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最新全米チャート(25/03/01)とロバータ・フラック追悼

どうも。

今日は別に語ることがあるので、全米チャート、巻いていきます。

SINGLES
1(2)Luther/Kendrick Lamar & SZA
2(1)Not Like Us/Kendrick Lamar
3(4)Die With A Smile/Bruno Mars & Lady Gaga
4(3)TV Off/Kendrick Lamar
5(5)Squabble Up/Kendrick Lamar
6(-)Gimme A Hug/Drake
7(7)APT/Rosé & Bruno Mars
8(6)Birds Of A Feather/Billie Eilish
9(8)A Bar Song(Tipsy)/Shaboozy
10(-)Nokia/Drake

ケンドリックがケンドリックを抜く展開です。

アルバムの出たドレイクは6位と10位に初登場。ただ、ケンドリックの4曲が抜けずにこの結果でした。

アルバムに行きましょう。

ALBUMS
1(-)Some Sexy Song 4 U/PartyNextDoor&Drake
2(7)Short N Sweet/Sabrina Carpenter
3(1)GNX/Kendrick Lamar
4(2)SOS/SZA
5(4)Debí Tirar Más Fotos/Bad Bunny
6(3)Hurry Up Tomorrow/The Weeknd
7(5)The Rise And Fall Of A Midwest Princess/Chappell Roan
8(6)Hit Me Hard And Soft/Billie Eilish
9(8)One Thing At A Time/Morgan Wallen
10(9)DAMN/Kendrick Lamar

こちらではドレイク、1位です。さすがに初動は動きます。

ただ2週目以降がどうかはわかりません。

さて

ロバータ・フラックが亡くなってしまいました。これも大きな損失ですよね。

ロバータ・フラックといえば、70年代のソウル・ミュージックやグラミー賞を語る際に欠かせない人です。

彼女は経歴が少し変わっていて、それこそが彼女のアーティストのパーソナリティとして結びついていきます。1937年にノース・キャロライナで生まれた彼女はピアノを弾きながらゴスペルやブルースを歌っていて、ワシントンDCの黒人の大学の名門ハワード大学を卒業後、中学校の先生をしながら音楽活動をやっていました。

60年代の後半にジャズ・バンドに誘われ歌っていたところに目をつけられ、アトランティック・レコードからデビューします。この時、32歳。当時としては遅咲きでしたが

この曲、「The First Time Ever I Saw Your Face」、これがですね

1971年にクリント・イーストウッドの監督としてのデビュー映画「恐怖のメロディ」の挿入歌になったところ話題が広がりまして、翌1972年にかけてヒット。ついには全米ナンバーワンを記録します。

これが

1973年のグラミー賞でレコード・オブ・ジ・イヤーを受賞します。

1973年には彼女最大のヒット曲、「Killing Me Softly With His Song」、「やさしく歌って」がこれまた全米ナンバーワン・ヒット。この曲はまだ黒人アーティストの曲があまり売れなかった日本の洋楽チャートでもトップ10に入る大ヒットとなり、その後の日本でよく流れる洋楽曲の一つになっています。

そしてこの曲も

1974年のグラミー賞で2年連続のレコード・オブ・ジ・イヤーを受賞。ベスト・ポップ・ヴォーカル賞も2年連続で受賞しています。

この年はですね

スティーヴィー・ワンダーが「インナーヴィジョンズ」でアルバム・オブ・ジ・イヤーを受賞。黒人アーティスト、大席巻となったのでした。

この傍でロバータは


社会はメッセージ・シンガーソングライターのドニー・ハザウェイ。彼と組んだデュエット・アルバムもヒットします。この2人は

ちょうど同じ頃にジェイムス・テイラーとキャロル・キングの2人が内省シンガーソングライターとして大ヒットを飛ばしていて、2人で共演やったりカバーしたりしたことなどでこの頃の時代を象徴する存在となっていたものでしたが、ロバータとドニーはその黒人版との見られ方もしていました。

70年代はこれも大ヒットした名曲ですよね。

80年代に入ると時代も変わりロバータはかつてのような大ヒットを
出さなくはありましたが

1983年、ピーボ・ブライソンとデュエットしたラブ・バラード「Tonight I Celebrate My Love For You」、これが全米トップ20のヒットとなりますが、これはその当時のヒットとしてより、ラブ・バラードの定番曲として長く愛されるようになります。

これ、世界的に定番曲になってまして、日本でも

小柳ルミ子が有名にしました。本当はこれ、バックダンサーだった一回り年下だった元夫とネタになった曲でしたね。平成バブル時代のワイドショー・ネタでもありました。

それから

1991年にはマキシ・プリーストとのデュエット「Set The Night To Music」、これも全米6位のヒットになっています。リアルタイムでトップ40のチャート見てた人じゃないと覚えてないかもしれません。

これ以降、彼女自身のヒットというのはありません。

しかし、ここからは与えた影響がシーンに示されます。

一番大きかったのはやっぱり1996年のフージーズのこのカバーですね。ローリン・ヒルの名唱とともにこの曲のイメージが更新されました。


ローリンの他にもアリシア・キーズやエリカ・バドゥも共演、リスペクトなどロバータに対して行われています。この辺り90sの終わりからミレニアムにかけて「オルタナティヴR&B」といういわれ方されましたけど、そのルーツがロバータというのは大いに言えると思いますね。

あと、2002年の映画「アバウト・ア・ボーイ」で、まだ少年だったニコラス・ホルトがボーイソプラノで歌う曲が「Killing Me Softly With His Song」なんですけど、うまい具合にヒュー・グラントが助け舟出すことで有名になったシーンです。

こういう風にカルチャーにしっかり浸透していたロバータですが、それは今後も受け継がれることを願っています。


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