ハリー・スタイルズを「ロックスター」として認めることでロックが得られる3つの利点
どうも。
では、お約束したとおり今日も
ハリー・スタイルズの特集です。昨日はアルバム「Harry's House」の徹底解剖でしたけど、今日は「ハリーをちゃんとロックだと認めると、ロックの世界にこれだけメリットができるよ」、という話をしたいと思います。
ハリーのアルバムそのものがもう「ロック」と判断してさしつかえないものであることは、昨日のアルバム評でもわかっていただけるんじゃないかと思います。すごく、ハリー自身の、UKロックリスナー的な感性がかなりダオレクトに反映されたアルバムだったように僕も思います。
ただ、「超アイドルのワン・ダイレクション出身」ということで、気持ち的に割り切れない人っているんです。「芸能界のアイドルを認めてしまうことで、自分の大事にしてきたなにかを失ってしまうんじゃないか」というふうに。
でも、そんなことは
ジュリーやデュラン・デュランで育ってきた僕には、全く気になるところはないです。顔がいいだけ得じゃないですか(笑)。実際、同世代経験のない人が全盛期を客観的に振り返える方が同時代の人たちよりも功績見えやすいタイプだと思いますよ。実際、リスペクトされてると思うしね。ハリーもまぎれもなくこのタイプだと思います。
なので、ロック系の放送局とかラジオとか、ガンガンとりあげたほうがいいんですよ。その方が
①取り込んだ方が、メディアそのものの人気も爆上がりするに決まっている
そりゃ、そうですよね。なにせ、シングルで全英7週1位、全米でも7週連続2位以上を記録しているアーティストですよ。これ以上の人気アーティストは世界のどこ探しても今、いないわけで。
だから、ロック系のラジオ局なんて「As It Was」なんてガンガンかければいいんですよ。それだけで子供のリスナーつきますよ。
あと、そこにプラスしてオリヴィア・ロドリゴとかビリー・アイリッシュとかもかければいいじゃないですか。それだけで、そのメディアへの子供からの関心、高まりますよ。
僕が最近、サンパウロのロック系のラジオ局聞いたら、彼らはマネスキンやヤングブラッドは歓迎してるっぽいんですけど、それだけじゃ偏るじゃないですか。彼らでも若い人をつかむ力は十分にあると思いますけど、そこにハリー、ビリー、オリヴィアあたりが加わると世代的にもグッと厚みを増すわけじゃないですか。ロックももう長いこと、90sや00sのスターで食いつないできたわけでしょ?もう、大概で代替わりが必要だし、それをするには今がチャンスだと思うんですよね。
ただ、問題は、「90sや00sの世代が、その代替わりを認めるか」というとこですよね。そこでネックになってること。それが2つあるんですが、そこがハリーを取り込むことによって変えることが可能になるかもしれない。そのことについて語りましょう。
②エリート主義的インディ・ロック観からの脱却
ハリーのようなアイドル出身のアーティストをロックのフォーマットに取り入れることで、90年代以降のロックに顕著な「アーティストはインディのシーンからうまれなければならない」という固定化観念から抜け出すいい機会になる、と僕は思っています。
インディのシーンから草の根的なファンが育てて、それがカルチャーの顔になる。これはロックの理想だし、そうなれば確かに美しいものです。だけど、その論法が2000年代までは効いたものの、10年代は残念ながら効いたとは言えなかった。インディ・リスナーの感性そのものはあがったとは思うんですが、そこで彼らが選んだアーティストがマスをリードするまでには至らなかった。そうすることによってインディ・ロックそのものが、ただの人気のいまひとつな一ジャンルにすぎなくなってしまった。ここは絶対見逃さない方がいいと思います。イメージとして「大衆には難しい、とっつきにくい音楽をやっている」の印象をメインストリームのリスナーにしか与えないものになりさがり、大衆への親近感を完全に失ってしまっていた。ここが一番の問題だったんですよね。
だから、今のロックに必要なのは「インディの世界で先進的だと思えるもの」ではないんです。大衆を惹きつける魅力に溢れた包容力なんです。そうだからこそ、アイドル出身のハリーや、ディズニー・アイドル出身のオリヴィアや、リアリティ・ショーやコンテスト出身のマネスキンが受け入れられたんです。
「インディのシーンから音楽界全体を揺るがすパワー」みたいなものは、僕も長期的には信じたいです。ニルヴァーナを例に出すまでもなく、そういうものが本当の革命だとは思うので。だけど、短期、中期的にそれが起こることに関しては僕は懐疑的です。2020年代にそれが起こるとは正直な話、考えにくいです。そう思って割り切って、ハリーたちを取り込んでいければいいんですけど、そこを頭を固くして自分たちが勝手に「本物」と信じ込んでいるインディ至上主義的なものに陥ってしまうと、ラウドロックがすでにやってしまっている失敗をインディも繰り返してしまうことになりかねない気がします。
③マッチョイズムからの完全脱却
そして、今のロックが一番変わらなきゃいけないところがここです。
ここ数年、とりわけアメリカのインディ・ロック界で圧倒的に良かったのは女性のアーティストです。それは、先ほども名前をあげたビリーとかオリヴィアに限ったことじゃありません。フィービー・ブリジャーズ、ミツキ、ジャパニーズ・ブレックファスト、スネイル・メイル・・・と、最近、女性アーティストの名前をあげていった方がむしろロックの人材が豊富なくらいですよ。ビッグ・シーフのエイドリアン・レンカーも然りですよね。
ところが、ロックの放送局が彼女たちの曲をかけるのにまだかなり消極的なんですよ。アメリカでも、評判がいいのに、この手のアーティストの曲をかけてません。サンパウロのラジオ局でも聞いたことがありません。もっとえば、それ以前のラナ・デル・レイやフローレンス&ザ・マシーンの頃から消極的です。かかるのせいぜい、アラバマ・シェイクスぐらいでしたからね。それは多分、ブリタニー・ハワードのパンチのせいですね。「あれくらいパンチがないと、ロックを聞いた気にならない」とか、そういう類の。
実際、僕もネット上で遭遇したことありますけど、「ラナ・デル・レイとかミツキとかはポップであり、ロックじゃない」みたいな御託並べるヤツが多いですよね。単純に、ギターの音圧や声の音圧でロックを決めようとしているというか。こんなことがまかり通っているかぎりはロックも変わらないでしょうね。こうやって、今もっともエキサイトメントがあるところをみすみす逃すわけですからね。
ハリーをとりあげるメリットには、実はそれもあるんです。なぜならハリー、女性のインディロッカーたちの熱心な推奨者だから。
これは前にも言ったんですけど、彼のツアーの前座、生演奏前提の女性アーティストで固めてるんですよ。名前を挙げるとジェニー・ルイス、ウルフアリス、Wet Leg、アーロ・パークス、Koffee。ちゃんと批評的に評価されたアーティストばかりで、ゲーノー界的な感覚を完全に度外視して選んでます。
つい何日か前もハリー、BBCの生ライブで、Wet Legの「Wet Dream」をカバーしてかなり話題になってました。しかも、ハリーのバックバンドにも女性メンバー多いんですよ。こういう輪が、男女の別を超えて広がって勢力になっていけば、何かが変わりうると思うんですよね。
こういうポイントが克服できれば、ロックもエキサイティングなジャンルになるポテンシャルは十分あると思っているんですけど、それを生かすも殺すもハリーをどうするか次第、といったところでしょうか。