映画「ドント・ルック・アップ」感想 コメディ映画の鬼才アダム・マッケイの世相風刺3部作完成
どうも。
新年最初の当ブログ、最初はこの映画のレビューから行きましょう。これです!
今、話題ですね。ネットフリックスでもどこの国でも大ヒットしてます映画「ドント・ルック・アップ」、これの感想行きましょう。もう、見た方も多くいらっしゃると思いますので、あらすじは手短にいきましょう。
大学院生のケイト(ジェニファー・ローレンス)は地球に急接近する彗星の存在を発見。それを恩師のミンディ博士(レオナルド・ディカプリオ)とともにアメリカ政府に伝えますが
オーリーン大統領(メリル・ストリープ)と息子の次官・ジェイソン(ジョナ・ヒル)は最初「ばかげた話」だとばかりにまともに取り合おうとしません。
ケイトとミンディ博士はなんとか世間に訴えようと大手の大衆ニュース・チャンネルの番組に出演しますが、そこでも番組ホストのブリー・エヴァンティー(ケイト・ブランシェット)とジャック・ブレマー(タイラー・ペリー)に軽いノリで一笑に付されます。これに業を煮やした二人は地球の危機を必死に訴え有名になってしまいます。
しかし、これを受け、オーリーン大統領は急に「彗星による地球の危機」を訴えはじめます。理由は、自分が指名した最高裁判事候補との不倫がスクープされたことへ世間の関心をそらすためでした。
ただ、アメリカ屈指の億万長者の企業家ピーター・イシャウェル(マーク・ライランス)が、彗星の中に地球外物質の存在があると主張。人類滅亡の危機の中でも商売の姿勢を見せ、アメリカ政府もそれに乗ってしまいます。
一方、ミンディ博士は件のTVホストのブリーと不倫の仲に陥り、政府にも丸め込まれてくる始末。これに業を煮やしたケイトは政府を批判。彼女は政府の彗星対策の仕事を追われますが、「反抗の闘志」として左翼の若者たちからの絶大な支持を集めます。そして万引き少年のユール(ティモシー・シャラメ)と打ち解け・・・。
・・といったとこまでにしておきましょう。
これはですね
監督を務めたアダム・マッケイによる、「アメリカ世相風刺コメディ」の、いわば三部作の3作目ですね。
ひとつめは「マネー・ショート」。これは2008年のリーマン・ショックが、いかにアメリカの不動産業界の怠惰な仕事ぶりが招いたかを、かなり経済、不動産関係の難しい言葉と面白おかしい説明で描いたもの。この映画は2015年のオスカーで5部門にノミネート。大前哨戦のひとつのプロデューサー・ギルド・アワードも受賞したこともあり、「作品賞もありえるのでは」のところまで行きましたが、そうはならず。しかし、脚色賞をマッケイ自身が受賞しました。
続く2018年の「VICE」は、ブッシュ息子政権の時代に副大統領をつとめ、9・11の後のアメリカの空気を極右的なものに仕立てあげてしまった張本人ディック・チェイニーを完膚無きままにこき下ろしました。これは賛否と物議を醸しましたが、オスカーに8部門ノミネート。チェイニーを演じたクリスチャン・ベールのメイクを手掛けたチームがオスカーを受賞しました。
「ドント・ルック・アップ」はそれに続く第3弾です。
これは前2作以上に賛否両論が多いですね。ただ「VICE」の際に起きたような「政治的な視点」によるものでは、今回はない気がします。僕の見る限りでは、前2作が、映画を観る人のこと御構い無しに、経済、政治のかなりマニアックで難しいところを遠慮なくズバズバ突きまくっていたところ、今回のやつは、どちらかというと観客側の目線に近いというか、かなりわかりやすく噛み砕いた感じがするんですよね。そこを「迎合」ととるかとらないか。そこのところで評価が分かれる気がしましたね。
僕のイメージでは
とかく、トランプ政権の到来以来、「未来を暗示していた」として引き合いに出される2006年の映画「26世紀青年」、こと「Idiocracy」に似てますね。
あの映画も、「500年後の世の中はこんなに政府がバカに」という映画でしたけど、今回のヤツの方は、もはや現実に起こってる利己主義的でバカな世界の「あるある」を連発しているだけ、もはや「現代批評」になってるところが悲しいところではあるんですけど(笑)、僕はこれ、「Idiocracy」よりは上だと思いますね。
