チャップリン初の長編映画「キッド」の公開からちょうど100年
どうも。
ネタは結構あるんですけど、今日はあえてこういう話をしましょう。
かのチャップリンの手がけた初の長編映画「キッド」が公開から1月21日でちょうど100年が経過しました。
いやあ、100年ですよ!100周年を迎えた映画はなにもこれだけではありませんが、ある程度、自分自身の思い入れのある映画、映画人の映画で100周年に到達したのはこれがはじめてですね。ちょっとびっくりしてます。
こういうことってあまり報道されないじゃないですか。気がついている人は気がついているので、記事なんかになっていなくても自発的に祝ってる人はツイッター上にはいましたけど、でも、もう少し注目されていいことだと思います。
映画って「気がついたらいつの間にか発展していた文化」みたいな印象があるのか「ここが転換のポイント」みたいのが見えにくく、それ故に100周年みたいなものが祝えないところがあるんですけど、僕はこれはひとつの「映画の発展ポイント」のひとつなんじゃないかと思ってます。
なんてったって現在の人でも誰でも知ってるあのチャップリンが長編制作に乗り出した。それまでもチャップリンは短編映画でスターだったわけですけど、よりストーリー、ドラマツルギーが発揮される長編に乗り出してくることで彼は名作を連発し、今に至るようなレジェンドになった。これは事実だと思うんですよね。この「キッド」だって、ただ単におかしいだけでなく、この当時おそらくよくあったであろう、「貧しさゆえの親の育児放棄の問題」という社会問題があったのであろうし、子供にとっての愛の重要さ、誰かを献身的に愛すことの大切さ、というチャップリンなりの哲学とメッセージが込められた作品だと思いますからね。
彼のこの動きをしてくれたおかげで
20年代前半のうちにハロルド・ロイドが続き
20年代半ばから後半にかけてはバスター・キートンが続き、20年代を三代喜劇王の時代にします。バスター・キートンに関しては、僕はコメディよりも、人類最初のアクションスターとして評価してますけどね。
そして、チャップリンの功績はコメディだけではありません。
「キッド」から遡ること2年前、彼はほかの映画人とともに配給会社ユナイテッド・アーティスツを作ることになります。このときの共同設立者がすごいんですよ。この当時最大の人気イケメン・アクション俳優のダグラス・フェアバンクスに「アメリカの恋人」と呼ばれたメアリー・ピックフォード、そしてハリウッドが生んだ最初の大物監督のDWグリフィス。グリフィスに関して言えば、「國民の創生」をはじめとした人種差別の問題があるので讃えることが素直にできない、というか、彼にそれがあったために映画の100周年記念関連のものがかなり祝いにくくもなったりしてるんですけど、つまりはそういうそうそうたるメンツで配給事業もやっていたわけです。
ウィキペディアなんかで当時の記録紐解くと、ユナイテッド・アーティスツって、この当時最大級の配給大手なんですよね。ビジネスマンじゃなく、俳優や監督がメインで作った会社がそうした成功を収めるのはすごいことだと思います。そのときにシェアを争っていた会社というのがワーナー、パラマウント、フォックス、ユニバーサル、MGM。つまり、100年前から今の配給大手は強かったわけですけど、これらの企業と共にユナイテッドは80年代くらいまでは存在してましたけどね。今はMGMに吸収合併されちゃいましたけど。
そう考えてもチャップリンはこの100年前のタイミングでハリウッドを活性化させた中心人物であるかと言えると思うんですけど
子供を演じたジャッキー・クーガンのことも忘れてはいけません。当時まだ7歳だった彼はこの映画の大ヒットで、ハリウッドで最初に成功した子役俳優になったんですけど、もう、この当時から、ハリウッドのこれ以降の子役俳優が経験するトラブルも体験しています。それの先駆でもあります。
彼の成功で両親がウハウハになりすぎて金を散財しつくしてしまったんですね。で、我が子には何も手に残さず、子供なのに強制労働。これが元とナロ、1939年に、子役俳優の保護の法律、その名もクーガン法というのもできあがります。
で、その後の彼がどうなったかというと
このあたりまでは「なるほどなあ」という感じなのですが
このあたりから、だいぶ事が違ってくる感じとなり
こうなりました。
そして、その頃には
1960年代には大ヒットTVコメディ「アダムス・ファミリー」の一員となり
フェスター叔父さん役で有名になりました。
すごい変遷ですよね。このときが50代です。
彼はその後、テレビの俳優として主に活躍するんですけど、これは「キッド」に関してインタビューを受けた時の映像です。ここで彼は、警察によってチャップリンと引き離されるシーンのときのことを話しているんですけど、あのシーンで流した涙は怖さと悲しさで本当に泣いたものだと語ってますね。あと、チャップリンがこのシーンでどういう演技指導を彼にほどこしたかについても語られてます。
彼は1984年、チャップリンが世を去った7年後に亡くなっています。
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