自分のスタイルは、他者と自分を比較して初めて見えてくる
なんだかんだでまだ
博士論文書いてます。
noteとは打って変わって
「作法」が求められる論文。
データはそろっていて、
仮説を検証したり反証したり、
あらたな発見があったり、
一般化できそうなモデルも
おぼろげながら形になってきて、
あとは書くだけです。
自分の発見が、
アカデミックなサッカービジネスコミュニティにおいて、
どんな知の財産を
付け加えることになるのか。
反対に自分の研究の限界も
自覚しています。
誰もまともな問いを立てたことがない、
先行研究だって当然なくて、
でも自分の知的好奇心だけで
問いを立てて解くなんて贅沢なことです。
以前まとめた別の論文では、
予想を超える結果と、
自分の仮説が気持ちよく裏切られて
逆にうれしかった。
主観的な問いに、
経験的な根拠をつけ足して、
有無を言わせないような結論に
持っていくことが今の目標です。
これでもか、これでもかと
反論の余地なく
論理と実証を積み上げていきます。
■noteもそうなんですが、
「読んでもらう」とは、
他人の時間を奪うことです。
価値ある情報を手に入れるために
人は誰かの文章を読むんだと思う。
あれもこれも書き過ぎない。
きれいに書かない。書きたいことを書かない。
読み手の想像力をいかして、
シンプルに。
さすがに論文となると
こうはいきませんが、
ブログをかっこよく書くのはご法度。
むやみにあれもこれもと書き連ねても
寄り道になるだけです。
そういう意味では
やはりというか、
論文はアカデミックなコミュニティの外では
誰も読んでくれません。
サッカービジネス論というのは、
サッカービジネスの現場で働く人に
何らかの役に立つことを目的にしているはずですが、
にもかかわらず、そっちの方々は
誰も読まないと思う。
そう考えると
「オレは何のために論文書いてるの?」
という気にならなくもない。
もちろん論文に価値がないわけではなくて、
アカデミック固有の価値はあります。
そんな葛藤があるからこそ、
データをとった統計分析ではなく、
自分がかかわった具体的事例を、
あらゆる側面から論理を引き出して
定性的にまとめる作業はやってておもしろい。
経営を論じる人のお相手は
現場の人。
学者のお相手は学者。
意識する相手が違えば、
仕事の基準も変わります。
私は前者の立場として、
よりよいサッカービジネス論を
世に出していきたい。
これがこれからの仕事のスタンス
になると思います。
■現実世界に対するインパクト。
アカデミックな論理に
振りまわされるわけにはいきません。
優劣をつけるのではなく、
これが私のスタイル。芸風です。
でもこれ、
アカデミックな世界に足を突っ込んだから
わかったこと。
自分と違うものを持っている人が
横にいるから、
自分が持っているもの、
持ちたいものの輪郭が見えてくる。
センスが育つって、
こうした切磋琢磨が必要なのでしょう。
切磋琢磨は
スキルの量を問うものではなく、
センスや芸風がまったく違う人同士が、
お互いを意識して自分を相対化して、
それによって自分の強みに気づいて、
深掘りすることで成長していく
シナジー効果です。
自分の芸風に合わないことは
割り切って捨てて、
次に行くという姿勢のほうが
結果的に成果を出しやすいと思う。
プロとしてこれからも、
自分の芸風にはこだわっていきたい。
今日も最後まで読んでくれて
ありがとうございました。
それではまた明日。
おつかれっした!