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あなたの感性を信じるということ〜『戸田真琴、カンヌに挑む。』を観て感じたこと

戸田真琴さんの二作目となる新作映画製作発表の配信動画を観た。緊張した面持ちで時折り若干の不安を滲ませつつも、それ以上に喜びを隠し切れないという感じの戸田さんのトークは胸にくるものがあった。

配信で語られたことの中で特に心に残ったのは、「観客を信じる」という言葉だ。売れることを最優先に掲げて作られたような映画が乱立する中で、それでも自分の映画を観てくれる人たち、新作を楽しみに待っていてくれる人たちのことを信じて自分が本当に撮りたい映画を作るという決意の言葉は一ファンとして凄く嬉しかったし、映画と音楽とでジャンルは違うけれど、同じものづくりの端くれとしてとても心強く、背中を押してもらったように感じた。

戸田さんも語っていたように、自分も商業主義的な映画を否定するつもりはない。でも、だからといってそんな映画ばかりではどうにも息苦しい。戸田さんの前作『永遠が通り過ぎていく』がそんな世の中の大きな潮流から零れ落ちてしまった人たちにとっての受け皿たる作品だったのは、観客の感性と想像力を信じて作られたからこそだと思う。
多様性なんて言葉を持ち出すまでもなく、この世界には色々な人がいて、ひとりひとりそれぞれが違うんだから、同じように映画だってもっともっと色々な作品があっていいはずなんだ、本当は。

一連の話を聞きながら、事務所の人だったかレコード会社の人だったか忘れたけれど、とにかく偉い人に「わかりやすい曲を作れ」というようなことを遠回しに言われたことを思い出した。

「わかりやすい曲を作れ」

その場で反論はしなかったけれど、「は?何言ってんだ?」という顔をしていたと思う。だって、それって受け取る側の人たちを下に見ている、聴き手の人たちの感性をはじめから鈍いものと決めてかかってるってことだから。わかりやすい音楽を作って一時的に売れたとしても、そんなのはその場凌ぎでしかなく、長い目で見れば音楽を、文化を衰退させていくことにしかならない。そんな考え方に賛同出来るわけがないじゃないか。それでもそれがあなたの信条だというのなら、そんな回りくどい言い方をしないで「大衆は馬鹿だ」ってハッキリ言えばいい。でも絶対にそういう言い方はしないんだよ、あの手の人たちは。狡いよね。

言うまでもないけれど、偉い人からのありがたいお言葉には勿論従わなかった。自分の作る音楽が沢山の人たちに受け入れられたらいいなと思うけれど、それは音楽を作る上での最優先事項ではないから。それにそもそも自分の音楽が難解だなんて思ってなかったし。

聴き手の人たちの感性を信じて、自分が作りたい音楽を作る。その信念を貫いて結果を出せたら良かったんだけど、そうはならなかった。自分の考えは決して間違ってなんかいないってことを言葉じゃなく、身をもって証明することは出来なかった。だから今書いているこの文章には説得力が無いかもしれない。売れなかった奴の所詮は戯言だと思う人もいるかもしれない。これ以上言葉を重ねるのは無意味なことはわかってる。あとはもう生き方で示していくしかないということも。なのでTwitterやブログ、note.等にこういうことは書かないことにしてるんだけど、戸田さんの新作発表は自分にとっては特別なことだから、文章として書き記しておきたかった。

長くなってしまったけれど、最後にもうひとつだけ。「自分が果たせなかったことを戸田さんに託す」みたいな気持ちでこの文章を書いているわけでは全然無いということ。クラウドファンディングへの参加も然り。そこは切り分けて考えてる。自分の重荷は自分で背負って僕が僕なりのやり方でこれからも自分の信念を貫いていくことと、一人のファンとして戸田さんを応援することは、根っこの部分で繋がってはいるけれど、動機は別だから。
僕が戸田さんに対して願っているのは、ただただ純粋に自身の信念を真っ直ぐに貫き通して最高の映画を作って観せて欲しいということ。そして配信で語っていたようにいつか巨匠になって欲しい。出来れば僕が死ぬ前に。このふたつだけです。

戸田真琴監督へ。戸田さんが観客の感性を信じて映画を作るように、観客である僕も戸田さんの感性を信じて新作の完成を楽しみに待ちます。お身体に気をつけて、制作頑張って下さい。「賞が獲れなかったとしても〜」なんて野暮なことは言わないです。総獲りしちゃって下さい。新作の完成共々、目茶苦茶楽しみにしてます!

古明地洋哉

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