《独自選出》ラテンアメリカ・ロックアルバム50選 20~11位
どうも。
ラテンアメリカ・ロックアルバム50選、いよいよ大詰めが近づいてきています。
今回はいよいよトップ20。20位から11位に行きますが、こんな感じです!
もう、ここまでくると、本当に僕自身大好きな作品ばかりです。早速20位から行きましょう。
20.La Revolución de Emiliano Zapata/La Revolución de Emiliano Zapata🇲🇽
「メキシコのウッドストック」の時代を代表する伝説のハードサイケ・バンド
20位は、グループ名が長いです。ラ・レヴォルシオン・デ・エミリアーノ・サパタ。これは、1950年代にマーロン・ブランドが主演して彼の若い時の代表作になりました「革命児サパタ」。実在したメキシコの英雄をモチーフにしたバンドです。こういうバンドです。
もう、いかにも1960年代の終わりころのバンドのイメージですよね。この時期、実はメキシコのロックの大全盛期でありまして、とりわけサイケデリックなハードロックの好バンドが目白押しだったんですよね。おそらくこれ、メキシコ出身でサンフランシスコから出てきたサンタナに触発されたところが大きかったんじゃないかな。「なら、俺も!」とばかりにいいバンドが目白押しです。その一つが、44位のエル・トリのところでも触れた、1971年の「メキシコのウッドストック」ことアヴァーンダロ・フェスティバルのヘッドライナーだったスリー・ソウルズ・イン・マイ・マインドだったり、かなりドロドロなサイケデリック・バンドだったロス・ドゥグドゥグスなどがいるんですけど、こと完成度に関しては、このサパタが圧倒的ですね。重厚感とアタックの強いリフに豪快な展開力に関してはツェッペリンとかディープ・パープルみたいな当時のトップクラスのハードロック・バンドに負けてませんね。音の歪みのセンスもすごくよく、それこそゆらゆら帝国の初期みたいでもあり。しかも英語詞で歌うから英米のバンドにしっかり聞こえるんですよ。伝さえあれば英語圏でも勝負出来た気がするんですけど、それを証明するように、この中の収録曲「Nasty Sex」はヨーロッパでヒット。それもあり、この世代のメキシコのバンドでは頭一つ人気が抜けてたようです。ただ、アヴァーンダロの後の政府の締め付けでロック人気が急降下。彼らは溢れてた才能にもかかわらずラテン・バラードを歌うバンドに転向してしまいました。ただ再評価があったおかげで昔の面影こそないもののまだ活動続けていたり、さらには本作収録の「Ciudad Perdida」が2019年にオスカー作品賞の有力候補になったネットフリックス映画、アルフォンソ・キュアロン監督の「Roma」に使われたことで再注目されたりしています。
19.Fome/Los Tres (1997)🇨🇱
ラテン・アメリカ最高の「60年代最解釈の90年代バンド」
19位はチリのバンドです。ロス・トレス。トレスというのは英語で言うところのスリー、3の意味なんですけど、こういうバンドです。
4人いますね。この後、3人になったり、現在5人らしいので人数は関係ないようです。このロス・トレスですが、90sのチリを代表するバンドで、チリ関係のSpotifyのロックのプレイリストには必ず目立つ位置にある人たちです。ただ、僕に関して言えば、彼らの場合は、キャリア全体というより、このアルバムが飛び抜けて好きなんですよね。90年代って、80年代の反動でもっと自然な生演奏に近いスタイルが好まれ、特に60年代サウンドに回帰する動きがアメリカでもイギリスでも生まれたものなんですけど、その感覚でいえばこれ、世界でも屈指に解釈が素晴らしいアルバムです。なんかビートルズの「リボルバー」とかビーチボーイズの「ペット・サウンズ」とか、初期キンクスとかバーズへの憧れを90sのテクノロジーで、あの当時の感じを生かしながらも当時に機材技術的に追いついてなかったところを補完表現しようとしたところがすごく唸りますね。とりわけ、ファズとかフィードバックの放つサイケデリックなエッジ、これを90sの出力にすごくうまく還元できてますね。この人たち、もともとは同じ60sでもマージービートの頃のビートルズにラテン・フォーク混ぜたような感じだったんですけど、そこから興味が少し下って60年代半ばを表現しようとしたらケミストリーが働いて持ってる才能が開花した感じですね。どうやらここで彼ら自身開花したのか、ここから先はこういうサウンドが目立ってますね。1回解散した後は2010年にアルバムを出したきり、後はライブ主体になってるようですけど、もう一花咲かせてもいいかもしれません。
18.Alturas De Machu Picchu/Los Jaivas (1981)🇨🇱
神秘のアンデス・プログレの傑作!
