「反対意見」はむしろ求めて聞きにいく
どんなに個人の知的水準が高くても、同質性の高い人が集まると意思決定の品質は著しく低下。「反論の自由」は健全な社会の実現において必要不可欠です。イエスマンを周りにおいて意思決定をしたリーダーが組織や国を破滅に追いやる例は歴史的にもたくさんあります。
いかなる反論によっても論破されなかったからこそ「正しい」と想定される場合と、そもそも論破をゆるさないためにあらかじめ「正しい」と想定されている場合とはいうまでもなく全然違います。「悪魔の代弁者」という言葉があるくらい、反論してくれる人が極めて重大な局面で有効に機能した例も歴史を紐解けばたくさん見つかります。
より積極的に、自分に対する反対意見をむしろ探して求めるという態度。「非常に年齢が若いか、その領域に入って日が浅い」ことは、パラダイムシフトを起こす人の特徴ですが、相対的に弱い立場にある人の方がパラダイムシフトにつながるようなアイデアを持ちやすいのも事実です。
副操縦士が操縦桿を握っているときよりも、機長が操縦桿を握っているときの方が事故が起こりやすいという統計結果もあります。心理的抵抗から自分の懸念や意見を封殺してしまった結果であり、「反対意見」の重要性を示唆するものでもあります。
仕事をしていると無意識のうちに誤った行動をとってしまうことがありますが、幸いにして私の周りにはそれを指摘してくれる人がたくさんいて、命拾いをしたことは何度もあります。器が小さすぎて反対意見に対してイライラすることはゼロではありません。ですが求めてでも「悪魔の代弁者」の近くにいることのメリットは大きいです。
今日は友人としばし立ち話。友人の同僚とのいざこざを聞き、グチに付き合っていました。明らかに「揚げ足取り」なので友人の苛立ちは理解できます。ですが一方で、突っ走る自分を止めてくれる存在の大切さに思いをいたさざるを得ませんでした。
足を引っ張るのではなく、建設的な反論。盲目的に同意する仲間ばかりと一緒にいるのではなく、お金を払ってでも自分の至らなさを指摘してくれる人に会いにいくなど、いいときも悪いときも常に謙虚さを失わず、反対意見に真摯に耳を傾けたい。
久保大輔