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エイミー・ワインハウスが逝って10年

どうも。

昨日の記事に関しての話で僕もいろいろ考えてる方が多いんですけど、今日はあえてこちらで

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世紀の大天才シンガー、エイミー・ワインハウスが世を去って、今日で10年が経ちました。

これらの曲を中心とした

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2006年の秋に出た不朽の名作「Back To Black」。あれは本当に衝撃でした。このときの印象は、「21世紀の現在を生きる不良娘が、豊富すぎる知識を背景に40〜50年代のジャズや60年代のソウル、ガールグループといったレトロ要素を完全に現代のものとして今の時代に生かして表現してる」というものでした。

 彼女の存在は単なるR&Bとも違ったし、このあとに出てくるいわゆる「エンパワメント」なタイプの女性シンガーたちとも全く違いました。「Back To Black」の日本での売り出しはそれゆえ時間がかかったのか、日本では2007年夏のリリースでしたけど

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その当時に僕がやってたメディア「Hard To Explain」でも、まさにこの写真を使って小型のフリーペーパーの表紙にしました。おそらく、あの当時に日本で唯一の表紙だったのではないでしょうか。

 僕がエイミーを知ったのは、この前のアルバムでした。

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これを2005年の2月にロンドンに行った時、トッテナム・コートロードにあったHMVの試聴機で見つけて聞いたのが最初でした。

「ああ、これ、たしかにイギリスのチャート入ってたよな」と思い、手をとってきいたときに「えっ、こんな思いっきりジャズなアルバムがなんでこんなに!」と驚いたのを覚えてます。しかも、あの鼻にかかった独特な歌いっぷりは、本当に古の名ジャズ・シンガーのようで。

 そのときには「かなり限られたマーケットで売っていくタイプなのかな」と思い込んでいたんですよね。それだけに「Back To Black」の現象的な成功が驚きで。それですごく気になってたんですよね。

 で、2007年は僕にとってはエイミー・イヤーでした。Hard To Explainのパーティでも率先してエイミーの曲をかけて踊らせてましたからね。彼女に関しての文もよく書いてました。

 そして

2008年のドラッグ問題でアメリカ入国ができない中でのグラミー賞の圧勝。

このシーン、のちにドキュメンタリー映画「Amy」で明らかになったように、エイミー、自分のグラミーのことそっちのけで、「私のアイドルのトニー・ベネットがプレゼンターをしてくれるなんて」って、そっちの方に興奮してたんですよね。それを見て、「なんて音楽を純粋に愛していた人だったんだ」と、さらにエイミーを愛した瞬間でした。

 ただ、そのあとはドラッグ禍、それに伴うトラブルでほとんど活動できず。聞こえてきたのは

このズートンズのカバーの「ヴァレリー」のヒットくらいだったかな。

僕も活動の再開をすごく望んでいた矢先の2011年1月

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エイミーがブラジルにやってきました。サンパウロのアニェンビ・アリーナというところでやりました。豪華なライブだったんですよ。前座がジャネール・モネエで!ジャネールのこのときのライブがまた圧巻でね。「エイミー、喰われるんじゃないか」と思って心配しましたから。

で、かなり遅れて登場したエイミーは、挙動不振でもう最初の方が全然ダメでね。見ていてオーディエンス全体がすごく心配に彼女を見守りました。

 で、これ、本当にびっくりしたんですけど、彼女、鼻を指で押さえたあと、とたんに調子出てきたんですね。「ゲッ、マジかよ」と思ったんですけど、あきらかに指でコカイン、鼻にこすりつけてた瞬間でした。ああいうものを見たのは、今の所、あれが最初で最後です。

このときのライブの模様は

こういう形で旧ブログでも書いてますので、興味のある方は読んでください。

 この混乱のライブから半年して、エイミーは世を去ってしまいました。

そして、2015年にこのドキュメンタリー「エイミー」を見て、僕がそれまで気がつき損ねていた、彼女の悲しい境遇を知り、胸が痛くなりました。

彼女を金づるのように利用した父親、そして、恋人だったブレイク。彼らへの怒りと、エイミーのやるせなさ。誰よりも音楽を深く追求し、それをどう時代に他に類を見ない声で自身の表現に絶妙に変換してみせた。その意味で彼女は時代を変えたと思います。

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かのジャック・ホワイトが言った有名な言葉に「エイミーがいなかったらアデルもラナ・デル・レイもいなかった」というのがありますが、本当にその通りで彼女たちがエイミーからトーチを受け継いだと僕は信じています。

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ラナはデビュー前に彼女と親交があったようで、これをはじめ複数の写真がでてきますよ。

しかも、エイミーって、曲、自分で作るんですよ。しかも単独で。共作曲での他人の絡みもせいぜい1人か2人で。いわゆる現在はやりの10人がかりくらいの「コライト」なんかじゃない。やはり、「本物の天才」育てたきゃ、それにこだわるべきですよ。ゲーノー界がなんと言おうとね。


そしてエイミーの曲はこのように男性シンガーたちからも好んで歌われるのが特徴でもあり、それが彼女のレガシーを大きなものにしています。

惜しむらくは

まだ、あのトレードマークのファッション前の、この時期のエイミーの声のライブをもっと体験できていたらと、すごく思います。このときに本当に見たかったですね。

もちろん、彼女の絶頂期のこの時期も見たいですけど、最高であると同時に「終わりのはじまり」でもあったと思うと、心が痛みます。

 エイミーに関しては節目節目に思い返して行きたく、語り継いでいきたい伝説です。その責任が僕にはあるような気がしています。

 そして最後はやはりこれですね。あらためてRIP




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