だって「Idiocracy」がやろうとしてやれなかった次元に達しているから。なにしろ
ジェニファー・ローレンス、ケイト・ブランシェット、メリル・ストリープ。それぞれ2世代ずつ年が違いますが、そのジェネレーションの最強の女優に、ここまで滑稽な映画で超真面目に渾身の演技させてますからね(笑)。話のチープさに対して、彼女たちの熱の入りよう、特にJ-Rawはすごかったですね。3人ともにオスカーの主演女優賞経験者ですしね。
あと、「力一杯の演技」といえば、やっぱレオも同様です。今回、いつになくカッコ悪い科学者の役なんですけど、ここぞとばかりの本気出した時の演技、やっぱりすごいですよ。「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」でのB級ウェスタン役者が開眼するときの名役者ぶりを見て、「やっぱ、すごい表現力豊かよね、この人」と思いましたけど、その片鱗はここでも生きてます。
それから
マーク・ライランスの、いかがわしい実業家も、その、現代社会につきものないかにもな「嫌われる億万長者オーラ」出してて笑えましたね(笑)。「地球が滅びるときでもビジネス・チャンス」は今回の映画の肝なんですけど、そこをうまい具合に締めてましたね。
すごいよなあ。この映画、ここ10年以内でのオスカー受賞者5人も出てるんだからな(笑)。
このほかにも、この手の映画に不可欠なジョナ・ヒルはやっぱり脇でしっかり存在感アピールしてたし
それから
アリアナ・グランデとキッド・カディが、いまどきの「ゴシップで売ってなんぼ」の軽くてゆるいポップスター像をカリカチュア的に適材適所に演じてたのも笑えましたね。「普段軽い奴が、社会で問題が起きればそれにちなんだ曲も出す」というのも、なんともチクリな風刺です(笑)。
という感じの作品なんですが、これ、大げさにたとえるのならば
これを思い出させも、一応しますね。「博士の異常な愛情」「2001年宇宙の旅」、そして「時計仕掛けのオレンジ」のキューブリックの近未来三部作。独特なブラック・ユーモアと共に世相を切る感じは、やっぱちょっと似てますね。
が!
キューブリックほどのカリスマ性はない。
のも、これまた事実です。
というか、マッケイ自身が「そんなの、恐れ多くて勘弁」と思ってると思います。
だってこの人、この三部作の前まで
ウィル・フェレルの主演映画しか作ってきてなかったんだから(笑)!
さらにいえば
2000年代から10年代にかけては、アメリカきってのコメディ・サイト「Funny Or Die」の主催者でした。
このように、コメディがコテコテに染み付いた人なんですよね。僕は、彼が初の監督を手掛けた「俺たちニュースキャスター」(2004)のときから彼を知ってて、僕自身のアイコンにまで長きにわたってしてたくらいなので熱烈な大ファンなんですけど(笑)、それを知っているだけに、今日のカリスマ的出世がまだ信じられないですね。
「俺たちニュースキャスター」をロンドン旅行の機内放送で初めて見たとき、「世の中にここまで面白いものがあるんだ」と思って、お腹痛くて息できなくなるくらい笑い転げたあの笑撃がある種の知性に裏付けられたもので、それがこのように別の形で育まれて行くのを見るのは、感慨深いものがありますね。僕が「音楽だけじゃダメだ。映画もアメリカのお笑いも欠かさずチェックしなきゃ」と思った最大のキッカケでもあるんですよね。
今はもう、ウィル・フェレルとは喧嘩別れしたようでそれはすごく悲しい(僕がアイコンをウィルから自分の写真に変えた理由がソレです)ですけどね。ウィルは最近、たまに面白いのもあるんですけど、マッケイ離れてからが基本つまらなくなってるのが気にはなるんですけどね。そのうち、また二人で面白いことやって欲しくはあるんですけど、それまではマッケイのさらなる進化に期待したいと思っています。
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