18位。これまたチリのバンドです。ロス・ハイヴァス。このバンドはチリでは最古参のバンドです。こういう人たちです。
これは、このアルバムに近い時期だと思うんですけど、見た目から強烈でしょ?この人たち、結成そのものは1963年。この当時チリはまだロックじゃなくて、フォークロアの大全盛です。フォーク・ミュージックはアメリカでもそうなんですけど、そもそもが山地で強い伝統を持つ音楽なんですね。そこいくとチリというのは国全体がアンデス山脈の国ですからフォークが土壌なんですね。ポンチョみたいな服着てアコースティック・ギターとオカリナみたいな笛吹いてる姿、見たことありません?あのイメージです。
こうして学生時代のフォークロアのバンドとしてスタートした彼らですが、1971年にデビューする頃にはジャズの影響、さらにはエレキギターもかなり達者に使ってまして、ポリリズムを主体とした比較的長尺の演奏を聴かせてたんですね。この時点でもかなり独創的で有望なバンドだったんですけど、作品を積み重ねることによってより明確にプログレ色がサウンドだけでなく、アートワークや衣装にまではっきり現れることになります。その頂点とも言えるのが、その名も「マチュピチュの高み」と銘打たれた1981年の本作。ここでは大胆にシンセサイザーを導入。それがケーナ、あの長い縦笛みたいなやつですね、それとアコースティック・ギター、さらに民族打楽器と調和することによって壮大かつ神秘の世界観を築き上げています。時代は世界的にはプログレ終わってましたけど、時期的に日本の喜多郎がシンセで「シルクロード」やってた頃とほぼ近い頃ですね。シーンの中心にいないからこそできた実験性というか。それでいて、曲としてうまくまとまっていて、飽きないのも本作の大きな魅力です。プログレ嫌いな人にこそ聞いて欲しいです。
彼ら、今、70代ですけど活動継続中です。世襲制が始まってるらしく、オリジナル・メンバーの娘さんがメンバーになったりしています。
17.El Derecho De Vivir Em Paz/Victor Jara(1971)🇨🇱
なおも「民衆の反抗」の象徴の伝説のフォークシンガー
チリが3つ続きます。17位はヴィクトル・ハラ。この人の存在は南米社会においては音楽にとどまる存在ではないですね。もう、チェ・ゲバラとか、その次元の、社会の不平等や圧政に立ち向かった「民衆のヒーロー」の扱いで今日まで語られ続けています。
チリという国は昔から貧富の差が非常に激しい国で先住民とヨーロッパからの移民とによる人種差別も厳しい国です。そんな中、1971年に社会主義政権ができるわけなんですけど、それはクーデターや革命でなく、民衆の選挙で決まりました。そこには社会運動の存在があったわけですけど、それを音楽で支えたのが「ヌエバ・カンシオン(新しい音楽)」の旗手であったハラの存在です。チリでは早くから、戦前くらいですからかね、アメリカでのようなウディ・ガスリーやピート・シーガーのような左翼思想を持ったフォークが盛んでハラも大学生の時にこのムーヴメントに参加します。時代的にはボブ・ディランと同じ時期ではあるんですが、彼から直接60年代の同時代のアメリカのフォークからの影響って確認できなく、むしろ南米マナーのフォークの影響が強いです。それゆえ、彼の歌にはブルースっぽい要素が少なく、むしろキラキラした感じのメロディに彼自身の透明感あふれる歌声が乗る感じ、イメージとしてはジョーン・バエズに近いイメージですね。だから歌詞を見なかったらロックとは言いがたいところは正直なところあります。ただ、そこで歌われる歌詞は、このアルバム名「平和に生きる権利」が示すように、国内で悲惨な人生を過ごす人の現実を直視し、その上でポジティヴな未来社会への希望を歌うポジティヴなものでした。
