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映画「AIR」感想〜「見えてなかった80年代」と、かつての自分への追憶

どうも。

今日は映画評行きましょう。これです!

日本でも公開されてますね、「AIR」、これの感想行きましょう。

もう既に公開されてるのですが、一応念のため、あらすじを語っておきましょう。

時は1984年。アメリカにとってすごく賑やかしい時代です。

アメリカのシューズ業界でナイキはコンバース、アディダスに水をあけられての3位。ライバルは人気のバスケットボールの選手と契約できてウハウハ。どうしたらよいものか、社長のフィル・ナイト(ベン・アフレック)も困っていました。

ナイキのバスケットボールのスカウト、ソニー・ヴァッカロ(マット・デイモン)は、ナイキのバスケット選手起用の弱気さに嘆き、どうすればよいのか困っていたところ

兼ねてからみんなが狙っていた大学バスケットボールのスター選手、マイケル・ジョーダンの試合のVTRを見返して、「やはり、これはすごい。彼しかいないんだ」との確信を持ち、とりつかれます。

ソニーは営業部長のロブ(ジェイソン・ベイトマン)の「無理だ。そんなの」という反対を無視。さらにはマイケル・ジョーダンの所属エージェント代表位のデヴィッド・フォーク(クリス・メッシーナ)の「ジョーダンには先にコンバースやアディダスのオファーがある」というのを無視して

ノース・キャロライナのジョーダンの実家にアポなしで突入。そこでジョーダンの母デロリス(ヴァイオラ・デイヴィス)に、彼女の息子がバスケットボールの歴史においていかに特別な存在かを説得します。

これにデロリスが耳を傾けたことで、ジョーダンにちなんだ新商品のプレゼンを、すぐに開くことになりました。ただ、大風呂敷は広げたものの、まだ商品は固まっておらず。そこでソニーは急いでシューズを開発することになり・・・・。

・・と、ここまでにしておきましょう。

これはですね

1984年にでて、のちに一世を風靡することになるナイキのAIRジョーダン、これがどう生まれたかを描いたものです。僕も彼がシカゴ・ブルズに行って活躍してだいぶだった頃に持ってましたね。エア部分、案外壊れやすいんですよね、これ。でも、ある時期、かなりの人が日本でもこれ、履いてましたね。

 これがこんな前から、ジョーダンがまだ大学の選手だった時からあったのは知りませんでしたね。僕、1984年って中3で、もういちばんの関心ごとといえば洋楽でした。なので、この時期のアメリカって、とにかく憧れてなんでも見てたつもりだったんですよ。

でも、僕の見えてた1984年って、

https://www.youtube.com/watch?v=PIb6AZdTr-A

こんな感じでしたね。

まだ、この時期、ブラック・カルチャーまではよく見えてなかったというか。もちろんマイケルやプリンスはものすごく流行ってましたけど、この当時の感覚だと、ライオネル・リッチーをプラスして3人で孤軍奮闘してるイメージの方が強かったかな。

この頃には

ヒップホップの先駆け的存在として、ランDMCがデビューして、一部ではありましたが熱心なファンを獲得。ビルボードのアルバム・チャートでも入ってましたね。20位には入ってなかったから、日本のランキング番組では広いにくかったんですけど、情報としては少しずつだけど入ってくるようになってて、「ああ、ラップで売れそうな人、出てきてるんだなあ」という印象だったんですけど、

ブラック・カルチャーを永遠に変えてしまうための種はもうこの頃に巻かれていたんだな、ということを改めて感じましたね。

この曲が84年から85年に切り替わるくらいの時期に流行ってましたけど、こういう黒人少年たちのストリート感がアメリカのカルチャーのスタンダードになろうとしていたんだな、と改めて思った次第です。

この映画、1984年という、アメリカ社会がすごく楽しく懐かしがられる時代の設定のため、すごくエイティーズっぽい映画なんですけど、これ、単にエイティーズの音楽とかファッションでない、「映画そのものがエイティーズっぽい映画だな」と思って、そこも感心した次第です。

アップしてて自分でも懐かしくなってくるんですけど、あの頃のハリウッドですごく流行っていた、さらに批評的な評価も高かった、ドラマとコメディが一体となった「ドラメディ」のスタイル。これがこの映画にはありますね。上からシドニー・ポラック、ジェイムスLブルックス、そしてマイク・ニコルズ。特にマイク・ニコルズのテイストが強いかな。

これ、監督、主演がこのベンとマットのコンビでしょ。これ、狙ってこういう演出したと思いますね。彼ら、僕とほとんど同世代で、80年代をまんま10代で過ごしてます。エイティーズは間違いなく強いはず。加えて、彼ら博識ですからね。ベンなんて特にオスカー受賞作の「アルゴ」で1980年当時のワーナーのロゴで映画始めたような人です。この辺りの映画、頭にあって作ったんじゃないかな。テンポ感、ユーモア、そしてオプティミズムに満ちた映画の終わり方。もう、まんま、こういう映画群なんですよね。

