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「ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン」から40周年~すべての「ガール・パワー」のはじまり

どうも。

10月14日はこれから40周年でした。

シンディ・ローパーのデビュー・アルバム「Shes So Unusual」が発表されてから40年が経過しました。日本の当時からの洋楽ファンからすると「NYダンステリア」というタイトルだったんですけど、これがのちにご法度となりまして(笑)、原題読みが慣例になりました。まあ、その前から誰もダンステリアなんて言ってなかったんですけどね(笑)。なんかシンディを介してダンステリアなるものを流行らせたかったらしいんですが、壮大に失敗したようです(笑)。

ただ、実はその約1ヶ月ほど前に

先行シングルだったGirls Just Want To Have Fun、これやっぱ、カタカナで書かないと感じでないですね、ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン、これが一足先に40周年を迎えていました。

これ、今の感覚だとややもすると、「だから1983年のヒット曲だ」と思われがちなんですが、違います。あの当時って、それが無名の新人アーティストなら、最初から流行るなんてことはありませんでした。僕自身、忘れもしないんですけど、この曲が流行りだしたのは僕の中2の終わりころ。84年の2月から3月くらいのことです。

これは当時のビルボードのシングル・チャートで2位まで上がる大ヒット。ビルボードのライバル誌だったキャッシュボックスでは1位ですよ。

歴史紐解くと面白いもので、この曲と1位を争っていたのが

なんと、この曲で

ちょうど、この曲がアメリカで大ヒットしている真っ最中に日本に来て、それこそ「ベストヒットUSA」でてます。これ、この番組の歴史の中でも屈指の有名回です。僕も真っ先に例を思い出すものです。

そういうこともあり、僕にとってはこれは1984年のヒット曲であり、だからこそ40周年に気がつくの、遅れたんですけどね。

 でも、これ、そうした思い出とか記録だけでなく、僕の中でものすごく重要な意味を持つ曲です。

 これ、出てきたとき、すごいショックだったんですよ。もちろん、ものすごく良い意味で。だって、ファッション的にあの当時の感覚で見たことのないようなど派手なファッションした女性が、聞いたことないようなキンキン甲高い声で、ほとんど女性しか出てこないMV作って、さらに言えばシンディ、この時にすでに30を超えていた状況から「女の子たちは楽しみたい」とみんなで楽しそうに歌った。こういう曲はそれまで聞いたことなかったんですよ!

だって、それまでの女性シンガーのヒットって

あの当時の感覚ですぐ思い出すのは「元祖オリヴィア」ことオリヴィア・ニュートン・ジョンのこれですね。

あと、シーナ・イーストンくらいかな。とにかく洋楽のチャート上に女性が極端に少なかったんですよ!しかも、メインストリームの女性シンガーって、「大人として成熟するのが良し」とされるみたいな感じでね。

https://www.youtube.com/watch?v=qeMFqkcPYcg

ニュー・ウェイヴ方面から個性派は出てきつつあった時代でしたけど、まだまだ「たまに異色の大ヒット」が出る程度で、存在としてはかなりオルタナティヴ、世の主流の価値感覚からはかなり離れてたんですよ。

それは日本とて同じで

日本だと、聖子ちゃんとか明菜みたいなアイドル大全盛ですね。彼女たちは同性共感こそ強いものの、コンサートいきゃ男性の親衛隊いっぱいみたいな、当時はまだそういう感じで。歌詞も男性作詞家が世界作り上げていたような、そんな時代です。

 シンディは出自からすれば、ニュー・ウェイヴのインディのバンドで歌っていたところからのデビューではあったんですが、このGirls Just Wanna Have Funは、女性シンガーを取り巻く環境がこのような状況の中で出て、一躍世界を代表するアーティストとなったわけです。

 しかも、あの当時、中学生にはうまく説明できなかったんですけど、女の子が男目線を気にしないで、まるで女の子たちだけの集まりで歌ったみたいな感覚ですね。

これが僕にはすごくピンときたんですね。というのもですね、僕、実家がその当時、母子家庭でかつ母親が自宅開業のピアノの先生だったんですよ。しかも兄弟は7つ上に姉。あと僕、中学で部活やってなかったんで、友人とコミュニケートうまくできてなかったりもして。そういう時に、うち母親が公文と学習塾兼業してて、僕が中高でしたけど助手で教えたりもしてたんですけど、そこも女の子ばっかりで。あの当時に「集団の中で僕だけ男」みたいなシチュエーションが日常で、その中で僕、ほとんど男扱いされないで基本的にいじられてばっかりだったんですよ(笑)。彼女たちの言うことを黙って聞く、みたいなものがすごく当たり前の日常で。

 それだからこそ、いざ「外の世界」に出てみたら、まだ男女雇用機会均等法も成立してなかったような世の中で、しかも男尊女卑のきつい九州でしたから、「えっ、それどういうこと?」「なんで、そんな差別的なことが言えるの?」とかって驚くわけですよ。よく授業とかで「女性なら、やはり結婚したら家庭に入って欲しい」「家事も女性が」みたいなことを、しかもちゃんと教育受けた進学校みたいなとこでも平気で言われるわけですよ。そういうの耳にして「おかしいな。僕の家で言われていることと世界が真反対なんだけど」と言う違和感を抱えて生きてきたわけです。

