連載・ロック、これからの課題②欧米のインセル・リスナーのミソジニーとZ世代人気アーティスト嫌悪
どうも。
昨日からはじまったロックの連載「ロック、これからの課題」、今日は2回目です。
昨日は、アメリカでカントリーがロックのサウンドを吸収しすぎて、ロックがそこにだいぶ根こそぎ取られているよ、という話をしました。普段、日本でカントリーは聞かれていないので、かなり難しい話になったかなあと僕も思っているんですけど、今日の話は分かりやすいと思います。
こういう話です!
もう、写真見ただけでわかりやすいでしょ?ここ最近の人気アーティストに関しての話です。
ただですね、今回の話、実は日本ではあんまり関係ありません。
なぜなら、日本で今回の話に該当する話、あんまり見かけないから。ただですね、
欧米のロックファン、特に世代が上の人たちの、こういうアーティストたちへの嫌悪が醜いまでにひどい!
この話について語っていきたいと思います。
今回の話は僕のネットユーザーとしての実体験が元になってますね。特にfacebookで入ってたインターナショナルでのインディ・ロックのファン・グループだったりインスタとかfacebookでの海外メディアの記事の投稿欄で見かけたものですね。
そこで何が一番驚くかって、
アメリカ(主に)のインディ・ロックファンのミソジニー
もう、これがカルチャー・ショック受けるくらいに酷いんですよ。
僕ですね、こういうロックファンの女性嫌悪というのはですね、メタルやニュー・メタルのファンの専売特許だと思ってたんですよね。イメージとしては、ホワイトスネイクのMVでのセクシー美女のスポーツカーにまたがったダンスだったりとか、ウッドストック99での女性出演者へ「脱げ!」と叫んだセクハラ、ダイブした女の子がレイプ被害にあったとか、ああいうイメージですよね。ああいうの嫌いだからそっち方面、距離とってたところがありました。実際、政治的にもかなり保守な人、少なくないですしね、そのジャンル。
で、「インディ・ロックだと、リベラルな人がほとんどだから、そういう問題ないだろう」と、正直、たかをくくっていたんですね。そうしたら、そんなのとんでもない!
もう、女性アーティストへの偏見丸出しで酷いんですよ。ラナ・デル・レイからフィービー・ブリッジャーズからビヨンセから、「そんなに女、嫌いか?」みたいなコメントがとにかく多くて。僕がfacebookのインディ・ロックのファンサイトやめたのもビリー・アイリッシュ血祭りにするような会話したの見て、「もう無理!」と思ったからで。連中、ポップ・アイドルとビリーの区別つかないくらい、何にもわかってなくてですね。
いみじくも「バービー」でケンの一人が、ペイヴメントのスティーヴ・マルクマスをとっかかりにしてうんちく語るシーンありましたよね。あれ、メチャクチャ説得力あったんですよ。それこそペイヴメントとかソニック・ユースが好きだという人に、ミソジニー的発言してた人が多かったから。うちの妻が20年くらい前にアメリカの大学でカレッジ・ラジオに入ろうとしてあまり相手にされなかったみたいなこと言ってたんですけど・・・、申し訳ないですけど、やっぱこのテのインディ・ロックリスナーの男だったらしいんですよね。
そうしてたら、今年の始め頃にもですね
ローリングストーンがボーイジーニアスをですね、「スーパーグループがアルバムを出すぞ」という記事を表紙で組んでたら、「記事読めばわかるだろ」ってのに「who?」とか嫌がらせをわざわざ大量に書き込んだりですね、「こういうのをスーパーグループなんて言って商業的な偽物を作るんだろ、お前たちは」とかって、「もう、それぞれのキャリアでみんな成功してるんですけど、あんたが知らないだけだろ」みたいなことばっかり言って炎上するわけですよ。
で、この件の後くらいにですね、アメリカ人の女性だったかな、書き込みで僕に「インディロックの男性ファン、インセルだからね」と教えてくれたんですよね。インセル。つまり「女性経験の少ない、女性嫌い」の男性。その視点がなかったものですからツイッターで検索して調べたんですよ、そしたら結構「indie incel」って驚くほどいっぱい出てきてですね、さらに言えば「pitchfork incel」とか「Rate your Music Incel」っていうのも同様にたくさん出てくるんですよね(笑)。そこで、「ああ、そういうものなんだあ」とここで初めて強く自覚しましたね。
