヴォーカルをとったアストラッド・ジルベルトが今何をしてるかを知っているブラジル人もほとんどいません。面白いことにジョアンや、彼の作詞に関わったヴィニシウス・ジ・モラエス、作曲で関わったアントニオ・カルロス・ジョビンはいずれも文化的にかなりの重要度で語り継がれているんですけどね。
Samba Esquma Novo/Jorge Ben(1963)R#15 M#24 E#20
続いて、これもボサノバの重要なアルバムですね。ジョルジュ・ベン。彼はボサノバ時代のブラジルの重要なシンガーソングライターで、よく「♩尾張名古屋 」の空耳で有名な名曲「マシュケナダ」の作者として有名で、このアルバムにも入ってます。
このアルバムを聞くと、いくらボサノバが洗練されたリオの中産階級の白人が作ったと言っても、リズムやグルーヴの肉付けは黒人起源だということがわかるし、それを説得力持ってやってたのが、このジョルジュ・ベンですね。
ちなみにベン、この時にまだ21歳だったんですね。彼はこの後、ロックやソウルの影響を受けたアルバムに進化して行って「A Tabua De Esmeralda」(1972) 「Africa/Brasil」(1976)も非常に重要なアルバムで後者の中の「Taj Mahal」という曲はロッド・スチュワートに「アイム・セクシー」という曲名でパクられています(笑)。
なお、「マシュケナダ」はアメリカや日本ではブラジル人アーティストのセルジオ・メンデスのカバーの方が有名ですが、セルジオ・メンデス、ブラジル人にあんまり馴染みないんですよ。文化史の中ではほとんど語られてないですからね。
Em Ritmo De Aventura/Roberto Carlos(1967)R#24 M#26
60年代をブラジルで10代で過ごしてきたような人にとって、この時期の音楽は「ボサノバ」ではありません。「ジョーヴェム・グアルダ」です。これはいわば日本でいうならば「ザ・ヒットパレード」みたいな和製カバーポップスとGSが一緒にやってきたみたいな感じですね。それが60sの中ばにブラジルの若い人に爆発的に流行るんですが、ビートルズやストーンズみたいなギターロックをソロのアイドルの歌手が歌って人気でした。ロベルト・カルロスはその中でも最大の人気者で、彼を主役にした映画もビートルズみたいに作られていて、このアルバムはそのサントラ。彼の「ジョーヴェム・グアルダ」時代の最高傑作・・と一般には言われていますが、僕は本音言うと、これじゃないです。これの後の2作か、この数年前のヤツの方が好きです。後になるとソウル色が強く、前だとブリティッシュ・ビート色が強いので。
この人ですが、今でもすさまじい人気なんですよ。歌ってる曲は、もう、ある時期からのエルヴィスというか、それ以上に甘いバラード路線。なので、こっちでいう「マイ・ウェイ親父化」もしていて、それでからかいの対象にもなるんですけど、近年でもヒット出して、70超えてスタジアム規模のライブ、埋めますからね。その年で胸はだけてバラの差し出して船長の格好で歌ったりしますからね(笑)。
ただ、そんな彼でも、バラード路線の初期くらいまではちゃんと批評的に評価されてます。僕がNHKのラジオでラテン音楽の番組担当2年くらいやってた時に実際に見聞きしたので、「ブラジルには固有でいい音楽があるのに、英米なんかに毒されやがって」というのがありました。だから、彼みたいなアーティストに価値がないと。余計なお世話です。それは「日本には演歌という素晴らしい音楽があるのにロックやヒップホップは必要ない」というのと同じくらいの愚問。そういうタイプのラテン、ブラジル音楽ファン、日本で減ってるといいんですけどね。
Tropicalia Ou Panis Et Circencis/various Artists(1968)R#2 M#1 E#10
ブラジル音楽を語る際に、今持ってなお、これを避けて語ることができない、そんなアルバムがあります。それが「トロピカリア」。「ブラジルのサージェント・ペパーズ」です。