 そういう時にシンディのこの曲に出会った。ものすごいドンピシャだったんですよ。僕としては「なぜ今までこういうのがなかったんだろう」。そんな感じでしたね。そういうこともあり、この曲は当時、夢中になって聞きました。

 この中3の1984年の夏に母親が奮発してステレオ買ったんですけど、そのタイミングで買ったアルバム、まさに「シーズ・ソー・アンユージュアル」ですよ。もう、何度もなんども聞きましたね。愛聴盤でした。

 そうしているうちに

その当時、「シンディの対抗馬」みたいな印象でマドンナが出てきました。そのうち追い抜いて、今、みんなが知ってるような女王様になるんですけどね。

さらに、このシンディ、マドンナの影響をもろに受けて

https://www.youtube.com/watch?v=RO637GGTzzw

日本でレベッカ、出てきたり。曲、思い切りシンディとマドンナの、ほぼ模倣でしたけど(笑)。

で、あの当時の感覚だと、シンディ、マドンナ、レベッカだったら僕はレベッカ選んじゃったんですよ。というのは、シンディとマドンナ、来日しても福岡来なかったのに、レベッカは年に2回、福岡来たので(笑)。今のnoteのヘッド記事、僕が選んだ人生の100枚なんですけど、そこにレベッカのアルバムがあるの、それが理由です。

 ただ、あの当時はNokkoじゃなくてバンドのトータルで好きだった意識なんですけど、今思うと、彼女の猪突猛進としたステージでの爆発力とか、それこそNokko自身がずっと主張している「男の作詞家には絶対に書けない女の子なりのリアリティ」、これがやはりデカかった気がします。

 その後はシンディそのものが予想された以上に人気が下火になるのも早かったし、マドンナはもっとダンス方向に行く(あの当時はそれがあんまり好きじゃなかった)し、レベッカは解散するしで、「こういう感じは一過性のものだったのかなあ」と思っていた時期もあったんですね。ただ、大学入学して関東で最初に見たライブはシンディの横浜アリーナだったりするんですけど。

 そんな僕が、ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ワン的な感覚を思い出したのは90年代半ばのことでした。

TLCとスパイス・ガールズとジュディマリが同時に流行ってた時期があったんですね。1995〜96年頃のことですけど。この時に「ガールパワー」なんて言葉も生まれて。この時に「ああ、シンディのメッセージ、ちゃんと生きたんだな」って確信しましてですね。すごく共感しましたね。嬉しかったですよ。

 ただ、僕がこの当時にこのままのイメージが好きだったか、と言うとそうではなかったですね。ただ、シンディのあの時のマインドのヴァージョン・アップしたものを支持したくなっていたことは確かで、より強い影響力となったのは、これですね。

ホールですね。かの、カート・コベインの嫁さんが、より強く屈折した形で、小学校の女の子みたいなドレスに身を包んで本音ぶちまけるロックがすごくカッコよく思ったんですね。やっぱ、僕が性格的に持ってるものがオルタナティヴになりやすい傾向だからなのかこうなってしまうんですけど、これも根っこはガーリー的な行為だと思ってます。

あの当時で言えば

ビヨークのこれとかもそうですね。その後に難しくなっちゃって離れたものの、やっぱり当初はガーリー的な感じでサブカルの人たちを引きつけていたのは確かなことです。

あと、アラニスのこれもね。この当時、すごく層が厚くなってたオルタナの女性陣の中では、再デビュー以前のアイドルだった過去をいじられたりもしたわけですけど、あの当時の女性のロックの認知度大幅アップには、彼女のこの曲みたいな男性への強いメッセージ性が貢献していたのも確かですからね。


そして、それがそのまま21世紀に進んでいくと

もう、この頃になると、「女の子が女の子に向かって歌う」というものは、今のポップ・ミュージックにおける主流中の主流にもなったわけです。今やもう「ガーリー」「ガールパワー」から「エンパワメント」なんて言われ方もするようになりましたけどね。

すごいですよね。「ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン」出るまではヒットチャートに影も形もなかった存在が40年経って主流になったわけですから。

ただ、それが主流になれば、そういう「鼓舞」だけでは拾えない女の子の感情というものも出てくるもので

https://www.youtube.com/watch?v=9sfYpolGCu8

こういう、屈折した影のある女の子のための主張も強い共感を得るようにもなってくるようにもなり、まさにそれが今の女性アーティストを取り巻く状況にもなっていますけどね。僕が今、思い切りこっち寄りなのは、以前からの読者の方ならわかりやすくお分かりだと思いますけど(笑)。

でも、それもこれも、「ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン」が40年前に種まかなかったら育たなかったものだったような気がしてます。


シンディとこの曲に関しては、例えばアルゼンチンのブエノス・アイレスの空港で遅れが出た時に、彼女がこの曲を歌って待ちぼうけを食った人の心を一つにしたりとか、あの、その当時に日本いなかったので詳しくは知らないんですけど、東日本大震災の時もすごく熱心にチャリティやりましたよね?その時にこの曲もすごく愛されたような印象があります。

ここまでの音楽界の流れ考えたら、シンディのやったこと、ものすごく意義深く大事なことなんですけどね。さっきも言ったように全盛期が短く、批評的な評価そのものも決して高いと言えなかったから過小評価され続けているところがあると思うんですけど、それがたとえ、仮に1曲(ヒット曲なら他にもありますけど)だとしても、開いたドアが果たした役割は極めて大きなものです。










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