そしたら結構、その後もこれに該当することが続きましたね。
これなんかもそうでしたね。。
https://twitter.com/NME/status/1670704508626956288
NMEが6月に、現在のイギリスのライブハウス界隈でかなり話題になってる
ピクチャー・パーラーという今、実際にロンドンのライブハウス界隈でかなり話題になってる女性主体のバンドがあるんですよね。実際、コートニー・ラブとかレディオヘッドのメンバーも見に行ったという証言もあるくらいに。その彼女たちがデビュー・シングルを出した時、NMEが推しの姿勢見せたくていきなり表紙に抜擢したんですよ。そうしたらですね、「こんなメディア・プラント(メディアの仕掛け)、入れやがって」「ネポティズム(コネがあるんだろ)」とかって、すごく荒れたんですよ。
前、今のイギリスでガールズバンドがすごくムーヴメントになりつつあるという記事を書いて、その時にも彼女たちのことは触れてるんですけど、あの時に取り上げたThe Last Dinner Partyとかも同様の被害にあってるんですよ。そういうこともあってですね「これが男性のバンドだったら、こんなバックラッシュがあっただろうか」として反論する女性の関係者、ジャーナリストが結構な数、上がったんですよね。
あと、最近の事例でいうとですね
まさに今、ニュー・アルバムが出ている最中のオリヴィア・ロドリゴなんですけど、このガーディアンのインスタの記事についたコメントがまたひどかったんですよ。
「デビューの時はテイラーの真似して今度はアヴリルか」「やってるのはポップだ。ただギターも持ってるだけだろ」とか、これも一例ですけど、とにかく貶めようとすること書く人、多いんですよ。ここ2枚の流れ聞いて、そういう作られたアーティストではない、もっと参考にしてる音楽がマニアックなの、そんなの聞けばすぐわかるのにそういうことをしようとせず、たんなる表面上のイメージだけで嫌おうとする。もう、呆れますね。
この記事見つけたのと同じ日にですね
この記事はですね、ビリー・アイリッシュがラナ・デル・レイの「Born To Die」にかんして「女の子たちにとっての音楽を変えた」という発言をした、との記事なんですね。
これのfacebookの記事は上の一連の記事ほどには荒れなかったんですけど、それでも「メディア・プラントがメディア・プラントを褒めた」とか「音楽を変えたのは1991年だ」とか、あと「女の子たちの人生を変えた」と言ってるのに野郎が「ノー」とか上から目線で言ってみたりと、ムカつく投稿も結構見かけましたね。
で、いみじくもですね
音楽を変えたのは1991年
この発言が、このテの上から目線のミソジニー野郎リスナーたちの精神的メンタリティになってるところがあるんですよ。これ、いろんな投稿で本当によく見かけます。
1991年ってなんの年か。これ、ニルヴァーナの「ネヴァーマインド」が出た年ですよ。そのことを誇りに感じている世代が、下の世代に対して音楽的にマウントを取る。この行為がかなり目立つんですよね。「自分たちの世代にはニルヴァーナ、パールジャム、アリス・イン・チェインズ、サウンドガーデンの四天王がいた」みたいなことを言うタイプを見かけますね。「あの頃のロラパルーザこそが最高なんだ」みたいな発言も全くの同軸ですね。
そりゃ僕とて、最も個人的に影響を受けた音楽というのはその辺りで、僕自身にとっても誇りではあるんですよ。だけど僕は、自分の世代を最高だと言い切って他の時代を批判するのって本当に大嫌いなんですよね。
それは2つの体験から来てます。一つは10代だった80年代に、その当時のロックオヤジたちから「60年代はビートルズ、ストーンズ、ディランがいてウッドストックもベトナム戦争もあったリアルな世代だ」と散々吹聴されたから。「君たちは飽食の時代に育ったから、ロックの反抗精神なんて持ち得ないな」とかとも言われて。90年代にしっかりそれに匹敵するもの持ったので、今では「ケッ!」と思ってますけど。あと90年代のオルタナにどっぷりだった時に、同世代のそこに乗れなかった人たちから散々「エイティーズの方が良かった。黄金時代だった」みたいに凝り固まれて話が合わなくなる人が多かった。こういうのってやっぱりリスナー間の空気が澱むしかなくなるんですよ。だって、その時代にはその時代なりの良さがあるのに、それを頭ごなしに否定したくはないじゃないですか。もちろん、全部を受け入れろとは言わないにせよ、各時代に、たとえ気に入らないものがあっても、いい音楽なんてものはすぐに見つけることは可能だと思ってますので。