これは「ブラジルを第2のキューバにさせない」として1964年に始まった軍事政権が社会的矛盾を露呈するようになり、若者たちの反抗が始まった時の時代のサウンドトラックですね。日本で言うところの、「GS」から「アングラ・フォーク」に変わる時代とまさに同義ですね。この時代に、ちょうどテレビで当時のブラジルの若者の心をとらえ始めていた、いわば「新人歌謡コンテスト」みたいな番組で自作曲で本音を撒き散らして注目を集めていたカエターノ・ヴェローゾやジルベルト・ジルをはじめとした怒れる若者たちが集結したオムニバス・アルバムがこれです。「トロピカリア」とは、「南米人としての自分らしさ」を保ちつつ、世界の同時代を生きる若者たちのサイケデリック・カルチャーにも共鳴、影響を受ける、といったものです。
そんなこともあり、ここで聞かれる音楽、かなりサイケなんですよ。英米のそれ以上にシュールでブッ飛んでいて。実際問題、これを聞いて驚いてブラジル音楽やブラジルのカルチャーに興味を抱く人も少なくないんですよ。実際、僕もその一人ですからね(笑)。そして、このアルバムの参加者、大成者が多いんですよ。カエターノ、ジル、ムタンチス、ガル・コスタ、トン・ゼー。すでにボサノバ歌手で成功していたナラ・レオン。この「偶然の集合感」も近い時代のはっぴいえんど周辺と近い感覚、あります。
A Divina Comedia Ou Ando Meio Disligado/Os Mutantes (1970)R#22 M#91
続いてオス・ムタンチス。ブラジリアン・ロックが生んだ最初のサイケデリック・バンドですね。彼らの存在は「トロピカリア」のところでも言いましたけど、そのぶっ飛んだサイケ感覚ゆえに、ロックファンの間で、「ブラジルに昔、こんなすごいバンドがいたんだ」という衝撃と共に覚えられがちです。僕も1999年にルアカ・バップから出たアメリカ編集のベスト盤で聴いた時、ビビリましたからね。
一般的には1968年発表のデビュー・アルバムの方が評価されてはいるんですが、一部が「トロピカリア」と選曲がかぶってること、そして曲がカエターノが作ってあることもあり、僕の評価はその分、ちょっと落ちるんですよね。そこに行くと、このサードだと、作ってるのがヒタ・リー、アルナルド・バチスタ、セルジオ・ディアスの、彼ら3人のオリジナルがほとんどですからね。とりわけ、この数年後に燃え尽きて去って行ってシド・バレットみたいになっちゃったアルナルドの才気が爆発してると思います。
彼らはそのあと、リード・ヴォーカルの紅一点ヒタが抜け、アルナルドが抜け、最後の方はなんかカッコ悪いプログレバンドみたいになって終わってしまうんですけど、その末路があったにせよ、やはりブラジル伝説のバンドですよ。
Construcao/Chico Buarque(1971)R#3 M#14 E#6
シコ・ブアルキはブラジルの音楽界のみならず、カルチャー界が生み出した巨人ですね。彼はシンガーソングライターであることに加えて、小説家、劇作家でもあり。おじさんが有名な国語辞書編纂者、お父さんが大学教授という、ブラジルでも稀に見る「スーパーお坊ちゃん」の出自を最大限に生かした人です。
そんな彼は60s後半に、「トロピカリア」のとこでも触れた新人歌謡祭、その名も「MPB」という番組で軍政に反抗するメッセージで話題を集め、それが元でイタリアに亡命するハメになったりもしますが、これは亡命から帰国後の71年に発表した、彼の最高傑作の誉れ高い1枚です。これは、「政治犯が不当に捕らえられたりしている世の中で、旧態依然として変わらないブラジルの日常に対しての無力感」のようなものへのもどかしさや無力感を描いた歌詞、そして、ドラマティックなストリングス・アレンジで描いた、サンバをベースとしバロック・ポップとしてすごく聞き応えのある重厚な作品です。シコの場合、同世代のカエターノあたりと比較しても、サンバ色は濃厚でロックファンにはやや聞きにくいところがなきにしもあらずですが、これに関しては全く関係ないですね。シコはその後も、必殺技の「ダブル・ミーニング」の歌詞を多用して、軍事政権の検閲をかいくぐっては痛烈な社会批判を行う作風で大衆の人気を得ます。
