カイリー・ミノーグ 足掛け5世代、35曲の全英トップ10の軌跡
どうも。
いやあ〜、全英チャートのところでも述べましたけど、カイリー、すごい!5世代連続での全英トップ10記録!これは本当にアーティストとしての底力がないとできない記録です。
この5年代にまたがることもすごいんですが、その間に記録したトップ10の数、実に35曲です!
しかもこれ、すごいのは、彼女、人気落ち目になって、「もうさすがにきついか・・」となった時期がそれなりに長く入るのに、それを跳ね返して作った記録だから・。だから信じられないんですよ。これは本当に語られるべきだと思います。
そこで
今回、その35曲を一気にドドンと紹介したいと思います。
1988年にオーストラリアのメルボルンで生まれたカイリーは、元はオーストラリアのテレビドラマ「ネイバーズ」に出演してたティーンの女優で、そこで人気が出たんですね。
そこでユーロビートの当時の寵児的プロデューサー、ストック・エイトケン・ウォーターマン(PWL)のプロデュースでデビュー。当時、デッド・オア・アライヴとかリック・アストリーで当ててましたけども、カイリーもたちまち人気になりまして、デビューの時から一大センセーションとなります。
これは懐かしいと思ってる人、多いんじゃないかな。日本でも本当に当たりましたからね。「I ShouldBe So Lucky」「Locomotion」あたりは本当によく巷でかかってましたから。
同じく「ネイバーズ」のスターだったジェイソン・ドノヴァンとのこのラヴ・バラードもユーロビート・クラシックですね。僕はこれが一番好きかな。これ、ウェディングの選曲すると、外すことなく大人気なんですよね。過去に何回か成功させてます(笑)。
これはセカンドの「Enjoy Yourself」。僕はカイリーの学年1つ下なんですけど、大学に入った1989年のアルバム。本音言ってしまうと、僕、ユーロビートと、その次に来たハウスが当時苦手だったんですけど、その時に入ったアメリカン・トップ40研究会でカイリー、人気が絶大でして。部室で聴いた曲ばかりですね、このあたりは。僕としては、シンセの音自体は、デュラン・デュランとかヒューマン・リーグとか大好きだったんで、そこは問題なかったんですけど、なんかロック方面じゃなく、一般方面に方向性が流れて行っていたような感じがなんか気に食わなくてですね、当時は。
ただ、今聞き返すと、他のPWLの曲より、ストリングスとか、あとモータウンの手法とか使ってて、だいぶ丁寧に作ってるんですよね。このあたりが、彼らが手がけていた他のアーティストよりカイリーの寿命が延びた理由かもしれません。
この頃、リリース・ペースが猛烈に早かったんで1990年にサード・アルバム「Rhythm Of Love」が出ますが、最初のシングル2枚聞いた時に「あっ、変わった」と思ったんですよね。脱ユーロビートの痕跡が感じられたというか。60sとハウスの融合の感じですね。まだPWLなんですけどね。ファッションもバブルのそれから髪にストパかけてモード系になってるし。割と今に繋がる感じにこの時からなってます。
1991年の「Lets Get To It」。この頃になると、ユーロビートなんて言ってるのは、日本の「ザッツ・ユーロビート」のコンピくらいになってた気がするんですが、カイリーもその頃には脱してます。ただ、なんかフツーのポップスになっちゃってたかなあ。ここでちょっと勢い落としまして、これまで4曲ずつあったアルバムからのトップ10が2曲に減ります。
さらに1992年、僕が大学4年の時にベスト盤が出たんですけど、この時の新曲がトップ10に入らなかったんですよ。PWLもこの頃には過去の存在だったので、「もうさすがにカイリー、売れないよね」と思ってました。
1994年、カイリーはレーベルを移籍してアルバム「Kylie Minogue」を発表。先行シングルの「Confide In Me」こそヒットはしましたが、イメージ的には惨敗でしたね。アルバムもオアシスのデビュー・アルバムの頃に出てたんですけど、全然話題にならなかったし。上の曲がトリップホップ調なのを始め、かなり本格的にシリアスなクラブ対応になってたんですけどね。
ここからカイリーの不遇気が続くんですが、ただ、僕個人の印象はこの時によくなってたんですよ。1996年にはニック・ケイヴとのデュエット曲が、これ惜しかったんですよ、11位まで上がってて、1997年のアルバムではブリットポップ意識したようなことまでやってて。ただ、「過去の人」感は否めなかったんです
が!
2000年、カイリー、突然息を吹き返すんですよ!
