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嫌われそうなことは早めに言っておこう~芸術系ブログの物足りなさ

私が『セレマ学院』を始めた理由は固定ページやプロフィールにも書いていますが、それはポジティブな動機からです。
ですが実は別の理由もあって…  今回はそのことを書こうと思います。
これは人によってはネガティブなことと受けとられたり、反感を感じられるかもしれません。
ですからまだフォロワーも少なく、嫌われてもダメージの少ないうちに書いておきたいと思いました。

芸術系情報発信の多くはつまらない

ブログやYouTubeなどで学問的というか、真面目なジャンルの情報発信をしている一般の方は多いですよね。
歴史や文化関連が多いですが、数学や言語学に関するものも見てみると面白いものがいろいろあります。
特に専門の研究者でもないのにとても詳しくご存じで、私も楽しく見せていただいています。
芸術系のブログもたくさんあるのですが、私個人の感想で言うと、他のジャンルと比べて“つまらない”ものが多いように感じています。

既に地雷を踏んだ気がしますが、話を続けますね。

芸術系のブログがつまらなく感じるのには理由があるのです。
一つは私もこだわりのあるジャンルなので、つい厳しめに見てしまうのかもしれません。
ですが最大の理由は他のジャンルとは違って『感想』が主体となりがちで、これがややもするとつまらないものになってしまっているからです。
「個人の感想なんだから面白く書く必要なんか無いじゃないか」と言う人もいると思います。それはその通りかもしれませんね。
ですが「それって書く必要ある?」と思えるようなことを書いて、それを“情報発信”と思われていたら、私なら残念だなと思うのです。

このことは舞台音楽(オペラやバレエ)に関するネット上の『語り』で特に感じます。
そこでここではそうした音楽関連のブログについて述べてみたいと思います。

よくある観劇レポート

例えばオペラ観劇報告みたいなブログがあるとしましょう。
「主演の○○氏は張りのある素晴らしい歌声で、大いに観客を沸かせていた。」とか、
「今回のお目当てはヴィオレッタ役の○○様。彼女の生の声が聴けて本当に感動しました!」
他にもいろんなパターンがあります。オペラばかりではなく、バレエや演奏会でも。
そうした感想を読んで、私たちは何か得るものがあるのだろうかと思います。

それでも海外の舞台の報告なら興味が湧かないこともありません。
ですが国内公演の場合だと一般の方のブログでも、まるで“御用評論家”が書いたみたいな絶賛観劇(感激?)ルポみたいなものが目立つ気がします。
しかも明らかに特定のキャスト“推し”なのが見えてしまったりすると、私は冷めた気持ちになってしまうのです。

(ちなみに私は国内でのオペラ公演にはどうしても厳しくなってしまいます。オケの演奏にパッションが無く、歌手の歌唱力はともかく演技力が不足しています。演出は凡庸か、逆に理解に苦しむようなものが好まれるように感じます。
日本人のオペラに関する演技力事情で共感できる記事があったので、参考までにご紹介させていただきます。)

具体的に魅力を語らないと有益とは言えない

もちろん批評家ぶって一般人がプロの仕事を批評するのは出過ぎたことだと思うし、私もしません。
何なら素人なりの感想を綴った記事があってもいいし、“オペラ観劇という上品な体験をしてきました”的な報告だってあってもいいと思います。
ホテルのアフタヌーンティーに行ってきた写真をインスタに上げるみたいな…
ですがクラシック音楽、特に舞台系のネット記事が「素晴らしかった」「感動した」ばかりならば、私はとても残念です。クラシック音楽のポテンシャルはそんなものではないはずです。

音楽に関する語りが感想メインになるのは、音楽そのものが抽象的であるからでしょう。
ですが舞台音楽には物語があり、具体性があります。
それどころか舞台上にはそれを演技している歌手やダンサーがいるのです。
少なくともただの感想以外にも語られるべき“何か”はあるはずだし、それを語らないことには舞台音楽の魅力を伝えることはできないと思うのです。

