ルーチンは定期的に破壊する
昨日の夜から家族のもとへ。正月ぶりに単身の地から逃れてきました。家庭料理や娘の騒がしさ。いつもとは違うベッドや起床後の行動動線の変化に戸惑いました。「環境変化」によっていつもと勝手が違う。私はこの、いい意味での「不快さ」が好きです。マンネリを防ぎ、変化に対応しようと努める負荷を心地よく感じます。
パラノとスキゾの比較を思い出しました。パラノは「パラノイア」、つまり偏執型。一方スキゾは「スキゾフレニア」で分裂型を表します。パラノ型の人は、一貫性のある性格、人生を送っていると評価され、スキゾ型は固定的なアイデンティティに縛られることがありません。
パラノ型は「環境変化」に弱いとされています。一貫性がある、ブレない、この道ウン十年という価値観にしばられて、自分のアイデンティティを固持しようとします。ですが偶発的に訪れる変化や機会にたいして私たちは、過去に蓄積したアイデンティティとの整合性を考えることなく、そのときどきの直感や嗅覚にしたがって行動してしまいます。変化や機会を受け入れるか否かは別として。
「危ない」と感じるアンテナの感度。逃げる決断をするための「勇気」 自分の美意識や直感の赴くままに自由に、その時点での判断、行動、発言と過去のアイデンティティや自己イメージとの整合性にこだわることのないスキゾ型。アイデンティティなんてさっさと捨てて、でもなお「自分」というものを崩壊させることなく「分裂させておく」ことができます。
「一度この船にのった以上、最後までがんばる!」
初志貫徹、ブレない一貫性は信頼され、尊敬され、あこがれの象徴なのかもしれません。ですが、現代はVUCAと呼ばれる激動の時代。世の中の変化は速く、ますます複雑化して、あいまいな未来の予測に確信は持てません。企業の寿命はどんどん短くなり、個人の人生も多様化しています。
「未来はどうなるのか?」ではなく「未来をどうしたいのか?」
未来を構想して、構想した未来の実現のために意見し、行動を起こす。進化するテクノロジーを用いて、環境変化を自らのチャンスに変えて大きな豊かさを求めていく。経験に頼らず、あたらしい状況から学習。パターン認識の能力は価値を減殺させるどころかむしろ足かせのように、個人の状況への適応力を破壊することになりかねません。
あたらしい何かを学習するためには、その対象と何らかの齟齬やコンフリクトを起こす古い価値観を捨てなければなりません。多くの人は失敗をくりかえし、その代償として確立した「パターン」や「ルーチン」を獲得している。だからこそ「リセット」が怖いんだと思う。少なくない代償をはらって獲得したパターン。手放したくないという心理は現状維持を是としてしまいます。
ですがはげしい環境変化によって経験の価値は薄れています。目の前の状況を虚心坦懐に観察し、過去に蓄積した経験と知識をアップデートし続ける。変化に富む現代社会において、「経験豊富な年長者による意思決定」は、必ずしも組織の意思決定の品質を担保することにならず、むしろ品質を破壊的に毀損する可能性があります。
哲学者のタレブさんは、「半脆弱性」という概念を提唱。環境変化が激しくなれば、最新の情報や知識こそが重要だと考えてしまいがちですが、タレブさんはそのような知識を「脆い」と表現し、知識や情報は「新しければ新しいほど効用の期待値は小さい」と訴えました。知識や情報の「旬の期間」が短くなって、陳腐化が促進されているということ。
だからこそ、そんな時代だからこそ、環境変化に対して「半脆弱的」な知識や情報として、古典に代表される教養的知性に着目しています。「30年の経験がある」と豪語する職人に対して「1年の経験から学び、あとはおなじことを29年繰り返しただけ」と言いきるのは脳神経科学の人たち。
経験の多様性。
いろんな仕事を、いろんな人たちと、いろんなやり方でやったという「経験の多様性」が、良質な体験をもたらし、学習を駆動することになる。休日はアクティブレストと称し、「ルーチンの破壊」につとめるのも一手。久しぶりの帰省はそんな気づきをもたらしてくれました。
明日もおそらく、私の予想をくつがえすことばかり。最低限のことをやるために、起床時間の前倒し、取り組む時間帯の変化、高い集中力をうみだすあらたな場づくりはルーチンを大きく破壊します。ですがこの破壊が、あらたな発見につながる可能性が高いと思っています。
久保大輔