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映画「キャプテン・マーベル」感想 「もう、楽しみでしかない!」・・はずだったんだけど・・。

どうも。

「”ロックな女性”の歴代アルバム100選」のまとめもしないと、とは思っているのですが、記憶と語りたい思いがあるうちにこちらをやっておきましょう。

先週末、アメリカをはじめ多くの国で公開され、記録的な数字を挙げているマーベル・コミックの新作「キャプテン・マーベル」、こちらのレヴュー、行きましょう。

昨日の全米映画興行成績のところでも言いましたけど、アメリカではもう1億5000万ドルを叩き出していて、歴代で5位というかなりのヒットになっています。僕もこれは、後で詳しく言いますが、かなり期待していた映画です。さて、どんな映画なんでしょうか。

早速あらすじから見てみましょう。

時は1995年。エイリアン、クレー人のヴァースという女性戦士(ブリー・ラーソン)は、

時折、梅の中に出てくる師匠の女性イオン・ログ(アネット・ベニング)の幻影に苦しめられます。

ヴァースはミッションとして、クレーの宿敵エイリアン、スカルズのアジトに忍び込んだクレーの秘密部隊を助けに行きますが、相手の司令官タロス(ベン・メンデルスゾーン)に捕獲されてしまいます。タロスは、消されていたヴァースの、脳裏の中にある記憶を暴こうとします。

どうやら彼女は、以前、陸軍のパイロットだったらしいです。しかも、1995年の6年ほど前に。

ヴァースは宇宙船に乗って辛くも脱出しましたが、コントロールを失い、他の星へ落ちていきました。

落ちた先は1995年の地球でした。その謎の着陸は当然警察に怪しまれますが

S.H.E.I.L.Dのニック・フューリー(サミュエルLジャクソン)の目にも止まります。ヴァースは彼と出会い、

さらに「自分が何者だったのか」のアイデンティティを探そうとしますが・・・。

・・と、ここまでにしておきましょう。

これはですね。もう、

僕の期待値、メチャクチャ高かったんですよ!

というのは、「マーベル初の、主役を張るスーパーヒロイン」だからというのはもちろんあります。DCのワンダーウーマンに続くヒロインなわけですからね。

しかもそれを

「Short Term 12」、そして「ルーム」で最高の演技を見せていたブリー・ラーソンが演じるということですごく楽しみだったんですよ!とりわけ後者ね。もう大好きな映画だったんで!「過去の大きなトラウマを抱えながら力強く生きていく女性像」。彼女はそういうキャラクターを2度、モノにしています。スーパー・ヒロイン、しかもマーベルみたいなデカいフランチャイズのそれを演じるには絶好のタイミングだと思ってたんっですね。

しかもこの映画、国際的なリリースが「国際女性デー」でしょ。もう、タイミング的にもバッチリなんですよ。オスカーも終わって、映画で他に気にすることも何もない。もう、待ち構えて、この映画を見に行ったんです

が!!

えっ・・・

・・・ごめんなさい。まさかのかなりのガッカリ映画でした。

この映画は、公開直前に、ブリーのちょっと力みの入ったフェミニスト然とした言動が保守的な男性マーベル・ファンの反感を買い、Rottentomatoesとかimdbみたいな採点サイトに架空の酷評一般レビューが載るなどの嫌がらせがあったんですね。そういうこともあって、とりわけ女性映画ファンがそうした嫌がらせの野郎に対してこの映画を絶賛し返す、という事態が起き、今、前述のサイトが戦争状態です。

僕がどういう立場だったかというのは、上の説明でわかっていただけると思います。もちろん、そんな卑劣なことした野郎たちを叩く気満々・・だったんだけどなあ・・。

これですね、何が問題かというと

このヒロインがどういう人なのか。それが最後までよくわからないんですよ!

いやあ、いくら「記憶を消された人がアイデンティティを模索する」のが主題だとしても、身分はわからなくとも、そこにその人が持つ性格というのは表現することは十分可能なわけじゃないですか。それがなぜ「正義のヒロイン」として成立するようなキャラクターなのか。さらに、何のために戦うのか。そういうところで見る人の共感って得るわけじゃないですか。そのあたり、「ワンダーウーマン」はすごくうまかった。あれは、そのあたりの道義づけがはっきりしてましたからね。

ところがこのブリー演じるヒロインは、「誰かに巻き込まれた成り行き上」、スーパー・ヒロインにならざるをえなくなったのはわかるんですけど、それならそれで「どう心理的に成長していくか」とか、そういうことは十分描けるわけじゃないですか。困ったことにこの映画は、そういうヒロインの心理状態というのが一切見えない作りになっています。

そういうのがしっかりしてないからですね。

こういうシーンが出てきても安っぽいギャグにしか見えないんですよ(笑)。

ショックですよね。だって、「スーパーヒロインもの」のみならず、マーベルがこんないい加減な作りの映画を作ったことがショックですよ。コメディの作りのアントマンやデッドプールでさえ、主人公の心理成長というのはちゃんと見られるんですよ。性格描写もちゃんとしてる。そういうのがしっかりしてるから、その昔は「スーパーヒーローがハリウッド大作なんて」とバカにされていたアメコミが現在の地位を築くことができた。そういう原則をこの映画は破ったような気がして、そこが残念なんですよね。

いみじくも

スタン・リーが亡くなった直後だけに、そこんとこは気になりますね。「スパイダーバース」は本当に素晴らしくて「いい遺伝子が残ったな」と思った矢先だけになおさらですね。

あと、他にもイマイチな点、多いですね。例えば、1995年をテーマにしてるのに、そのイメージが全然描ききれていない。レンタルビデオのブロックバスターとか、旧式のコンピューターとか、そういうのは出してくるし、サントラも、そのあたりの曲で固めてはいるんだけど、全体のコーディネイトが甘いせいで、全然その時代っぽく見えないんですよ。あと、その時代を描くのなら、映画が終わって最初にかかる曲は明らかに選曲ミス。時代がまず合致しないしね。

あと

最近、「名老け役」としての復活著しい、アネット・ベニングの使い方も今ひとつなんですよねえ。もっと、嫌味ったらしくさせないと!なんかコントラストのつけ方もイマイチなんですよねえ、

そんな中

さすがだなあ、と思わせてくれたのは、サミュエルLジャクソンでしたね。脇でとにかくボケる、ボケる(笑)。彼の一人芝居で笑わせる瞬間が、この映画のいい瞬間のほとんどを占めてましたね。彼がいなかったらと思うとゾッとしますね。彼が和みの瞬間をかなり与えたことで、映画そのものが最後まで観れるものになってましたね。いなかったら、これ、「ダイバージェント」とか、あのレベルくらいに酷いものになっていたでしょうね。

でも、サミュエルの絶妙な好演技があったとしても、僕の採点だと、100点満点中の50点に届かないかなあ。最近、ポリコレの世の中だから、こうしたことを言うと、「主人公が女だから産別して・・」とかって言いたがる人、いるじゃないですか。

そういう人のために、こう言ってシメましょう。

主人公が男だったら30点の映画だよ!

主人公がヒロインだから、まだ新規な感触がある分、マシですね。



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