感想だけでも面白がってくれる人はいると思いますが、やはり人は自分に有益でないものに長期間は関心を持たないものです。
ならばもしオペラやバレエ音楽のファンを増やそうという目的があるならば、何がどういいのかを具体的に理解してもらえるような『語り』がもっと必要なはずだと思います。

芸術の魅力を伝えることの難しさ

芸術は間違いなく最高にエキサイティングな娯楽だと私は信じていますが、その魅力は「ハードルの高さ」にあると考えています。
日常を越えた先により高い価値のある世界を発見することが芸術を楽しむ醍醐味なのです。ですから私は芸術のハードルを下げることはしたくないと思います。
わかりやすさを最優先にはしたくないし、「面白かった」「楽しかった」だけでその魅力を語った気になるのも嫌なのです。

また芸術の最終到達点は「知識」ではなく「感動」である以上、その魅力を伝えようとするとどうしても情緒に訴える必要があります。そのため芸術を語る人はちょっぴり『詩人』である必要があるのかもしれません。
ですが芸術系のブログにはこの『詩情』が足らないものも多いですね。(ちなみに旅行系YouTubeに『旅情』が足らないものも…)
私は芸術、特に音楽に対して事実と感想だけのブログでは物足りなく感じてしまいます。

わかりやすい内容にしたら伝わるのか?

「あなたみたいにくどくど説明されても難しいだけだよ。」というご意見はもっともですね。
でも芸術の魅力を伝えるのに“難しい”部分を取り去ったり、大衆的な面白さを加味したりするのは間違いだと思いますし、予備知識を否定する人も楽しみ方を知らない人だと思います。
ワインの魅力をわかってもらうためにアルコールを抜いたり、ジュースで割ったりするのは何か違うということは皆さんわかりますよね?
また美味しかったかどうかだけでワインの魅力は伝わるでしょうか?
ワインに対する知識もワインを楽しむ要素として重要であることは皆さんにもご理解いただけると思います。
そうしたことは芸術も同じなのです。元の作品をわかりやすくアレンジしたり、感想ばかりを語ったりしても、それでは初心者は「そんなものか」としか見てはくれません。

ちなみに著述家・プロデューサーの湯川玲子さんがすごく頷けるお話をされている動画があったので、ここでご紹介しましょう。
「クラシックって身近な音楽ではないです」とバッサリ。
そこでいかにして魅力に気付いてもらえるかについて語られています。

芸術の魅力を私なりに伝えるには

芸術は難しくて、近寄りがたくて構わない。
ただその手引きをしてくれる人さえいてくれたらいい。
そう考える私が『セレマ学院』でやりたいことは芸術のハードルは下げずに、新たに興味を持ってくれた人にそのハードルを越えるお手伝いをすることです。
具体的に言えば作品に魅力を感じ、それに感動する『プロセス』の一例を伝えることです。
もちろんそれは「セレまさ流」でしかありません。
ですが私が感動を皆さんに真摯に伝えるには、今のところそうしたやり方しか思いつかないのです。
そのプロセスをなぞるような説明の仕方だから記事が長くなってしまうのでしょうね。

感動を理性的に伝えようとするのは本当に難しいです。
だから多くの人がそれには成功してこなかったのではないかと思います。
でもそれで諦めてしまったら結局芸術の魅力はいつまでも理解されないままなのではないかと勝手に心配しています。
そのくせ私もつまらない記事をしばらくは書いていくでしょうが、そこは日々鍛錬を重ねていくしかありません。


というわけで、ネガティブに聞こえることは先に話してしまおうという記事でした。
悪い例に挙げたような感想を書いている人もご本人は真面目に書かれているのでしょうし、感動されたこと自体を否定するつもりはありません。
ただ私は私にとっての理想の表現を目指していきたいという思いを語っておきたかったわけです。
『セレマ学院』の思いのポジティブなところは以下の記事に記していますので、こちらも読んでいただけると嬉しいです。


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