「未来はどうなるか?」ではなく「未来をどうしたいか?」
毎年恒例の
大きなイベントが終了。
昨今の状況を鑑みての
縮小版でしたが、
それなりに負荷の高い、
濃い内容でした。
あらためて思うのが、
ほぼ「予定どおりいかない」ということ。
けっこう綿密に計画し、
何度もシミュレーションをして、
何か月も前から毎週会議をおこなって
情報を共有していました。
ですが現場では
常に変更や改善がくり返されて、
ほぼ原形をとどめていないコンテンツだって
ゼロではありません。
ちなみにいうと、
予定どおりに進まないことを
嘆いているわけではなく、
現場で起きることが答え、
現場がすべてなので、
つど変化や改善を加えることに
抵抗はまったくないのですが、
「予定」の是非については
議論の余地があると思っています。
■社会は
より不安定で
不確実になりました。
今年は特に、
嫌というほどその現実を突きつけられ、
予測の価値は
どんどん減損しているように感じます。
ある程度考えたら、
あとはやってみる。
とりあえず試し、
結果を見ながら微修正をくり返す
という姿勢が正しいのでは?
という気がしてなりません。
過去のデータを重視した予測、
過去の経験に基づく予想、
勉強して身につけた論理。
それらへの信頼、自信、安心感は
その人や組織の行動を促します。
ですが不確実性の高い社会では、
頑強だと信じる自分の予測が、
実はめちゃくちゃ脆弱である
と言えなくもありません。
「このイベントはどうなるか?」
という予測ではなく、
「このイベントをどうしたいか?」
という問い。
予測に頼りすぎるのではなく
むしろそれをビジョンとして思い描くべきです。
あなたは、自分が企画するイベントでどんなアウトプットを生み出したいですか?このイベントをすることで、人々にどんな喜びを提供したいですか?人々が抱える心の課題についてどんなソリューションを提供したいですか?
そこに過去の経験をベースとした予測が
入る余地はありません。
だって、今まで誰もしたことがない
あたらしいことをやるわけです。
見たこと、
感じたことがないような価値。
最初は誰も
その価値をいいものだとは
理解できないかもしれません。
得体のしれない詐欺や宗教
のように感じるかもしれません。
でもあなたがそれを価値だと信じ、
その価値を評価してくれる人の存在を
見抜いている自信があるのであれば、
データや予測に頼るのではなく、
自分の世界観を頼りに
あたらしい道を切り拓いていく。
紆余曲折を経て見えてくる一条の光。
それがあなたが志すビジョンだと思います。
■今日は疲労困憊。
ですが「あなた」と書いて
自分に言い聞かせて、
イベント終わりに感じる
不安や心配ごとの正体を客観視してみました。
「予測」
それは安心感をもたらしますが、
予測がもたらすアウトプットには
心の底から充足感をえられませんでした。
予測に依存、寄りかかることで
言い訳や逃げ道を作っていたのかも。
本当にやりたいこと、
達成感ある仕事をしようと思うなら、
「オレはこうしたい!」として、
データや予測、お客さんの声を
一旦全部聞いた上で、
全部フル無視してでも、
ビジョンの完遂を目指すべきだと感じました。
今日も最後まで読んでくれて
ありがとうございました。
それではまた明日。
おつかれっした!