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(追悼特集)リトル・リチャードから始まったもの

どうも。

もう、ご存知の方も多いこととは思いますが

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ロックンロールのパイオニアの一人、リトル・リチャードがなくなりました。長寿だったのですが、87歳で生涯を閉じました。

もう、50年代のオリジナル・ロックンローラーの世代も、かなり存命の方が少なくなってきましたね・・・。

もう、50年代なんていうと、今の若い人だと、ご両親でさえも知らないような昔のことになって流のではないかと思います。そうなった場合、「ロックンロールですごかった」なんて言っても、具体的にどうすごかったのかがイメージできないのではないかと思います。そこで今回は、リトル・リチャードがどう音楽シーンに貢献したか。それについて語っていこうかと思います。

例えば、エルヴィス・プレスリーだと「ファッションとしてのロックンロール」「ブームとしてのロックンロール」「黒人のR&Bと白人のカントリーを合わせたヴォーカル・スタイル」から「世を騒然とさせた腰の使い方」までいろいろ。チャック・ベリーならやっぱりエレキギター。バディ・ホリーだったら今日につながるバンド編成。エヴァリー・ブラザーズだったらハーモニーとかいろいろあるんですけど。リトル・リチャードの場合は

①爆裂シャウト

これがまず一つ大きいです。

その一つが、まずこれですね。

この、すごく大きな声での爆発的なシャウター・スタイル。この歌い方、いろいろ他にも調べているんですけど、これより先立つ例って聞いたことあいんですよ。

この歌い方って

ジェイムス・ブラウンよりも早かった、デビューは同じ1956年くらいなんですけど、シャウターとしてのスタイルはJBよりもむしろ早く完成されていたように思うし

ロックでのベストな後継者はエアロスミスのスティーヴン・タイラーかな。声質、似てるんですよ。僕が90年代に50sのロックンロールをディグっていた時に、すごくエアロスミスのファンで、リトル・リチャードのベスト盤面聞いた時に「スティーヴンによく似てるなあ」と思ったものでした。

②ゴスペルの手法の導入

この「Tutti Frutti」に顕著なんですけど、ゴスペルの手法をロックンロールに大胆に取り入れてますよね。本来、同じフレーズ何だけど、歌ううちにアドリヴでだんだん大げさになっていく感じとか、それからやっぱり「フー!!」のファルセットでのシャウトですよね。この動画だと38秒くらいに出てきますけど。

これに関しては

ちょうど人気絶頂だった1957年に同じく台頭して注目されたサム・クック。彼は本当にゴスペルの世界のスーパースターが教会じゃなく世俗の歌に転向して成功をおさめるんですけど、この曲あたりだと、むしろゴスペル要素抑えめでポップ・テイストの方が強いですよね。それに対してリトル・リチャドの場合はキャリアはロックンロールスターとしての成功で始まるわけなんですけど、むしろリチャードのこの当時のヒットの方がゴスペルの要素がうまくデフォルメされて入り込んでいる印象を受けますね。

そして、ロック界でリトル・リチャードの熱烈なファンといえばポール・マッカートニー。こういう風にリチャードの曲を最近のライブでもカバーしてるほか

リチャードの伝家の宝刀の「フー!!」のシャウトはポールの必殺技でもあり、ビートルズからウイングス、ソロに至るまで、何度も出てくるフレーズになります。そのことを、このリチャードとポールのマッシュアップでも確認できます。

③ロック最初のゲイ・アイコン、そしてグラムロック

リトル・リチャードといえば、

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ロックンロールが生んだ最初のゲイ・アイコンです。

上の写真でも十分わかりやすいですが

70年代のこの映像なんて、かなりハッキリわかりやすいです。

こうした影響は70年代、グラムロックで現れます。それは

ただ単に両性具有的なメイクをする、というだけではなく、「意味不明の言葉を乗せた歌詞」、「トゥッティ・フルッティ」なんて「バッバラ、バーララー、バッブンブン」なわけですからね。さらに短時間で爆発が燃焼するシンプルな曲構成。これが極めて直接的な影響です。

こんな風につながるわけです。クイーンは86年のウェンブリー・アリーナのライブでのカバーですけど、あの当時、「なんでこんな古い曲を」と思ったものでしたが、「そういうことだったのかな」と思うようにもなりました。

あと、この影響が黒人にいたると

リトル・リチャードの登場から25年経った時点で、リック・ジェイムス、そしてプリンスのファッション・テイストにつながるわけです。僕はやっぱこれ、「黒人版のグラム」だとずっと解釈していて、プリンスは亡くなった頃にはその解釈で捉えられるようにもなっていましたね。

4日本への影響

あと、日本への影響もあります。

これは現在連載中の「ロックと日本の65年」の第1章でも書いたことなんですけど、日本の場合、カントリー&ウェスタンをやっていた人がロックンロールに転じているので、黒人アーティストには弱い印象があったんですけど、そんな中、リトル・リチャードは例外的で

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こんな風に日本盤シングルが出ています。この曲は代表曲の「Lucille」ですけど、リチャードが「ルシール、アッ!!」っと歌うので、「ルシア」になってしまったのかなと。

これがですね

日本最初のロックンローラー、平尾昌晃がこのようにカバーしてます。発売時は同じく「ルシヤ」だったようです。

この曲は日本では人気があったようで

ゴールデン・カップス、そしてなんと和田アキ子にまでカバーされています。

ただ、どのヴァージョンも、「ルシール、アッ!!」と叫日きれてないのが個人的には不満なんですけどね。あれをやらないと(笑)。

そしてさらにあとには

90年代にはギタリストの高中正義がリトル。リチャードとの共作アルバムまで出していたりもしています。

リトル・リチャードの場合、今の耳で聞いても、目で見ても、かなり刺激的なので、聞いたことのない若い方は、サブスクやYoutubeでぜひトライしてみてはいかがでしょうか。




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