今まで欧米にはそういう人が少なく、日本にノスタルジーに浸る人が多いのだと思っていました。でも最近は、下の世代にもの言ってる日本の音楽ファンの方、僕のSNSではあんまり見かけず、逆に僕と同世代や、それ以上の方でもかなり最近の音楽、柔軟に楽しまれている方、かなり多いんですよ。ましてや下の世代を批判する人自体をあまり見かけない。それが欧米にはわんさかいる。こういう風になるとは思わなかったですね。
この、主に僕に世代の近そうな、90年代にオルタナとか聞いて青春時代を過ごした人を分析すると、このような感じですね。
・チャラチャラしたポップ・ミュージックを終わらせ、実力のあるアーティストはしっかり評価された時代だった
・それが最後は、アイドルや女性ポップに凌駕されて終わってしまった
この気持ちがとりわけ強い人が多いんですよ。他の世代からしたら、「お高い感じ」と映りかねないところですね。
特に、僕より何歳か下の世代がこれ、多い気がしますね。僕だとまだ、10代の頃は80sですから、ちゃらくて楽しいノリや、それが時には必要なこともあることがわかる世代なんです。ところがエイティーズをそこまで体験せず、真面目なタイプの音楽ばかりを育って聞いてしまうと、ポップに不寛容だったり、嫌ったりする人はどうしても多くなりがちなんですよね。
ここの世代が、さっきから言ってる、下の世代を上から目線で冷笑する嫌な世代になってしまってますね、欧米だと。すごく残念なんですけど。まあ、俗に言うX世代ってヤツですね。70年代生まれ。この世代は60年代も含まれるんですけど、生まれが早ければ早いほどお気楽だった80sも経験する世代になるので、1973〜79年くらいの生まれの人がドンピシャなような気もします。
で、そうした世代の人たちがですね、ミソジニーとは関係なく、今すごく嫌ってるバンドがこの2つなんですよ。
THE 1975とマネスキンなんですよね。
これねえ、日本人から見たら不思議に見えるかもしれません。この両方とも、最近の洋楽の中では珍しく、日本人、かなり初期からものすごく素直に受け入れましたからね。「えっ、どうしてそんなことに?」となる人が多くてもおかしくはありません。
もちろん両バンドとも、世界的に大人気ですが、主に古株のロック・ファン、しかも、マニア気取りの強い人が強い人であればあるほど反感を示す傾向が欧米ではあります。
1975の場合は、サウンドの方向性ですね。向こうだと「ポップ」って言われちゃうんですよ。彼らが使ってるティアーズ・フォー・フィアーズとか、スクリッティ・ポリッティ、ブルー・ナイルみたいな、いわゆる「ソフィスティ・ポップ」と呼ばれたタイプのサウンドって、ロック史の中で正当な評価を受けてないのでリアルタイム体験してないと知らない、あるいは体験していても素通りになってるところなんですよね。
あと、このタイプのサウンドって、「MTVでもてはやされたサウンド」として、80sの硬派なリアルタイマーにも人気がないんですよ。とりわけ、その当時にザ・スミスとかキュアー、ニュー・オーダー聴いてたようなタイプにはですね。いわばイギリス本国だと「仮想敵」だと信じていたようなタイプですね。
実際、僕がfacebookで入ってたインディ・ロックのファンサイトで、血祭りに上がるの見てますもん。「こいつらだけは分からん」という人、本当に多い。元になってるサウンドの無理解に完全に起因してますね。ただ単に「ポップをやっている」という理解になってて。
日本の場合、特にプリファブがそうだったんですけど、リアルタイムでかなり評価が高かったんですよ。それもあって理解が早かった。僕としても、80sはむしろスミスやキュアーよりもMTVのポップで育ったから、「何であれ、あんなに低評価なんだ?」と長年思っていたところだっただけに、「ああ、やっと評価されたんだ!」と嬉しかったですからね。
