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最後の浮世絵師、月岡芳年の魅力④

前回の記事ではアクロバティックな構図や生き生きとした女性像を描く芳年の作品を見ました。

今回は芳年の作風が十分に現代にも通用し、その作品は「これぞ近代日本の絵画芸術」と呼ぶにふさわしいものだということを見ていきましょう。

芳年の西洋絵画的な表現

今回の記事では芳年のいくつかの作品と西洋絵画とを並べて見ていこうと思います。

私は西洋絵画の特徴とは「絵そのものがどこか意味ありげに描かれている」ことだと思います。
そしてそうなった理由は、西洋の美術作品が“演劇的”に描かれるようになったからではないかと考えます。
単なる場面の説明を越えて見る人の心に訴えるような複雑な表現を、西洋人は「演劇」から学んだのではないでしょうか。

それに対して浮世絵でも演劇的(というか歌舞伎的)描き方が試みられてはいましたが、何かシンプルな着想しか描いていないように思えます。
ですが芳年の物語画にはもっと意味ありげで、シリアスで、複雑な情感のようなものが感じられます。
それは多分に西洋絵画的でさえあるのです。

多様な感性を駆使して描かれた『月百姿』

芳年の晩年の作から『月百姿』を紹介しましょう。
このシリーズは月にちなんだ場面を百点選んで描いた作品です。

題材は史実以外にも物語や日常的な場面など多岐にわたり、抒情的なムードが印象的な連作です。
またこの作品は構図や色使いが非常に洗練されていて、とても理知的な印象すら感じます。

似た構想で描かれた西洋絵画もありますので、併せてご紹介します。比較しながら見ていただくと面白いと思います。

『月百姿』朧夜月 熊坂 明治20年(1887)
能『熊坂』の登場人物、熊坂長範は源義経と戦って敗れてしまいます。(第③回を参照)
この絵は亡霊となって表れた長範の姿。
演者の一瞬のポーズと衣装が形作るフォルムの美しさ。
役者を描いた肖像画では世界でも屈指の作品でしょう。
『月百姿』朱雀門の月 博雅三位 明治19年(1886)
笛の名手、源博雅が朱雀門で出会ったもう一人の見知らぬ名手は実は朱雀門の鬼でした。
二人の笛の音の調和を、芳年は人物の表裏対称な姿で美しく表現しています。
『月百姿』垣間見の月 かほよ 明治19年(1886)
忠臣蔵』の一場面。塩谷判官の妻かほよに懸想した高師直。
師直に風呂上がりの素顔を見せれば熱も冷めるだろうと侍女が画策しましたが、
かほよの美貌に師直はかえって執着してしまいます。
ティントレット『スザンナの水浴』(1550年頃)
こちらは出歯亀オヤジが二人。
こちらもこの後オヤジたちがスザンナに言い寄ってきます。
覗きシーンは洋の東西を問わず共通なのでしょうか。
『月百姿』月宮迎 竹とり 明治21年(1888)
天に帰るかぐや姫を、なすすべもなく見送るしかない竹取の翁。
彼の悲しみを芳年は顔ではなく後ろ姿で表現します。
アングル『ルイ13世の誓願』(1820年~1824年)
聖母子に跪くルイ13世。
描き方は違いますが、芳年の作品と着想は似ているような気がします。
『月百姿』“たのしみは夕顔たなのゆふ涼 男はてゝら 女(め)はふたのして” 
明治23年(1890) 「てゝら」はふんどし、「ふたの」は腰巻のこと。
仲睦まじい夫婦のくつろいだ場面を、あえて背中で表現しています。
おかみさんの生活感たっぷりで、それでいて愛おしくなる背中。
アングルの裸婦像に負けていない気がします。
ハルス『イサーク・マッサとベアトリクス・ファン・デル・ラーンの結婚肖像画』(1622年頃)
オランダ・バロック絵画の傑作。
当時仲睦まじい夫婦をこのように描くことはあまりありませんでした。
仲良し夫婦の空気感は西洋でも日本でもさほど変わらないことがお分かりいただけるでしょうか?
アングル『ヴァルパンソンの浴女』(1808年)
アングルは女性の背中をいかにそのまま美しく描くかに挑戦し、見事に成功しました。
緻密に描かれたこの作品の背中と、肌色一色で描かれた芳年の背中。
シンプルに描いた芳年の絵の方に人の肌の匂いを感じるのは私だけでしょうか?

切ない恋の物語 血みどろでない芳年は物足りない?

『月百姿』では女性の切ない恋が多く描かれます。
それは20世紀に“血みどろ絵”の芳年を好んだ人たちからはあまり評価されなかったようです。
猟奇性、奇想、狂気、そんな切り口で芳年は語られてきました。
ですが芳年の作風は既にそうしたものを離れ、静かな中に深い思いを秘めた情景を描くようになっていました。

私たちはただセンセーショナルな表現を面白がるだけでなく、日本の浮世絵という大衆向けの絵画が“深い内面性を備えていったことも見ていくべきだと思います。

『月百姿』卒塔婆の月 明治19年(1886)
この物乞いの老婆は実はかつての美女・小野小町です。
昔言い寄ってきた深草の少将に無理難題を吹っ掛けて死なせた呪いで
たびたび錯乱を起こすのでした。
少将の思いの深さを思い出す小町の遠いまなざしに注目してください。
『月百姿』源氏夕顔巻 明治19年(1886)
「源氏物語」で六条御息所の生霊に殺された夕顔の幽霊の図。
夕顔の霊の姿が夕顔の蔓(つる)と重なり、幻想的な雰囲気を醸し出しています。
夕顔という決して見映えのしない植物をこれだけ美しく描ける芳年の表現力。
『月百姿』法輪寺の月 横笛 明治23年(1890)
横笛と斎藤時頼は恋仲でしたが時頼は父親によって出家させられてしまいます。
時頼のいる寺を探し出して会いに来た横笛に対し、決意の固い時頼は会ってくれません。
顔を隠して泣く横笛。無垢な彼女を表す白い衣。無情に吹く秋の風が描かれています。

『うぶめ』日本的裸婦像

最後に肉筆画の作品『うぶめ』をご紹介しましょう。
『月百姿』にも出てきそうな悲しげな女性の姿です。
ですがこれは悲恋の物語ではありません。産褥死した母親の幽霊が題材です。
彼女の腰巻にはくっきりと血の跡が描かれていますが、それはかつての“血みどろ絵”の猟奇性とは趣を異にしています。

この作品はまるで『ミロのヴィーナス』を後ろから見たような美しい姿を描くと同時に、私たちがシチュエーションを理解した上でこの母親の心を想像しながら見てくれることを想定しています。
シンプルな表現を想像力で補いながら鑑賞する芸術のあり方は、いかにも“日本的”だと言えるでしょう。

この作品『うぶめ』は「幽霊画」の伝統に立ちながら、日本的裸婦像の最初であるとも言えるかもしれません。

『幽霊之図 うぶめ』制作時期不明 肉筆画
第①回記事で紹介した「うぶめ」の絵からは格段の成長です。
母親の幽霊を背中から描くことで、心に沁みるような悲しみを表現しています。
シンプルで美しい、日本の裸婦像の誕生ともいえる作品です。


今回はここまでです。お疲れ様でした・・・
長いシリーズでしたが次回で最終回です。
そこでは芳年最晩年の作品を見ながら、彼の絵画の可能性について見ていきたいと思います。。


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