しかし1973年9月11日、南米で911というとこの日のことなんですが、ピノチェ将軍による軍事クーデターにより、ハラはサッカースタジアムで暗殺されてしまいます。このクーデターは人類史上最悪規模の死者を生んだ非常に悪名高いもので、1982年の「ミッシング」を始め数々の映画の主題にもなっています。そんなチリも1990年にピノチェの独裁政権が終わり、現在は左派政権で、ハラが殺された国立スタジアムはビクトル・ハラ・スタジアムに改称。2019年に当時の保守政権下でピノチェ独裁政権時代に作られた憲法を改正しようとする民衆運動ではデモで「平和に生きる権利」が歌われていました。
16.Fruto Proibido/Rita Lee (1975)🇧🇷
南米どころか世界の女性ロックシンガーの先駆
16位はヒタ・リー。ブラジル、そして南米が世界に誇る女性ロックシンガーです。彼女のことは今年の5月、亡くなった際に追悼記事を書いたので、もしかしたらそれでご存知の方もいらっしゃるかもしれません。
この彼女なんですが、キャリアは60年代からありまして、オス・ムタンチスの女性ヴォーカリストです。このムタンチスがどういう存在だったかはムタンチスの順位(かなり上位です)のところで後で触れるとして、ここではソロに特化しますね。彼女はムタンチス在籍時に2枚ソロを出していていて、日本ではその時のものが日本盤ででてるので誤解されてるところがあるんですが、72年にムタンチスがプログレ化したのに伴い脱退。そこでヒタは、彼女が本来大好きなローリング・ストーンズやデヴィッド・ボウイのようなロックンロールを追求。それが身を結んだのが本格ソロの2枚目、「禁じられた果実」を意味するこのアルバム。これが出たのがパティ・スミスの「ホーセズ」や、スティーヴィー・ニックスがフリートウッド・マックに初めて加入した時の「ファンタスティック・マック」と同じ1975年なんですが、その時点でこの洒落たジャケ写のセンス。この時点で女性ロッカーの先駆たる見本を示しているんですけど、代表曲となった「Agora Só Falta Você」「Luz Del Fuego」そしてブラジル国内ではアンセムの1曲です「Esse Tal De Roque Enrow」といった、ブギー調のグルーヴィーな3コードのロックンロールを聞かせてくれています。その一方で、まさにフリートウッド・マック的なピアノのミドルナンバーの名曲「Ovelha Negra」まであって。女性ロッカーのパイオニアであり、女性のロックンロール・アルバムでも長い目で見てワン・オブ・ベストの内容です。ちょっと低めの声で体温低めに会えて冷めた仕草で歌う姿もまたセクシーなんですよね。
ヒタはヒットのイメージから行くと、80年代に入ってシティ・ポップ調の、この人、ユーミンみたいな都会の女性のライフスタイルを描いた作詞家センスもあるんですけど、洒落たシティ・ポップ調の曲でヒットを連発。そっちから選ぼうかとも思ったんですが、彼女の基本であり、後期にまたそちら側に戻った、やはりロックンロールなスタイルをまずは知っていただきたいです。これはローリング・ストーンのセレクトでも41位に選ばれています。
15.La Grasa De Las Capitales/Serú Girán (1979)🇦🇷
アルゼンチン発のスーパーバンドのプログレ・シティポップ
15位、今度はアルゼンチンのバンド、行きましょう。セル・ヒラン。彼らは70年代から80年代初頭にかけて活動したバンド。そのジャケ写の右から2番目に映っているアルゼンチン・ロック界の巨人、チャーリー・ガルシアのバンドと一般的に目されがちですが。すごいのは彼一人ではありません。まず、70年代前半にフォーク・デュオ、スイ・ジェネリスの片割れとして一世を風靡したチャーリーがヴォーカルとキーボード、同国のロック界もう一人の巨人ルイス・アルベルト・スピネッタとのバンド、ペスカード・ラビオーゾを組んでいたダヴィド・レボーンがギター、アルゼンチンで最初に成功したバンド、ロス・ガットスのオスカル・モロがドラマー、ベースは当時は10代で無名も後にジャズ界の有名ベーシストになるペドロ・アスナール。アルゼンチン初のスーパーバンドだったわけです。