そんなシコは70歳を超えた現在でも、左翼のご意見番として非常に有名なんですが、音楽活動もちゃんと継続。2017年にリリースされたアルバムも、その年のベストに挙げる人も多かったですね。
Transa/Caetano Veloso(1972)R#10 M#8
そして、日本のブラジル音楽ファンの中でもとりわけ神格化されていますカエターノ・ヴェローゾ。もちろん、ブラジル音楽界の巨人であることは疑いようがありません。世界中に、音楽ファンのみならず、アーティストにファンが多いことでも知られています。
カエターノのすごいところは、クリエイティヴィティが全く衰えないことで、各時代に代表作があって、何を最高傑作に選んで良いか迷ってしまうところです。60sはサイケ期のビートルズみたいで、70sに入るとシンプルなシンガーソングライター・スタイルから徐々にシティ・ポップ化し、80s末以降にキレのいいアレンジのサウンドで息を吹き返し、00s以降はちょっとアヴァンにロック回帰したサウンドでも人気高いですね。ブラジルでも近年の作品のウケ、いいですからね。そんな中でも「トロピカリア」を除いて最高傑作にあげられることが多いのが、この「トランサ」ですね。これは軍政に反抗した末にロンドンに亡命した体験をもとに作ったアルバムですが、そこで感じた孤独感、望郷の念を1枚の作品に内省的に託した、すごくシンプルな独白アルバム。「カエターノ版ジョンの魂」とでもいうべき名作です。
この人ですね、ブラジルに住んでるとわかるんですが、実は「舌禍キャラ」としても非常に有名でして(笑)、元妻の彼のマネージャーとともに、ちょと過激に行きすぎたことやらかして度々ニュースになってます。同じ左派の人でもシコは分別あるので僕は彼には共感しますが、カエターノはなあ・・。でも、それを差し引いても、彼は間違いなく「ブラジルの音楽」を築き上げた人です。
Expresso 2222/Gilberto Gil(1972)R#22 M#9
そのカエターノの永遠の相棒として知られているのがジルベルト・ジル。彼はカエターノと同じく、ブラジル北部の伝統都市、バイーア州サルバドールの出身。サンパウロやリオが「関東」だとしたら、サルバドールは「京都」みたいな、そんな印象でしょうか。
ジルの場合も、歌番組「MPB」での反抗の士で「トロピカリア」に参加した人で、彼もカエターノ同様、最初はかなりサイケデリック・ロック色が濃かったりするのですが、彼もロンドン亡命後に帰国したこの作品からは、より黒人としてのルーツを生かしたグルーヴ主体の作風が目立つようになりますね。このアルバムは、同時代のアメリカン・ロック的なグルーヴ感を持ちながらも、そこにソウル・ミュージックの影響なども垣間見えますね。彼はこの後、「Refazenda」(75)、「Refavela」(77)と発表していき、だんだんとレゲエ色を濃くしていきます。今、あげたこの3作の頃は、トロピカリア人脈の中でも一番冴えてたんじゃないかな。とりわけ鉄弦ギターのフレーズとリフにカッコいい曲が多い時期です。
ジルは2000年代にはブラジルの文化大臣も務めているほど音楽界の重鎮にもなり、今も元気に作品発表とツアーを元気に続けています。彼の娘も1人はゴシップ・ネタの多いシンガー、1人が才女タイプのTV番組のシェフに成ってたりしますね。
Acabou Chorare/Novos Bahianos(1972)R#1 M#2 E#8
続いて紹介するのは、これ、「ブラジル音楽のオールタイム・ベストの最有力候補」ですね。そのことは、僕がタイトルの横につけた、オールタイム・ランキングの結果でもお分かりいただけるでしょう。
