連載「Girls In The Band〜ガールズ・ロック、バンドの歴史(洋邦対応)」①黎明期 1960s〜1975年
どうも。
久しぶりに大型企画行こうかと思います。
桃の節句から国際女性デーにかけてこういう企画をやろうと思います。
ガールズ・ロック、ガールズ・バンドの歴史、これに迫ってみたいと思います。
女性の観点から見た、バンド・サウンドに特化した歴史観って、そういえば見たことないなと思っての企画です。洋楽・邦楽混ぜながら全4回でいく予定です。まず1回めは、ロック黎明期から重要な年、1975年までをいくこととします。
①「ロックンロール・ガール」のルーツ
では、まず、「ロックを歌う女子のルーツ」、これがどの辺りになるのかというと、これが非常にややこしいものではあります。
昔はこういう風には言ってはなかったことですが、今日的に説得力あるのはこれなんじゃないかな。
このシスター・ロゼッタ・サープではないでしょうかね。ジャンルのくくりはゴスペルなんですけど、シャウトしながら、かなりのエレキギターの腕前まで見せていることを考えれば。これ、たまたま映像資料は1964年からになってますけど、1940年代からこのスタイルだったと聞いてますから、かなり早いルーツのひとつですね。
また、カントリーの世界でも、このワンダ・ジャクソンがロックンロール・ガールの先駆の扱い、受けますね。ギター少し激しめで、しゃがれた声でシャウトして歌ってますしね。日本でも「フジヤマ・ママ」はそのタイトルがウケたか、ロカビリーの時代の50年代にヒットを記録しています。
近年、毎年リバイバル・ヒットしているブレンダ・リーのこのクリスマス・ソングも女の子によるロックンロール・ソングの先駆と言って良いかもしれません。「ロッキン」と言っているくらいですからね。
女の子側からだとカントリーにルーツ、あるかもしれませんね。元々ロックンロールのルーツにカントリーはあるし、エレキギター、まあスティール・ギターでもありますけど、使っていた点と、よりリズミックな点でフォークよりはロックに近い素養はありましたからね。
②ビートルズの時代の女の子たち
ではビートルズの時代について語るとしましょう。
この時代の女の子たちはどうだったかというと
このように、もっぱらファンとして受け手のイメージです。
ビートルズやローリング・ストーンズなどのブリティッシュ・ビートの時代にガールズ・バンドというのはほぼ0%だった、というのが現実です。
その背景にはですね、「女の子たちのグループのパターンが先に確立されていた」というのがありまして
こうした、あの当時に「ガール・グループ」と呼ばれるヴォーカル・グループがすごく流行ってて、この形態が一般的だったんですよね。
ただ、ビートルズが前座を懇願したほどのロネッツの熱烈なファンだったり、ラモーンズやスティーヴン・タイラーが青春時代にシャングリラズのファンだったり、ロックからも支持があったものもあったのも確かです。特にシャングリラズは上の動画でのパフォーマンス見る限り、かなりロックな見せ方もしてたようですしね。
そういうこともあってかブリティッシュ・ビートにバンドとして女の子、参加してませんでした。ただ、女の子なりのロックへの対応というのがイギリスにはありまして
このようにスウィンギン・ロンドンのおしゃれな女の子達がロックを歌っていたものでした。
各レコード会社に一人いたんですよね。ビートルズのパーロフォンだったらシラ・ブラック、ストーンズのデッカだったらルルやマリアンヌ・フェイスフル、キンクスのPyeだったらサンディ・ショー、マンフレッド・マンのフィリップスにはダスティ・スプリングフィールド、といった具合ですね。ルルのパンチの効いたハスキーな歌いっぷりはかなりロック的ですけどね。
ただ、ブリティッシュ・ビートのバンドにも一人だけ女の子がいましてですね
1964年に「Have I The Right」という英米トップ10ヒットを持つハニカムズというバンドのドラマーが女性だったんですよね。
このハニー・ラントゥリーという人は文化史的に研究されることが少なくありません。
で、オールガールズ・ロックバンド、というのも実は存在してまして。それが
このザ・ライバーバーズというリバプールのバンドでして。彼女たちはジョン・レノンに直に「女の子にギターは弾けない」と言われてたようでして、それで火がついてビートルズで有名なキャヴァーン・クラブに出演して人気を博していたようです。
残念ながら商業実績はなかったんですが、日本では当時「リバーバーズ」の名前でデビューしていたようでして、なんと来日公演までしています。
そんな彼女たちのことは