またしてもレーベル移籍作になります「Light Years」、これが大ヒット作になりまして、全英トップ10シングルが4曲に戻ります。なんか、このアルバムでカイリー自身が「自分がやりたいのはこれ!」とばかりの音楽性をついに獲得した感じなんですよね。王道のダンス・ポップでありながらも、うまい具合にエレクトロやインディ・ロックとも親和性が良い感じの。僕自身、その復活の契機となった「Spinning Around」って大好きな曲で、これ以降、かなりカイリー、好きになってます。
あと、「Kids」でロビー・ウィリアムズとデュエットしてるんですが、この時に「男はロビー、女はカイリー」とでもいうべき、イギリスの王道ショービズ・ポップが確立された感もありましたね。
そして2001年のアルバム「Fever」。ここから彼女のキャリア史上最大のヒット曲「CantGet YouOut Of My Head」が飛び出します。これなんてアメリカでもトップ10入りましたからね。あそこの国にしてみりゃ、ユーロビート・ブームの時の「ロコモーション」以来のヒットだったわけでびっくりしたと思います。このころ、バズ・ラーマンのミュージカル映画「ムーラン・ルージュ」に妖精役で出てもいますね。
ここからも4曲ヒットですが、ここはもう、エレクトロ色をガンガンに強めた、もう今に至る路線というか、それこそ、その後のRobynあたりのひな型が僕はここで出来てると思ってます。
続く2003年の「BodyLanguage」からも3曲がトップ10に入りましたね。前作のエレクトロ路線に、若干R&Bテイスト足した感じになってましたね。もう、この時は写真映えが最高で、60年代のヌーヴェルヴァーグ的ですごくかっこよかったですね。
2004年にはベスト盤が出て、そこからも2曲の全英トップ10が出ますが、これも外しなかったですね。特に前者は当時飛ぶ鳥落とす勢いだったシザー・シスターズの書き下ろしでした。この当時、90sの後半以降、マドンナも絶好調だったんですけど、カイリー、マドンナに負けてなかったですね。
しかし、ここで、カイリーに思わぬ試練が訪れます。2005年に乳がんを発症。これはすごく衝撃的で心配したものです。大丈夫かなあと僕もかなり不安でしたね。
しかし、それにもめげることなく
2007年にアルバム「X」を発表。ここからトップ10を3曲生みます。カイリーにしては髪が短かったりウィグをかぶったりしてるのは、がん治療終わって間もない感じを思わせますが、痛々しいよりもやはり嬉しかったですよ。
このアルバムはインディ・ロック寄りというか、この頃に流行ってたニュー・レイヴも意識した感じになってましたね。実際、「Wow」は僕もその当時にやってたHard ToExplainのパーティでかけてたし、あとホットチップがカイリーに提供されてボツにされた曲を自分でレコーディングしてたりしてましたね。
2010年のアルバム「Aphrodite」からは「All The Lovers」の大ヒットが出ます。この時、日本、来たんでしょ、確か?悔しかったんですよねえ。あの時、もうブラジルに越してたんですけど、こなかったんで。運悪く、今日まで僕、カイリー見れてません。
あと2010年はEDMの人気者タイオ・クルズの「Higher」のフィーチャリングでもトップ10入ってました。この人、どこ行ったんでしょうね。名前似てて気になってたんですけど(笑)。
ただ、この時点でカイリー、42歳、女性アーティストがヒットを出すには高い年齢だと見なされる時期に突入。実際にここからシングル・ヒットが難しくなってきます。
2014年、2018年にもアルバムを出し、いずれもアルバムチャートの上位には食い込んでいるんですが、シングル・ヒットはなし。とりわけ18年のアルバムの方は謎のカントリーへの接近で酷評も受けてしまいます。
2020年にはアルバム「Disco」を発表。このアルバムはかなり好評で、僕もその年の年間ベストの20位台に入れてるんですが、しかしシングル・ヒットは出ず。
もうこのまま、「アルバムは売れるけど、シングルは・・・」というアーティストで落ち着くかと思われていました
が!
この「Padam Padam」でカイリー、13年ぶりに全英トップ10復帰ですよ!実にカイリー、55歳での、またしてもカムバックですよ!
しかもこれ、当初はそんなに順位高くなかったんですよ。それが徐々にバズりまして、4週かかってトップ10入りです。
これ、何がヒットの理由かといえばtik tokなんですよね。この曲がバズりまして。僕もチェック入れたんですが、この動画、すごくLGBT関係と密接に結びついています。カイリー、LGBT界隈での支持は予てから絶大でしたが、そこでの一大アンセムとなっているようです。
これは彼女にとっては幸先がいい。なぜなら、この先に
ニュー・アルバムが控えているからです。「Tension」と題されたこのアルバム、リリースは9月の予定です。こちらも俄然楽しみです。