このノーヴォス・バイアーノスは、その名の通り、カエターノやジルの出身地でもある音楽どころ、バイーア州で結成されたバンドです。一人一人は、その後もソロでの活動も活発なんですが、どうも「トロピカリア」人脈と比べてどうしても知名度は踊るんですけど、このアルバムに関してだけは、「トロピカリア人脈」でさえ手が届かないくらいの人気のホームラン級の傑作ですね。僕は実はこのアルバムの良さがわかるのに時間がかかったクチではあるのですが、この当時のサンタナを筆頭とした「ラテン・ロック」のブームにサンバやサイケデリック・ロックの観点から返答した、非常にグルーヴィーでスケール感のあるMPBロック・サウンドを聴かせていますね。この人たち、メンバー構成がシュガーベイヴみたいで、モラエス・モレイラが山下達郎、ベイビー・ド・ブラジルが大貫妙子、名ギタリストのペペウ・ゴメスが村松邦男といった感じでしょうか。
この人たち、80s以降は付かず離れずで、ソロの合間にたまに再結成してまして、一番最近の再結成、数年前でしたけど、ツアーやった時もかなり大きな話題になりましたね。
Clube Da Esquina/Milton Nascimento& Lo Borges(1972)R#7 M#11 E#2
これまた、「ブラジル音楽のオールタイム1位の最有力候補」の一つですね。黒人名ヴォーカリスト、ミルトン・ナシメントが白人の相棒ロー・ボルジェスとの連名で発表した「Clube Da Esquina」。
ミルトン・ナシメントという人は、さっき、サンパウロとリオを「関東」と言いましたが、そのエリアの3番目の大都市、ミナス・ジェライス州ベロ・オリゾンチを代表するアーティスト。そこではこの当時、有能なセッション・ミュージシャンが集まっていて、彼らがしのぎを削るように良質の作品を作っていました。そういう感覚がちょっとスティーリー・ダンっぽくもあるんですが、このアルバムも実際、初期のスティーリー・ダンとか、その辺りの今風にいうとヨット・ロックの感じがありますね。ミルトンはシンガーソングライターではありますが、その鼻から抜けるような独特の透明感あふれる歌声で非常に人気がありまして、フュージョン・ジャズが人気の時代にアメリカで引っ張りだこになったり、その後もジェイムス・テイラー、ポール・サイモン、さらにはデュラン・デュランのアルバムで、その歌声を披露しています。
ただ、そうしたことを度外視しても、これは非常に「うた」のアルバムとして非常に優れています。のちにデヴィッド・ボウイが「Sue」という晩年の曲でパクッたと言われるミルトン作の「Cais」、そしてブラジル国内で幾度となくカバーされた名曲、僕も大好きです、ロー作の「Trem Azul」。このあたりを聞くだけでも一聴の価値ありです。ミルトンも今なお元気にツアーしてますね。
Krig Ha Bandolo/Raul Seixas(1973)R#12 M#16 E#5
続いては「ブラジリアン・ロックの父」、行きましょう。ハウル・セイシャスです。これまでも、結構ロックの影響を受けてきた人、多いと思うんですけど、どういうわけだかブラジルの場合、これ以前の人は「MPB」と扱い、このハウル以降を「ロック」と定義する人、多いです。なぜだか、よくわからないのですが。
このハウル・セイシャスですが、「ディランっぽい」と称する人は多いです。この人の作った、モジャモジャのヘアスタイルは、今でも物真似ネタの定番でもありますので。ただ、サウンド的にはフォーク・ロックというよりは、「グラム期のデヴィッド・ボウイ」の方にむしろ近かったりしますね。彼の場合、根っこの部分で50sのロカビリーがあって、時に感動的なストリングスのバラード歌ったりするという、この時期のグラム・ロックの「あるある」的なこと、結構やってます。ハウルの場合、彼もなんだかんだでバイーア出身だったりもするんで、そこにブラジル黒人起源の伝統音楽のリズムを時折足したりするところも面白いです。