このショート・ドキュメンタリーで見ることができます。
③フォークロック・グループからジャニスやグレースまで
そうしているうちに1965年頃から、アメリカでロックに関して、女性の参加率を高めることが起きました。それがフォーク・ロックのブームでした。フォークロックはボブ・ディランやバーズが口火を切ったものでしたが
ママス&パパスやソニー&シェール、あとシーカーズやスパンキー&アワー・ギャングなんかもそうですね。女性ヴォーカリストが入ってフォークロックを歌うパターンが見えてきます。
これはフォークが伝統的に女性のアーティスト参加率が高かったことに由来します。元々フォークとロックというのは水と油で、フォークの側はロックンロールの思想のなさとうるささを嫌っていたんですけど、ディランがエレキを持ち始めたことでこれが一転したわけです。その副産物として、女性のロックへの参入を高めたことにもなったわけです。
で、その発展系として
1967年、サンフランシスコではフォークロックがサイケデリック・ロックに発展しますが、そこでグレース・スリック擁するジェファーソン・エアプレインやジャニス・ジョプリン擁するビッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニーが出てきます。一般にはこの2つが女性ロックのパイオアニアと思われている印象がありますね。ジャニスはフォークというよりはソウルなんですけど、本当は。だけど、白人女性のソウルという受け皿なかったし、彼女もフォークはやってましたからね。
ちなみにサイケデリック・ロック経由で女性の参加率が上がった例はイギリスでもありまして
サンディ・デニーがヴォーカルを務めていたフォークロック・バンドのフェアポート・コンヴェンション、ソウルフルな歌唱のジュリー・ドリスコル、そしてブルース・ロックバンド、チキン・シャックのピアニスト、ヴォーカリストだったクリスティン・パーフェクト、のちのフリートウッド・マックのクリスティン・マクヴィー。こういう人たちが出てきてもいたわけです。
④今日に影響を与える元祖パンク・ガールズ
ただ、今日において、フォークロックの女性たちがガールズ・バンドたちにとっての指標にされているかはいささか疑問です。ジャニスあたりは多少あっても、そこまで影響力大きくない気がしますそれよりは圧倒的に
ヴェルヴェット・アンダーグラウンド&ニコではないでしょうか!
やっぱ音楽的な普遍性の強さと、圧倒的なオシャレ感の強さですよね。シンガーのニコにドラマーのモーリーン・タッカー。こういうバンドに女性がメンバーとして2人いたのは効いたと思いますね。
あと、「演奏技能よりもセンスだ」という、体力面でのハンデもあり女性の楽器プレイヤーが技能的実力が一般的に男性に追いつく前の段階においては特に必要とされたメンタリティもここにはあります。
その意味ではこれもそうかな。
シャグスやヨーコ・オノもこの系列で語る人、いますよね。まあ、個人の意見ではあるんですけど、この2組に関しては彼女たちの演奏、歌唱、楽曲を取り上げて、「女のロックなんて所詮・・」みたいな例で使われる光景もしばしば目にするので、ちょっとネガティヴな印象も与えかねないものなので、紹介はやや躊躇はするものではあります。
④英米以外でも進んだガールズ・ロック
ガールズ・ロックが進んだのは英米だけではありません。他の国でも少しずつ芽生えてきたものでした。
ブラジルのムタンチスやデンマークのサヴェージ・ローズ、そしてオランダのショッキング・ブルーがその例ですね。ムタンチスがヒタ・リー、サヴェージ・ローズがアニゼット・コッペルといった長いキャリアを築いたレジェンダリーな女性ロッカーを生み出しました。ショッキング・ブルーは日本でも人気があったんですけど、マリスカ・ヴェレスは人気あったと聞きますね。
これらも③で示したフォークロックからの流れな気はしています。
これが1968年くらいなんですけど、同じ頃日本では
https://www.youtube.com/watch?v=0P94wD5zC9g
イギリスのブリティッシュ・ビート・ガールズと似た感じで、GSガールが売り出されました。中村晃子の「虹色の湖」はその中でも秀逸の1曲ですね。
そしてオール・フィイーメール・バンドのGSバンド、ピンキー・チックスもデビューしています。ただ、後で発見されたカルト評価の印象ではあるんですけどね。
ただ、一番成功したのは
インドネシアのダラ・プスピタでしょうね。これはブリティッシュ・ビートの女性版みたいなオール・フィーメール・バンドなんですけど、アルバム7枚も出してて、1974年まで本国やヨーロッパを中心に精力的な活動やってたんですよ!