そんな彼らはどんなバンドだったかというと、端的に言ってしまえばテクニカル志向のプログレです。ただ同時に、チャーリーのメロディックなソングライターの才能を活かしたバンドでもありました。そのソングライティング・センスは70年代後半の西海岸のAOR的なテイストでしたが、チャーリー自身が強く影響を受けているクラシックや10ccのシアトリカルなポップ・センスも受け継いでいました。聴いて思うのはスーパートランプとか、スパークスから演劇調なところを差し引いた感じにも聞こえますね。それからペドロのジャコ・パストリアスばりのフレットレス・ベースの浮遊感も武器になってますね。彼らは3枚アルバムを出していて、そのいずれもが評判高いんですけど、その中でもとりわけ美しいバラード「Viernes 3 AM(金曜午前3時)」が収録されたこのセカンドですね。このアルバムのみ、40周年記念エディションも出ているので彼らの中でも重要なのでしょう。プログレで語られもすでにしているんですけど、シティポップ・ブームの中で見つけられて欲しい1枚でもあります。
14.Gita/Raul Seixas (1974) 🇧🇷
ブラジル、南米唯一無二の豪放磊落ロケンローラー
14位はハウル・セイシャス。70年代のブラジルが誇る、別名「ロックの父」とも呼ばれるロックンローラーです。70年代のブラジル国内にはロックの影響をビートルズのサージェント・ペパーズの頃から受けているカエターノ・ヴェローゾやジルベルト・ジルがいるし、近年ではミルトン・ナシメントのこの頃の作品は世界的に大人気です。でもこのあたりの人たちはブラジルだとMPBと呼ばれてロック扱いされず、あくまでロックのキングはハウル、クイーンはヒタ・リーです。
このハウルですが、出身はバイーア州サルヴァドール。一般的に広大で貧しい北東部の中の最大の都市で、カエターノと同じです。ただ、カエターノが元がボサノバとかジャズでサイケデリック期にロックを経由してブラジル固有の表現に回帰したのに対し、ハウルは中学生でエルヴィスのファンクラブ作るほどロックンロールに傾倒し、1967年にはブラジルでは極めて珍しかったブリティッシュ・ビート型のバンド組んでデビューしてます。ただ本格的に成功したのは70年代。彼がいかにもヒッピーなボサボサなの髪と口周りのボーボーのヒゲという生涯のトレードマークを身にまとい始めてからですね。そして、1973年、これの前作にあたる、ローリングストーンのセレクトで43位に選ばれた「Krig-ha! Bandolo」の大ブレイクで一躍スターになります。ソロの男性シンガーだと南米で最初なんじゃないかな。このアルバムでもよかったんですけど、彼、1977年くらいまでのアルバム、どれもいいんですよ。サウンドの方も基本パターンあって「ワイルドなロカビリー」「ストリングスをバックにした、泣きそうな声で歌うバラード」「ブラジル北部の伝統のグルーヴによるファンク」という不思議な組み合わせで、一旦好きになるとこれがクセになるんですけど、力任せの高音の伸ばしとかファルセットとかすごくテクニック的にも美味いんですよね。で、なぜこれにしたかというと、このアルバムに「Sociedade Alternativa」という2013年にブルース・スプリングスティーンがブラジル公演した際に何の予告もなしにカバーしたファンキーな曲が入ってるのと、タイトル曲がグラム期のボウイみたいな雄大なストリングスのロックでカッコいいから。あと、ビッグバンド・ジャズからボサノバまで歌ってて幅も広い。加えて作詞担当が後のベストセラー作家のパウロ・コエーリョだったりもします。
