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花について #01 花を飾る

昔はそれほど気に留めなかった花を、ある時期から飾るようになった。誰とも話さない暮らしは気楽で好きだが、それでもどこか疲れていたのかもしれない。そこそこ生きていると気に入らないこともあるし、ただただ腹が立つこともある。そういう時に花の記憶が入り込んできた。

実家で母が花を飾っている頃はあまり意識しなかった。振り返ると、花に関してはとても恵まれていた気がする。庭には梅(蝋梅から黄緑、紅白も全部あった)や百日紅や椿の木があって、正月にはその辺にある千両や万両を取って飾る。春はクロッカスや水仙や沈丁花、初夏は勝手に増えたラベンダーと花が終わった後にできる青梅、紫陽花、夏は花よりグリーンカーテンにしたゴーヤ、秋はダリアやコスモス、金木犀、ヤマゴボウ。あと思い出せないようないろいろな花が季節ごとにいつも咲いていた。ついでに言えば裏庭の陽が当たらない所にはどくだみも咲いていて、初夏になるとそれを抜いて乾かして細かく切ってお茶にする行事もあった(今もやっていると思うが、この時期は実家にいないのでわからない)。栽培が難しい花は買うこともあるが、基本的に日常に見る花は庭で賄われていた。

という話をしているが、家は特に農家でもなんでもない住宅地にある。これくらいの花があっても単なる家族の趣味の栽培であるところが地方たる所以だと思う。今住んでいる都会のマンションでは、庭に山ほど生えている花ですら買わなければならない。

でもそれはそれでよくて、お金を払う分のいいところがちゃんとある。うちで飾るのは切り花だから、本当の季節より少し早く鮮やかな花を手にすることができる。園芸のプロがつくっており、当たり前ながらきれいに揃っていてとても行儀がいい。庭で取る花のように葉の影についたナメクジにびっくりして悲鳴をあげることはないし、茎が豪快なカーブを描いていることもない。正直、カーブのある花はものすごく飾りにくい。アレンジメントを禄に習っていない、適当な飾り方をする私には行儀のいい花のほうが楽だ。庭の花も好きだけれど、都会にいれば都会なりの、庭がないなりの楽しみ方があると今は思う。

花屋で買う花は、いつも店先にあるものから選ぶ。だいたい土曜か日曜に花屋に行き、そこで決める。先週はフリージアにした。何度か続けて選んだラナンキュラスが一段落した次の花。大人しい印象があってあまり興味があるわけではなかったが、細い花をジャグにたくさん飾りたいという気分を満たしてくれるものが、その日はそれしかなかった。花にすれば少々申し訳ない理由だったのに、実際に飾ってみるとどんどんよさが見えてくるので驚いた。つぼみの頃は控えめだった印象が、気付いたらものすごく華やかに変わっている。釣り鐘に少し丸さのある、ふくふくとした黄色い花が連なって咲く。黄色の明るさも相まってか、ああ春だな、これは春の花だなと思った。

フリージアの黄色い花は、目に少し入るだけで鬱々とした気持ちもしょうもない気分も適当に覆い隠す力がある。きれいなものはそれだけですばらしい。近づくといい香りもする。すごく昔から知っている、懐かしい春の香りだった。これはフリージアだったのかと今さらのように気付いた。実家にもあったと思い出し、庭にあっても気付かないことがたくさんあるのだと反省した。花が一つあるだけでいろいろなことを考える。そういえば、自分で買って印象が変わった花はふたつ目だ。


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