「単純」と「簡潔明瞭」は違う
サッカーの世界には「ダービー・マッチ」というものがあります。同じ街や同じ地域内にあるクラブが対戦する試合を指す。ときには国を代表するトップクラブ同士のナショナル・ダービーというものがあったり、離れた地域であっても、歴史的に因縁のあるクラブ同士のダービーもあったりします。
Amazonの履歴によると2009年9月1日に購入。ふと本棚にあることに気づいて「久しぶりに読んでみるか」と手に取ってみると明らかに初見でした。買ったはいいものの読むのを忘れてたようです。情報は古いながらも、本質をついた魅力的な本。あっという間に読んでしまいました。
細かい描写は割愛しますが、ダービー・マッチが単なるライバルクラブ同士の戦いにとどまらないこと、政治や宗教、経済や産業の対立が根底にあることなど、試合の背後にあるドラマを知ることで、試合そのものの魅力は倍加します。海外のダービー・マッチではなぜたびたび暴動が起きるのか?日本では考えられないような熱狂の源は?コトの本質をえぐりだすことでその答えが見えてきます。
かつて「バブリーダンス」で一世を風靡した登美丘高校ダンス部を覚えていますでしょうか。今見ても鳥肌が立つようなパフォーマンスなのですが、それもこれも、パフォーマンスの裏側が何度も特集されていたから。絶望的ともいえる先生の高い要求、それに応えんとする生徒たちの圧倒的な努力が可視化されたからこそ、いまだに鳥肌ものの完成品として堪能できるんだと思います。
「英国のダービー・マッチ」を読みながら、スティーブ・ジョブズさんの言葉を思い出しました。
私たちは最初に問題に直面すると、単純な方法で、簡単に解決できると考えてしまう。それはまだ、ことの複雑さを理解していないからだ。問題の細部に分けいってみるとそこには複雑に絡みあった要因が見えてくる。そしてたいていの人はここで考えるのをやめてしまう。
本当にすぐれた人は問題の背後にある「本質」へと進んでいく。やがて、美しくて簡潔明瞭で、しかも、みごとに機能する解決策を掘りあてていくのだ。「単純」な答えと、「簡潔明瞭」つまり「シンプル」な答えは違う。
「なぜ仕事をするのか」
「なぜその仕事なのか」
なぜ、なぜ、なぜと自問自答を続けているとたどりつく本質。余計なものを削ぎおとされた本質はシンプルです。
自分の強みは世の中の課題を解決するか?
楽しく、粘り強く、主体的に行動できるか?
仲間と協調できるか?
思い立ったら即行動。
そして失敗すること。
大きな混乱を経験したとき、自分は大きな変化に直面しているということを認識して、表面的な理解を超えて、その奥で起こりつつあることをよく調べる。モノゴトはシンプルに。そのためには必死に努力して思考をクリアにしなければなりません。
久保大輔
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