この辺りの映画、今見返しても面白いし、特にマイク・ニコルズは60年代から遡って「ヴァージニア・ウルフなんてこわくない」「卒業」から90年代の「バードケージ」、00年代の「クローサー」と、傑作も多い人なので、再評価欲しいところです。

あとですね、これ最後に、すごく個人的なことになってしまって話脱線するんですけど、


この映画でのマット・デイモンに個人的にすごく共感するところがありまして。実は、スケールは小さいながらも、僕も実体験で似た経験があるんですよ。

もう、この話しても時効だと思うので、あえてしようかと思います。25年経ってるので。僕、25年前にNHKFMで「ライブビート」って公開ライブの番組立ち上げてまして。結構、話題にしていただける人にはしていただいた番組で僕が辞めた後も、もう少しで20年ってとこまで続いたみたいで。

 その番組はただのライブ番組じゃなくて、いわば「日本のオルタナティヴ/
インディ・ロックのシーン紹介」みたいな番組を狙っててですね。ちょうどこの90年代の後半にたくさんロックの伝説の名盤みたいなものが出てまして、僕の番組も幸運なことにそれに該当するアーティストにも結構出てもらってたりします。

 で、なんでこの話するのかというと、劇中でマット扮するソニーがマイケル・ジョーダンの母親説得する際に「あなたの息子はマジック・ジョンソンとラリー・バードと同レベルの選手じゃない。マイケル・ジョーダンという特別な選手なんだ。彼じゃなきゃダメなんだ」って言って説得するシーンがあってですね。これ、「ああ、わかる」と思ったんですよね。さらに言えば、この言葉、口説き文句として、本当に効くんです!

僕も番組始まった年の97年、この2アーティストに関して、ほぼ全く同じ言葉を口にしました。

はい。サニーデイ・サービスとミッシェル・ガン・エレファントなんですけどね。もう、この2つはですね、あの当時の人気の2大巨頭でしたね。

 僕、これの前身番組の時からずっと会場でアンケートとってて、そこに「見たいアーティスト」ていうのを書かせてたんですけど、もうこの2つダントツ。その次がフィッシュマンズかな。始まった年は間違いなくそうでしたね。

 だからもう、出ていただかないことには番組成立させられないと思って必死でしたよ。先に5月にサニーデイ決めたんですけど、これのブッキングの時、サニーデイのディレクターのWさんという方に直々にファックスで手紙書いたんですよ。そこに僕は「番組の象徴的存在であり、日本のロックの歴史に間違いなく残る存在です。だからこそライブで伝えたいんです」的なことを長々書いたんですよ。そうしたら、前身番組の時からなかなか首を縦に振っていただけないところが逆転して出演ということになりました。

 で、ミッシェルも1年くらい断られた上に、その前年にマネージャーさんに屈辱的なことまで言われてたんですけど、それでかえって火がつきまして、「今度こそはどうしても出演お願いします」とまずレコード会社の人に頭下げて、ミーティングの場を作っていただいて、アンケートをファイルした現物を、そのマネージャーのNさんって方に見せたんですよ。それで「」これだけの人が見たがっています。こんなアーティスト、他にいないんですよ」って言って。すると、目を通した時に「あれ?」ってNさん、言い出して。「この○○○○や、XXXXって子、ミッシェルの有名な客ですよ」って言ってニヤっと笑って、「なるほど。こいつらは来てるのなら番組の感じは把握できた」って言って「じゃあ、うちらがライブで使ってる照明入れたらやろうかな」と言い出してですね。それ、べらぼうに高かったんですけど、上司に「特別なバンドなんで」って説得して費用出させて、11月に実現させたんですよ。そしたら向こうも意気に感じてくれて、その当時に出た「チキン・ゾンビーズ」、アルバムの曲順通りに全部やってくれたんですよね。

で、大成功だったんですが、NHKのスタジオにパンパンに人いれて、通常のライブと同じ設定でやったんですけど、真下がまさかの政治討論会のスタジオでしてですね(笑)、そこが「大地震がきた!」って大騒ぎになったんですよ。それでライブやってる時に怒鳴り込まれて「即刻やめろ」って言われたんですけど「こっちも収録中なんで邪魔しないでください!」って言い返して喧嘩しまして(笑)。それ見たNさんも「ここまでやってくれるとは思わなかったよ。ありがとう」って言ってもらって。結局、この後に始末書書かされましたけど(笑)、この件、当時結構有名になりまして、番組の知名度上昇に貢献していただきました。

・・・って懐かしいですね。ちょうどこれ書く2日前にチバさんの病気のことを耳にしたんですけど、さすがにこれはショックですね。僕と歳一つしか違わない若さでまさかそんなことが。まだまだ日本のロックに直接的にたくさん影響を与えて欲しいです。全快を祈ってます。


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