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わたしの正義についてー3.(私の心が)燃えるロシア

数年前に某サイトに掲載した書評ですが、わりと力を入れて書いたので再掲します。このロシアシリーズは6まであります。

ハートに火をつけて

 ロシア・アヴァンギャルドを調べるようになったのは大学生の頃。東京のワタリウム美術館で開かれる「ロトチェンコの実験室」展の広告記事がきっかけでした。「レンギス(国立出版社レニングラード支部)の広告」や「ドブロリョート(ロシア航空産業開発会社)の広告」のポスターを見た瞬間に「これはヤバい!」と心が燃えたのです。よく映画であるような、ガソリンの上で火がパッと広がる感じ。

 アレクサンドル・ロトチェンコはこの芸術運動を代表するデザイナーの一人です。日本でも「レンギスの広告」などの要素が見える広告は多いので、意識せずとも見ているかもしれません。彼は平面絵画や立体なども手がけましたが、グラフィカルな広告ポスター、俯瞰と凝視による遠近短縮法を用いた写真やフォトモンタージュ、産業にデザインを組みこんだ工業デザインなどが特に有名です。これらの作品群はモスクワのアトリエで生まれましたが、実は2000年代に入った今も暗室を含め丁寧に保存されています(作品の一部はプーシキン美術館に寄贈)。スターリン就任後、ロシア・アヴァンギャルドは抑圧対象となり作品は国内にほぼ残らないのが通念だった中では、非常に珍しい存在と言えます。
 実際に見た「ロトチェンコの実験室」展は、彼の家族が大切に保存してきた作品を中心に展示が行われていました。さらに言えば、妻でデザイナーのワルワーラ・ステパーノワの作品も含め、父としてのロトチェンコにも焦点があたっていた展覧会でした。2010年の「ロトチェンコ+ステパーノワ」展など、それ以降もロトチェンコ夫妻を取り上げた大規模な展覧会は開かれていますが、今思えば「実験室」は作品数や内容はもちろん身近に感じさせる要素なども含め、入門編としてちょうどよい形だったと思います。初心者でも「これについてもっと知りたい」とハートに火をつけられるほどの強度がありました。

ロトチェンコの実験室

 1995年12月〜1996年5月まで行われた展覧会の図録。豊富な図版はもちろん、社会におけるロトチェンコの「存在」、絵画やポスターなど平面に取り組んできた彼の「空間」表現、大衆文化の視点から捉えた「広告」表現、俯瞰・鳥瞰・クローズアップなどを編み出した「写真」と、幅広くも端的な作品分析が掲載されています。また、序文からもわかるように、人、父としての彼にも焦点が当たっているのもポイントです。個人的には、1940年代の独裁体制の中で国外からモスクワに戻れないでいるロトチェンコが娘さんに宛てた手紙が好きです。前衛芸術に生きた父が「私のようになるな」と、すでにグラフィックデザイナーを目指していた娘さんを案じる様子が垣間見られるやさしい文面。どんな時代も、どんな職業でも、危うい立場にあっても。親が子を想う気持ちは変わらないのですね。作品だけでなく人がわかると、身近さを感じてすんなり入りやすくなるので、ロシア・アヴァンギャルドやロトチェンコは知らないけどちょっと読んでみたいという人におすすめです。