もっとも、いくら「インディ・ロック的なセオリー」にはまっていようとアルトJとかキャットフィッシュ&ボトルメンとかトゥー・ドア・シネマ・クラブが何できました?1975の与えた新鮮さの方が響いて、はるかに人気バンドになたわけでしょ?昔からのロックのセオリーでやってみて行き詰まったところを切り開いた。彼らはルールを書き換えたわけでしょ?なんでそこを評価しないのか、僕は前から不思議でたまりませんでした。
マネスキンに関しては、Xファクターとかユーロヴィジョンとか、テレビ番組を介して人気になったのが「掟破りだ」と判断されて「論外」とする人が多いんですよ。それプラス、アイドル人気ですね。あれがヘアメタルみたいに見える人が多いんですよ。
ただ、そうなればなるほど
ヴィクトリアの術中にはまってるだけなんですけどね。そしてマネスキンへの批判も、間接的に女性のロック観に対しての批判でもあるんです。
なぜなら、マネスキンというバンドは「女性の見たロック」を具現化したものだから。だいたいこのバンド、作ったのはヴィクトリアで、嫌がる男性陣にメイクすることを説得したのも彼女ですからね。あと、Xファクターやユーロヴィジョンへの出演も「ロックバンドだからああしちゃいけない、みたいなことをなくしていきたい」というコンセプトを公に語っているのが彼女なので、ヴィクが言い出しっぺなのかな、というところがあります。
とりわけニルヴァーナ以降、商業主義、大規模メディア露出みたいなものがロックでは嫌われてきました。でも、あまりに嫌いすぎてロックがポップミュージックのスポットライトにかすりもしなくなった今、まだこの方法論にしがみつくのではただ単に地味な音楽に成り下がるだけなのでは?ロックのアルバムが1000万枚売れてた時代に「スターになりたくない」というのと、10万枚さえ売れてもないバンドがそういうのとは意味が違います。後者なんて「何、自惚れてんだ」としかならないでしょ(笑)。これも僕はこの10年くらいずっと言ってるんですよね。
ピッチフォークがアルバム・レビューでマネスキンに10点中2点しかつけなかったことありましたけど、じゃあ、ピッチフォークがここ10年で流行らせたロックなんて何がありました?ましてやバンドで。例がないじゃないですか。それを可能にできたマネスキンを古い論理で批判するなんてちゃんちゃらおかしいんですよ。
あと、アイドル人気に関しても、日本人の方がクイーンとかボン・ジョヴィとか、さらにV系の体験があるので抵抗がないし、「ロックってそもそもそんなものだろ」くらいに思われてたと思います。だからこそ、子供人気もあった。欧米では、そういう事実が忘れ去られています。
その象徴が2010年前後のエモブームですね。あれがアイドル程人気で盛り上がったんですけど、あれをすごく叩きすぎて人気をしぼませてしまった。そして、その後にロックが若い子に人気が出る要素が見事に消滅してしまった。そこへの反省が全くないんですよ。それがロック人気の鈍りにつながったというのに。
・・と、これだけ昨今のロックの流れにアゲインストな流れを年配のロックファンが作ろうとしてるんです。なかなか大変なんですよね。
あとロック観が古いから、それがこれからのロックの足かせになってしまってますね。従来のサウンド・スタイルにとらわれすぎて、新しい波を掴み損ねています。
政治的な潮流もあって、今のロックってこういう感じですよね。
この2人が踏み絵できない音楽
これに意味が変わってきてると思うんですよね。だからこそ、昨日の記事にも書いたように、カントリーとかメタルとか、マチョイズムの要素が強いものが切り捨てられても行くわけです。僕も思い切りこの路線で、ジョンもカートも踏み絵できませんよ(笑)。
で、この論理で行くと、これからのロックに参入していきそうな人って、以下の感じなんですよね。
「ポップでは自分の気持ちは満たされないと思う女性」
「ヒップホップ的価値観では自分の才能は評価されないと感じる黒人」
「自分の人種以外にも理解されたいと思うアジア系のロック人」
「自分は操り人形じゃないとアピールしたいアイドル」
こういうモチベーションを持った人たちによる面白いアイデアを取り入れていくべきだし、実際に今出てきている、あるいは受け入れられ始めているのって、こういう人たちなんですよ。それを受け止めていく努力をしていかなきゃいけないと思うんですよ。こうしていかないとロック、
なかなか厳しいと思うんですよね。
今の状況が、「変化の前の産みの苦しみ」であるといいんですけどね。