2021年のオスカーのエンディング最悪の”事故”が許されない理由
どうも。
いやあ、もう、これはひどかった!
なにがかって、これですよ。
この、アンソニー・ホプキンスが主演男優賞でチャドウィック・ボーズマンに勝って受賞した、という話です。
いやあ、この結果そのものも、「アンソニーじゃなきゃ、ダメなものなの??」「チャドウィック、もうオスカー取る機会、今後もう、ないんだよ」と思うと、「頼むよ。空気読めよ」とは思うんですけど、それよりもですね
なぜ、いつものように作品賞で最後を締めくくらなかったのか!!
もう、これが全てですよね。
別にそんな、多くの人が「ワカンダ・フォーエヴァー」を唱えたかった気分を踏みにじられた、なんてことが、本来ラストになる必然性がまずないんですよ。だいたい、オスカーの受賞の順番において、主演男優賞というのはおしまいから数えて3番目に与えられる賞って決まってましたからね。最後に発表されなければならないものではないんですよ。
これがもし、通常通りの発表順であれば、「そうかあ、チャドウィック、オスカー取れなかったか」と落胆はするものの、それを、その必然性がないエンディングでいやな気分が倍加することはなかったんですよね。
で、今回僕、調べたんですよ。過去にオスカーが作品賞で終わらなかったことがあるのか。
するとですね
1948年の授賞式以降、1回の例外を除いて全て作品賞が最後
こういう結果が出たわけです。つまり、過去73回中1回しか作品賞が最後にならなかった年はなかった、ということです。オスカーは今回が93回目なので、最初の20回くらいは特に決まってなかったんですって。それが第二次世界大戦後のオスカーから順番が決まりだした、ということです。だからこれ、オスカーのテレビ中継はじまって以降の伝統、と言って良いものだと思います。
で、そのたった1回の例外が何だったかというと
1972年のオスカーで、チャーリー・チャップリンへの功労賞授与を最後にしたこと。たったこれだけです。しかし、このときでさえ、主要部門で作品賞が最後に発表されたことには変わりはなく、これ以降の統計で言っても48年連続して作品賞の発表がラストだったわけです。
となると、もう、このチャップリンのことが記憶にある人だってもう還暦を超えている人でしょうし、1947年以前のオスカーを覚えているなんていったら、もう90歳くらいになりますから、人々の間で、「作品賞以外のエンディング」というのが極めて考えにくかったんですよ。
だから、その伝統の順番を代える、というのは相当、異例なことだったんです。
これは
この日の進行を担当した、人気監督でもありますスティーヴン・ソダーバーグのアイデアだったらしいんですけどね。
おそらく彼としては
「最後をチャドウィックの追悼で締めよう」。きっと、そう考えたのでしょう。
オスカーの場合、過去に物故者が演技賞を受賞することは珍しいことではなく
1977年のオスカーでの「ネットワーク」のピーター・フィンチ、2009年のオスカーでの「ダークナイト」のヒース・レジャー。こういう例もあるし、チャドウィックの場合は「ブラックパンサー」の記録的ヒットも記憶に新しいからチャドウィック追悼でさぞや盛り上がるだろう。そんな計算だったと思うんですよね。
が!
過去の物故者だって別に最後に受賞はやってなかった。
そう考えても、これおかしいんですよ。過去の物故者にそんな持ち上げがなかったのに、いくら人気と注目度が高からといって、なんでそこまで特別扱いなの?その違和感は受賞発表の前までに感じてました。
そして、ふたをあけてみれば
誰もがチャドウィックの圧勝を予想する中、ほとんどの人にとってノーマークだったアンソニー・ホプキンスが受賞してしまいました。
まあ、言っても彼、BAFTAの主演男優賞はとってはいたんですけどね。でも、あれだって、「イギリスのアワードだからイギリスびいきで花持たせたんだろう」くらいのものであって、オスカーで勝つなんて夢にも思われていませんでした。
・・これなあ、事前に結果知ってたら、こんな演出、させられませんよね。
だって、そうじゃないですか。よりによってチャドウィックって、ブラックパンサーという、黒人映画史上空前のヒットを作って、多くの人たちにっとっての黒人のヒーローのイメージだったわけじゃないですか。それが、過去にも受賞経験のある白人の高齢の俳優に敗れてしまった。このイメージがなあ。ハリウッドが長いこと時間をかけて払拭したい「人種や性別に関しての保守性」をアピールするようなことに皮肉にもなってしまった。
それが痛いですよね。
アンソニー本人もいたたまれないと思ったのか
翌朝、地元のウェールズから、自身の受賞への感謝、そしてチャドウィックを讃えるメッセージを発しました。
なんでもアンソニー、自分の受賞はないと思い込んでいて、オスカーの会場に行かなかったどころか、発表の瞬間、家でもう寝ていたっていうんですよね・・。本人でさえ、この期待値だったというのに。
これ、見ててですね。
2017年のグラミー賞で、大本命だったビヨンセにアルバム・オブ・ジ・イヤーでまさかの勝利をしてしまったアデルが「ビヨンセが勝つべきだった」とスピーチした、あの瞬間にそっくりなんですよね。
もう、このバツの悪さと言ったらね。
で、さらにもう一個あるんですよね。
順番を変えたことによって、本来、最後に一番スポットを浴びるべきだった作品賞の「ノマドランド」、これにも失礼なんですよね。しかも、監督が中国人のクロエ・ジャオだったりもするものですからね。オスカー主催者でさえ計算外だったであろう「白人男性エンディング」になってしまったことで、ポリコレ努力が水の泡になってしまったというね。
もう、このエンディングでのどっちらか
2017年にいったん「ララ・ランド」と発表された作品賞が実は「ムーンライト」だった、というあの失態。あれからまだ4年しか経ってないのに、こんなミスをまたやってしまうとはねえ。
授賞式の運営、もう少し注意深くやったほうがいいですよね、オスカーも。