言語化して気づく「時間の大切さ」
時間の価値。転職を機に大学院進学を決意して、二刀流を経験することによってより強く、「時間の大切さ」を感じるようになりました。お金はなくなっても後でいくらでもとり戻すことができるけど、失った時間は二度と返ってこない。私が師事している方はこんなことを言っていました。
「時間」というロウソクに「命」という火をともす。
火がともっているあいだ、ろうそくは短くなりこそすれ、長くなることはありません。10分を無為に過ごすということは、10分の命を失ったも同然。本人がどう思っていようが、皆「限りある命を切り崩しながら生きている」のです。そうこうしているうちに今も1秒2秒と時は刻まれていきます。
宝くじにあたったり、ギャンブルで大勝ちしたり。事業がうまく軌道に乗って大金が転がり込んでくることはあるでしょう。もちろんその逆もあるわけですが、お金の多寡は常に上下します。一方で時間はそうはいきません。常に減り続けるもの。火がともっているあいだ、ロウが短くなりつづけて最後はやがて燃え尽きてしまいます。
不可逆性。そんな言葉がしっくりくる時間という概念。何に時間を投下すべきかは、上のロウのたとえをイメージできれば、真摯に考えずにはおれなくなるはずです。私も期せずして、あたらしい職場で結果を出すプレッシャーと、学位をとるという目標を並走させる作業によって「時間」が圧倒的に不足していることに気づかされました。
とはいえ24時間という一日の時間は人類みな平等。睡眠時間をしっかりとって、残りの時間を有効に使って圧倒的な成果を上げ続けている人はゴマンといます。私のメンターしかり、アスリートやお笑い芸人だって、意識するかしないかに限らず、成果を上げている人は皆、単位時間当たりの生産性が極端に高い。
いくつかあると思いますが、①前倒し、②第二領域、③断る、の3つが時間管理と成果を両立するための最重要ポイント。言わずもがなですが、目の前にある仕事、受けとったボールはすぐに打ち返す習慣がなければ常に仕事が「第一領域(緊急かつ重要)」に終始します。将来の種まきがいつまでたってもできませんので、成果が出たとしても長続きしません。
成果は、出そうと思えば実は簡単に出せるもの。ですが「成果を出し続ける」のは至難の業であり、そのためには、「緊急ではないけれども重要な仕事」に取り組まなければなりません。今やらなくてもいいのに、読書したり、英会話したり、運動したり、noteを書いたり。正解かどうかはわかりませんが、私も、私なりに「第二領域」は日々積み重ねています。
そしてより重要なものとして「断る」ことができなければ、貴重な時間を大切に使うことはできません。特に会社員であれば、上司や先輩というプレッシャーに悩むのは日本特有のもの。「空気を読む」という言葉に代表されるように、自分の人生ばかりを優先した仕事はなかなかできません。ですがこの状況を、仕方ないものとして放置していていいものか、自問自答したい。
断るといっても、シンプルにそうするのはあまりにも芸がありません。どうせだったら周囲とうまくコミュニケーションをとりたいものですし、そうしたほうが仕事がしやすくなるということもあります。頼まれれば断らずに実行することで、お返しを受けることはけっこうな確率で起こりえます。返報性の法則という心理が働くからです。そして「どうせ頼まれるんだったら」、自分の将来につながるもの、自分の強みが生きるもの、自分らしさが表現できるものに限定したい。
常に周囲に、自分の強みをアピールすること。決して嫌味ではなく、傲慢になることなく、「自分にはこんなことができる」ことを粛々と見せることです。実はチャンスは少なくなく、自ら手を上げて強みを活かした取り組みができる機会は多い。時を逃すことなくアンテナを張り巡らして、主体的に周囲を助けていれば、「自分の強みを頼りにされる」ことになるでしょう。
そんな精神衛生上ポジティブな仕事に取り組めるようになれば、いつしか時間の「裁量権」を与えられ、次第に「余計な」役回りは減少していくはず。時間の主導権を握ることができれば、第二領域はもちろんのこと、論文を書く時間も生まれますし、プライベートな時間も十分とることができるようになります。
まずは自分の強みを明確に。そしてその強みをいかして小さな仕事を積み重ねていくことで、「間接的に」ほかの仕事を断って、将来の成果への種まきを行っていけばいいと思います。
久保大輔