彼女たちは文化史的な研究対象にもなっていて、ドキュメンタリーも作られています。
⑤なかなか火がつかなかったオール・フィーメール(ガールズ)・バンド
ただ、「メンバーの中に女性がいるバンド」は出てきても、メンバーが全員女性のバンドというのは、なかなか受け入れられないものでした。
一般的には1960年代半ばから後半にアメリカでメジャー契約を果たしたゴールディー&ザ・ジンジャーブレッズ、そしてプレジャー・シーカーズがオール・フィーメール・バンドの先駆という言われ方をしています。ただ、成功規模は前述のダラ・プスピタのほうが大きかった気もするんですけど。この辺りだとアルバムまでは出てませんからね。ただ、プレジャー・シーカーズは後述しますスージー・クアトロが彼女とお姉さんたちで作ったバンドです。
ただ、そのガールズ・バンド不遇期で最も気を吐いたのって
ファニーですね!
彼女たちは1970年代前半にニール・ヤングで有名なレーベル、リプリーズからメジャー・デビューしてアルバム5枚残してます。うち2枚はビルボードのアルバム・チャートに100位圏外ながらも入ってます。
彼女たち、演奏力あって曲もよく、僕のお気に入りでもあるんですけど、世の評価が追いつかなかったんですよね。デヴィッド・ボウイも彼女たちのファンでして、ファンレターを出していたという逸話まで存在します。
⑥転機となった1975〜76年 女性ロッカーがアリーナへ
そうしているうちに1975〜76年。女性ロックにとって大きな転機が訪れます。それは女性のロッカーがアリーナ・スターへと邁進していくことになる年です。
これに関してはですね、実は端折ってるところもあります。いわゆるローラ・ニーロ、キャロル・キング、ジョニ・ミッチェル、カーリー・サイモン、リンダ・ロンシュタットと言った、主にフォークからの流れの女性シンガーソングライター、欧米のロック史観ではロックとは分けて語られる傾向があります。僕個人としてはロックとの接点も十分ある人たちだとは思うんですけど、彼女たちがいることによって、「女性がバンドで」と言うニュアンスがどこか緩和され、インパクトを弱めてしまってる要素もあるのかなとは思います。日本はこの辺りが人気ではあるんですけどね。
あと、この1975〜76年は二つの意味で大事なので、今回はその前半のみを語ります。
女性ロックのアリーナ化で功績を果たした人としては
https://www.youtube.com/watch?v=7SXWgC0SLCA
グラムロック時のスージー・クアトロが大きいですね。1973〜74年。イギリスと日本に限定されてる印象もなきにしもあらずですが、ロックンロールに乗った女性、という意味ではこの先、非常に大きかったような気はしてます。
そして1975年から76年にかけて
フリートウッド・マックがスティーヴィー・ニックスとクリスティン・マクヴィーの2人の女性を擁して、アメリカ最大のバンドになりました!
これ、非常に大きかったんです。スティーヴィーに関しては、ルーツそのものはそれこそリンダ・ロンシュタットやカーリー・サイモンに近いものはあったんですけど、アリーナで、女性であることを強く主張した華やかなファッション・センスでスポットライトを浴びたこと。これが大きかったんです。さっき言ったフォーク上がりのシンガーソングライター、舞台恐怖症の人が多かったですからね。
それから
女性初のハードロック・バンド、ハートのブレイクですね。彼女たちも70年代後半、クイーン、キッス、エアロスミス、ボストン、ELO、チープ・トリックあたりと並んで重要なアリーナ・バンドに女性として顔を連ねることになりました。
あと、この時代的気分は国の外にも及びまして
ブラジルではムタンチスを脱退したヒタ・リーがロック・クイーンになり、日本ではフォークシンガーとして人気となっていたカルメン・マキがハードロック・クイーンとして注目された年でもあります。