70年代には大スターだった彼も、アルコール、ドラッグの問題が酷く、80年代は一作ごとにレコード契約が変わる状況で、89年、オーバードーズで43歳の若さで急死します。ただ、彼の人気、本当に絶大でTシャツ着てるおじさんも見るし、ラジオではよくかかるし、ファンイベントもよくやってるし。根強い人気ですよ。
13.Entren Los Que Quieran/Calle 13 (2010)🇵🇷
ラテン・アメリカ史上最強の戦うヒップホップ・デュオ
13位は、これは今回のランキング初めてですね。プエルトリコのアーティスト。しかも厳密な意味でロックではありません。カージェ13(トレーセ)。この人たちはここ15年くらいのアーティストですが「中南米で最も重要」という人も少なくないです。ラテン・グラミーなんかでよくノミネート、受賞してたので僕もそこから知ってましたけど、南米ロックのNetflixドキュメンタリー「魂の解放」でも、うるさ型のロック関係者たちから「こいつらみたいな存在が本来のロックのあるべき姿だ!」と激唱されまして、それが彼らをこの高いランクで入れてみたくなった理由でもあります。
彼らはレジデンテというラッパーと、ヴィジタンテという、ステージでエレキギターを弾いたりするプロデューサーによる2人組。2005年にデビューし、最初の方のアルバムはプエルトリコらしいとでもいうか、レゲトンだったんですよね。そこにサルサとかクンビアとか混ぜてすごく南米っぽさをサウンドでは出してたんですよね。ただ2枚目のアルバムでプエルトリコ独立運動のリーダーの暗殺を行ったFBIを批判し始めてから政治意識が上がり、2008年のサードアルバムでトラックのロック度を上げパナマの名シンガーのルーベン・ブラデスやメキシコのナンバー1バンドのカフェ・タクーバとも共演するなど、中南米全体へ意識を上げます。
それが4作目の本作となると、その意識が世界規模に拡大します。のっけからギター弾いてるのがマーズ・ヴォルタのオマー・ロドリゲス・ロペス。さらにはブラジルからエリス・レジーナの娘のマリア・ヒタ、アフリカからフェラ・クティの息子のセウン・クティとグローバルなメンツが並ぶ上に、歌詞はプエルトリコの政治腐敗の話から、70年代の南米を軍事政権の恐怖に陥れたアメリカ主導のコンドル作戦への痛烈な批判まで。この辺りのアティチュードは確かにレイジ・アゲインスト・ザ・マシーン的なんですよね。とりわけレジデンテは貧しい地域への物資の提供を呼びかけたり、南米各地の大学生のデモに参加したりと、実生活でもかなりの活動家なんですよね。ケンドリック・ラマーでもここまでしないですからね。確かにこれはジャンルに関係なく注目すべき存在だと思います。
12.Transa/Caetano Veloso (1972)🇧🇷
カエターノ版の「ジョンの魂」的ポジション
そして12位にカエターノ・ヴェローゾ。ブラジルが世界に誇るカリスマです。カエターノ、ブラジルではもちろん誰でも知ってる大物ではあるし、日常で姿、いろんなメディアでしょっちゅう見ます。80月越えようがそれは全く変わりません。ただ、先ほども言いましたように、カエターノ、ブラジルではロックファンからの評価が高くないんですよね。それはさすがに僕もおかしいと思います。60年代後半のトロピカリアのムーヴメントをサイケデリック・ロックで牽引したの、間違いなくカエターノだったわけだし。そして、その最中の1960年代末、カエターノは時の軍事政権から目をつけられ、ロンドンに亡命せざるをえなくなります。
