最後の浮世絵師、月岡芳年の魅力➁
今回は月岡芳年の魅力の第二回目です。
まだ1回目を読まれていない方はこちらから先にどうぞ。
芳年が浮世絵を発表し始めた時、時代は幕末の変革期でした。
描くテーマも描き方もそれまでの浮世絵とは違うものになっていきました。
時代の空気に触発されて、ことさらに凄惨な表現もやってみました。
ですが明治に入ってからは世情も安定したためか『血みどろ絵』の発表もなくなります。
代わって芳年は新たな表現へと進んでいくことになるのです。
メディアとの関わり、“伝える”浮世絵へ
明治に入り、報道メディアは瓦版から新聞に変わりました。版画の需要にも新聞の影響が浸透してきます。
それが『錦絵新聞』です。
要は絵がメインの新聞、現代の写真週刊誌みたいなものでしょうか。
芳年もいくつかの新聞に絵を提供します。
猟奇的な事件では『血みどろ絵』の残り香を感じさせますが、私にはこの辺から作風が大きく変わっていくように思えます。
求められるのはいわゆる“名場面”ではありません。
描かれるのは英雄ではなく一般人です。
一般人が決定的瞬間で見得を切るはずも無いので、顔のアップは使えません。
構図も重要ですが、あくまでも現実味が優先です。
人体の描き方もデフォルメは廃され、リアルさが求められます。
こうした要請から芳年の画風の中に現代的な味わいが生まれていったように思います。
それは歴史や物語を“現実のように”描くという作風に繋がっていくのです。
より劇的な表現への挑戦
明治に入ってからも芳年はもちろん本業の浮世絵も描き続けています。
それは伝統的な浮世絵の表現にとどまりませんでした。
そこにはより動きのある構図へのこだわりと、物語をお決まりの「名場面」としてではなく「意味のある瞬間」として自分なりの描き方をしようという意志が感じられます。
いよいよ“血みどろ”ではない芳年の魅力がはっきりと表れてくる時代に入って行くのです。
物語をより“意味ありげ”に描く手法
芳年は自分の作品で登場人物をお決まりのシチュエーションで描くという方法でなく、一定の“型”からは自由な描き方をして、その場面に劇的な雰囲気を持たせようとしていたように感じます。
いわゆる浮世絵のイメージの役者絵や美人画という「絵」単体で見せる作品から、取り上げた情景をいかにリアルで意味ありげに描くかという点に関心が向きつつあるように思えるのです。
「歴史の名場面」から『歴史画』へ
上記二点の「和気清麻呂像」は日本の歴史画の傑作と呼べるものですが、どちらも映画の一場面のように前後のストーリー展開が理解できていて初めてその意味が伝わるような性格の作品だと言えます。
描かれていることに対する知識と意味まで理解していることを求められる絵画とは多分に西洋絵画的ではないでしょうか?
そこでこれ以降芳年の作品と西洋画との比較もしていこうと思います。
突飛に思われるかもしれませんが、私は双方には共通する感性が存在すると考えています。
従来の浮世絵の「歴史の名場面」的な描き方から知的興味を満たすための描き方への変化は、「日本の歴史画」と呼べるものの誕生を意味しているように思えます。
この点については改めて最終回で述べたいと思います。
今回はここまでです。
次回は劇画のような芳年と、従来からある『美人画』でも従来の浮世絵を越えてしまう芳年を見ていきましょう。