彼は70s後半近くまですごく人気で、ドラッグとアルコール、彼自身の性格の気まぐれから、80sは作品ごとにレーベル移籍するというトラブルメイカーぶりを発揮したのち、1989年にオーバードーズで他界しています。ただ、彼は死後の評価が極めて高くてですね、未発表曲集、ライブ音源のリリースが絶えず、トリビュート・イベントもすごく多いですね。それはタイトルの横のオールタイム順位でも明らかです。RとMが2000年代、Eが2012年の投票なんですが、順位上がってるでしょ?比較的若いリスナーの間だったら、むしろ「トロピカリア」の人たちより今だったらハウルの方が再評価ある印象、僕もありますからね。
Secos E Molhados/Secos E Molhados(1973)R#5 M#4 E#9
これもブラジル音楽の名盤に必ず上がりますね。セコス・エ・モリャードス。英語に直すと「ドライ&ウェット」の意味を持つバンドのデビュー・アルバム。彼らもハウルと並んで1973年にブラジルで国産ロック・ブームを巻き起こすんですけど、こちらの方が一時的ではあったもののブームとしては飛び抜けてた、という話をよく聞きます。
このジャケ写でもお分かりのように、この人たち、リードシンガーがメイクをしていたことですごく話題でした。このカブキメイク、KISSの世界的なブームより先なんですよ。それゆえ、「KISSより早かった」というネタで常に語られもするのですが、音楽の方はハードロックではなくフォークロックで、このヴォーカルのネイ・マトグロッソの猫が泣くようなファルセット・ヴォイスが一度聞いたら忘れられません。このメイクで、その声で、半裸で体をクネらせながら歌っていたわけです。その当時、子供だった人が言うには、かなりの衝撃だったようです。
バンドはアルバム2枚の時点でネイが脱退したので、それ以降はネイのソロがメインなんですけど、彼は今も元気に活動中。70を過ぎた今も、禿げ上がった頭に銀の粉を全身にまとい、光り物のアクセサリーをジャラジャラつけて半裸で歌ってます。もちろん、ブラジルきってのLGBTアイコンの先駆者です。そしてこのアルバムのジャケ写は、アナログ屋さんに行けば、必ず目立つところに今日置かれています。
Elis & Tom/Elis Regina & Antonio Carlos Jobim(1974)R#11 M#10 E#4
続いては”ボサノバの女王”、エリス・レジーナと、ボサノバきっての作曲家、アントニオ・カルロス・ジョビンとのコラボ盤です。
ジョビンといえば、「イパネマの娘」の作曲家として有名で、それ以外にも60年代、自身のレコーディングでもアルバムたくさん出して、「Wave」みたいな名曲もたくさんあります。1967年にはフランク・シナトラとの共演アルバムもありますからね。シナトラと共演なんて、当時の音楽志す人だったら誰だって飛び上がって喜ぶ偉業ですからね。でも、それ以上に、こと、「ボサノバの名作」としての最高傑作として、エリスとのこのアルバムを挙げる人は、世界的にもそうですけど、ブラジル人はもう「絶対」ってくらいにコレですね。
エリスの方は、「ボサノバの女王」と呼ばれる割には、実はキャリアの始まりはブームの末期(「イパネマの娘」の国際ヒットの後)で、まだ国際的にボサノバの名の通りの良い60s後半に国際的なボサノバ普及を行っていたがために、その印象を持たれています。彼女、本来はジャズやりたかった人で、その影響で実はかなり声のデカいパワー・シンガーでもあって、このアルバムの時期にはもう本当は脱ボサノバの時期だったんですが、エリスの昔からの願いがついにかなったこのアルバムでは、上達した歌唱力と、勢いパワーで押す歌い方への絶妙な抑制加減で、やはり彼女の歌唱の中でもベストで、さらに自身の歌が最大のウィーク・ポイントだったジョビンにも最高のプレゼントになりました。
では、残り半分は明日か明後日ということで