その間にロンドンで1枚レコーディングした作品もあってそれも素晴らしい作品ではあるんですけど、それよりもその次のアルバムのこのアルバム「トランサ」ですね。これは71年にカエターノが両親の結婚40周年祝いで特別に帰国が認められ、そのタイミングにレコーディングしたものです。ここで貯めていたホームシックが溢れ出て、ロンドンの生活で感じていた「誰も知り合いがいない孤独」を一気に吐き出した内省的な内容となってますね。サウンドも、エレキギターを弾いてて、カエターノの作品としては珍しく全編英語で歌われてるんですけど、その姿、音色から感じられるのはビートルズ解散直後のジョン・レノンのアルバムですね。60sに実験するところまでやっておいて、70sが明ければ一転してシンプルになり、心に巣くってきたものを吐露する内省性。そこにすごく個人的にも共鳴するし、ここまでのカエターノはやっぱりロックだったんだなと思いますね。
ただ、そこから正式に帰国して以降、カエターノの表現はよりブラジル的になり、そこからロック的な表現からも離れていくんですよね。それ以降、彼はブラジルではMPBのキングではあってもロックファンからは「最後に良かったのいつ以来だ」と揶揄される存在位にもなってまして。それが2000年代に入って、ファズのガンガンかかっったエレキギターの3ピース・バンドをやりまして、その時にブラジルのファんから「ようやくロックに戻った」と喜ばれていた事実もありますね。
11.Dois/Legião Urbana (1986)🇧🇷
ブラジル・ロック界を制した「ブラジルのザ・スミス」
そして11位にレジアォン・ウルバーナ。ブラジルのロック史が産み落とした、間違いなく史上最大のバンドです。今回の特集で心残りだったのは80年代のブラジルのバンドブームからランクインさせれたバンドが少なかったことですね。38位に選んだパララマス・ド・スセッソ以外に選べてなかったですからね。本当はサンパウロのシーン最大の存在の大御所バンドのチタンスとか、ロック・イン・リオで注目され寵児になったもののエイズで33歳の若さで他界した美形ロッカーのカズーサとかですね。カズーサはつい最近あったマネスキンのリオ公演でカバー捧げたとも聞いてるし、「だったら入れときゃよかったな」とも思ってたとこです。キャラは面白いけど、音楽的な面白さの点でそこまで面白くなかったもので。
で、レジアオン・ウルバーナがどんなバンドだったかというと、人工的に作られた首都ブラジリアで最初に有名になった人スターですね。初期は4人組、のちに3人になっています。
バンドというより、リードシンガー見てみましょう。
はい。このヘナート・フッソという男。メガネかけて小柄でという、ロックスターとしては全く異質の存在です。そんな彼は、この写真で想像つくようにステージのマイクに花を飾って、体をクネクネ揺らしながら歌いんですけど、その姿、まんまモリッシーであり、野太い美声とアルペジオのギターが主体だったことでまんまザ・スミスだったんですよね。「ブラジルのモリッシー」であり「ブラジルのザ・スミス」だったわけです。でも、これすごいのは、そんなフォロワーが、本国と1年くらいしかタイミングが遅れずに出現したことですね。ザ・スミスのデビューが1983年なんですけど、レジアオンは1985年だし、バンドとしての全盛期も1986、87年と、まだスミスが存在していた時代ですからね。そんな時期からスミスに目をつけていた感性すごいんですけどね。
そんなレジアオン、4枚目くらいまでのアルバム、どれもいいんですけど、代表曲の多さで文句なしにセカンド・アルバムのこれになりますね。イントロのアルペジオの切なさがかっこいい「Tempo Perdido」を筆頭にフォークバラッドの「Edouardo E Monica」,打ち込みのミニマリズムからのエモい熱唱ソング「Indios」など代表曲が目白押しですからね。やっぱ、これらの知名度でどうしてもこれになりますね。
そんなヘナートでしたが、1996年にエイズが疑われる病気で36歳の若さで急死してしまいます。ただ、その後もレジオアンは延々とカタログが売れ続け、ロック・イン・リオでの追悼ステージや、伝記映画などでも話題となり、いつでもリスペクトされていますね。