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ちょっとめんどくさい?それでも「理屈」が重要な理由


Jリーグクラブの
ポスターひとつ取り上げてみても、

いろんな「理屈」を並べることができます。

クラブ内の人にとって、
もしくはサポーターや私のようなサッカー好きには

たまらないデザインだとしても、

ポスターの目的が「新規顧客獲得」
になった途端に

そのかっこいいデザインを
否定する理屈がたくさんでてきます。

理屈、つまり「理論」とは
いったい何なのか。

今日はその理論の正体を解きほぐしつつ、

現代社会の不確実性に挑む
気構えや、理論の価値

についてまとめてみたいと思います。


■論理じゃないから、論理が大切

成功体験や失敗体験も、
具体的な現象を記憶にとどめておくのではなく、

現象の背後にある抽象度高い「論理」をつかみ、
引き出しにストックすることが大切。

論理の引き出しを
たくさん持つことや、

あたらしい局面に遭遇したときに、

どの引き出しを使うか、
適切な引き出しを選択できることは、

これからの時代に欠かせない
センスであると言えます。


世の中で起きるすべての事象のうち、

論理で説明できるのは
せいぜい2割程度

残り8割は、運や偶然
人の力ではどうにもならないことに影響されます。


しかしながら
水が入ったコップを見て、

「あとどれぐらい水が入るか」

を知るためには、

すでにコップに入っている水の量を
正確につかんでおく必要があるのと同様、

論理で説明できない範囲を知るためには、
論理で説明できる範囲を知っておかなければなりません。


テキトーにやって
うまくいくこともあれば、

理詰めで考えて実行したことが
全然うまくいかないこともあって、

だからといって論理をおろそかにしていい、
と帰結するのではなく、

論理は「その程度」であったとしても、
少しでも成功の確度をあげるために

論理で説明できる部分を
徹底的に深掘りできるかどうか。

論理を大切にしてもしなくても、
結果に大差はないのかもしれませんが、

どのような態度で仕事に向き合うべきか、
という問題提起をしてみたい。


■論理があるからプロセスを共有できる

現代社会における不確実性
を考えると、

論理にもとづいた「完成までのプロセス」は
もっと評価されてしかるべき

だと個人的には思っています。


仕事におけるアクション
を振り返るとき、

論理があれば言語化して分析、
チームで共有も可能ですが、

論理を無視した、
当事者の感性に依存したアクションは、

検証段階における
自己満足性を回避することが非常に難しい。

プロセスは論理があってはじめて、

課題が言語化され、共有でき、
質の高い検証も可能になるのです。

そして、

成功を追い求めて試行錯誤するプロセスは、
不確実な世の中だからこそ価値が高まる

ということは、

正解が出るかどうかわからない状況下で
人は、欲求系のドーパミンを大量に分泌し、

正解が出ると分かっている状況下より
活動を活性化させるという科学的事実に基づく。

快楽系のオピオイドを味わうまで続く
この試行錯誤がもたらすモチベーションは、

そのプロセスにおいて

チームの結束力や一体感
を醸成することにもなるでしょう。


完成させるまでの苦労や達成感
に大きな価値
があり、

成果も大事ですが、
成果にいたるプロセスも、

これまで以上に評価される世の中
であってほしいと思っています。


■プロセスには「今しかない」価値がある

サグラダファミリアは、

建設途中でありながら
多くのお客さんでにぎわっています。

建設に携わっている人だけではなく、
一般の人々も、

そのプロセスを楽しんでいる。

入場料収入が
建設費(改修費)にあてられるので、

お客さん自身も
建設に関わっていると言えますね。


ガウディのスケッチによって
構想が固まり、

内戦によって焼失してしまいましたが、

さまざまな資料(設計図)をベース
に着工したサグラダファミリア。

リーダー(ガウディ)による
アート的思考(ビジョン)
を、

取り巻きの識者が
設計図(論理)に落とし込み

建設費はファンによる寄付(入場料)という、
オンラインサロンのようなコミュニティによって

100年以上にも及ぶ建設工事が
今まさに進行中である、ということ。

完成したカタロニア・モダニズム建築は
もちろん雄大で荘厳で、

誰の眼にもすばらしい建造物になることは
疑いの余地がありません。

しかしながら一方で、

建設途中に生きる

私たちは
その僥倖に恵まれ、

建築プロセスを目撃するという
希少価値
を十二分に享受しているも言えます。

建設途中の写真は、
今しか撮影できません。

完成後には手に入れることができない
貴重な写真を、

私たちは手に入れることができるのです。


■理論とプロセスを共有する

Jリーグクラブのポスターは、

ある人にとってはすばらしくて、
ある人にとってはどうでもいいもの。

しかしながら、

ポスターという広告の
「目的」が何であるかによって、

「すばらしい」に対するモノサシ
一つに収れんされていきます。

モノサシがひとつに決まれば、

寸法どおり
デザインを組み立てていくしかありません。

そして、その完成までのプロセスは、

テーマに沿った論理で説明され、
さらに共有できるのであれば、

制作プロセスを公開したり、
クラウドファンディングで資金を集めたり、

デザインに協力してもらうことも
可能になるでしょう。


完成品が成果を残すか残さないか、
(ポスターが新規顧客を集客するかどうか)

それは論理以外の
8割の偶然に大きく左右されますが

残り2割の
言語化された論理
とともに、

プロセスという「今しかない」価値
たくさんの関係者で共有できれば、

今までにない「あらたな価値」として

人々に満足感や幸福感を提供
できるのではないでしょうか。


※本稿は以下文献を参考にしました。
ストラテジストにさよならを(広木隆)



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