革命前後のロシア・アヴァンギャルド

 ロシア・アヴァンギャルドが1900年代初頭から30年代の芸術運動であることは、前回も書きました。キュビスムやイタリア未来派の影響を受けてロシアにモダンアートが現れたのは、1910年の「ダイヤのジャック」展。以降、具体と抽象が混在したジョルジュ・ピカソのような作品が増え始め、幾何学の実験を取り入れる作家が増えていきます。そして1915年の「0.10最後の未来派展」では、具象を否定するシュプレマティズム絵画を提唱したカジミール・マレーヴィチと、現実と関わることを重要とする〈カウンター・レリーフ〉を提唱するウラジーミル・タトリン、真逆のアプローチを行う2人が登場します。
 さまざまな派が生まれては消え、また生まれを繰り返す中で、1917年にロシア革命が起こります。それ以降、ロシア・アヴァンギャルドは人民教育委員会の指導の元で「革命の理想やソビエト新政府の宣伝、啓蒙」の役割を担うこととなり、アギート(船頭)芸術・プロパガンダ(宣伝)芸術などに優れた作品を多く生み出していきます。国内を周るアギート列車や船(ラッピング)、映画や演劇などを用い、文字が読めない民衆に向け、明快な幾何学モチーフと写真、インパクトのあるグラフィックで情報を伝達したのです。ロトチェンコの広告ポスターや写真は、この革命後の宣伝や啓蒙活動の中で生まれました。例えば、メガホンのような形状で勢いよく「книги(クニーギ/図書)」と叫ぶ「レンギスの広告」は、画面全体が明るくエネルギーに満ち、国営企業の図書はよいものだという印象を与えます。現代でも広告デザインの手法として使われる理由が、なんとなくわかるのではないでしょうか。
 1918年には、モスクワのスヴォマス(国立自由工房)から宣伝物やディスプレイなどの実用デザインを得意としたステンベルグ兄弟などのオブモフ(青年芸術家協会)、1920年にはインフク(芸術文化研究所)からロトチェンコやステパノワ、アレクセイ・ガンによる構成主義グループが誕生。ヴィテプスクでも、エル・リシツキーやマレーヴィチによる〈ウノヴィス〉(新芸術支持派)が生まれ、「古い芸術を投げ捨てよう」をテーマに建築や家具、テキスタイル、グラフィックなど実用的なデザインを提唱しました。
 この構成主義の流れは、1921年のネップ(資本主義経済の一部開放)導入の決定でより強まります。芸術家自身が工場に入ること、芸術と生活を工業的大量生産で結びつけることなどを目的に、産業・工業と芸術の距離を縮める動きが活発に行われたのです。またロトチェンコたちの芸術誌『レフ』創刊、1925年の装飾博覧会への参加など、幅広い分野で生産活動は続きましたが、スターリン独裁政権が始まる1927年以降は文化統制が厳しくなっていきます。
 簡単に抜粋する予定がかなり盛りだくさんになってしまいましたが、ロシア・アヴァンギャルドはそれだけ短期間にさまざまな動きをした運動だったということです。これ以降はご紹介する本にてどうぞ。

ロシア・アヴァンギャルド

 概要を手軽に学ぶのであれば新書がおすすめです。ロシア文学者で名古屋外国語大学学長亀山郁夫さんによる解説は、情報の充実度では他の追随を許しません。ドストエフスキーなどのロシア文学の翻訳を手がけられているためか、ご自身のテキストにも文学の香りがあるのが個人的なポイントです。

ロシア・アヴァンギャルドのデザイン アートは世界を変えうるか

 ざっくりと言えば「革命前はロシア未来派、革命後は構成主義」のロシア・アヴァンギャルドですが、多くの派や芸術家、ジャンルが入り乱れるため全貌を把握することは一苦労です。同書は歴史、デザイン原理、芸術の各ジャンル、文学やバレエとの関連性などの項目、また代表的な作家の活動が各章ごとにまとめられているので、目次からこのあたりの要素で追っていけばいいとわかるのがありがたいところ。各項が短いので比較的読みやすく、理解もしやすい一冊です。

着火材はポップアート

 人が何かへと辿り着くにはそれなりの理由があるものです。だから私とロシア・アヴァンギャルドの間にも、やっぱり何かがあったと思う。私の場合は恐らく10代の頃、2色や3色の印刷物好きから辿り着いたポップアート、特にアンディ・ウォーホルのシルクスクリーンです。図書館同様に攻めた所蔵品の県立美術館のおかげで「キャンベル・スープ」や「マリリン」、「フラワーズ」などの中で、明らかに異彩を放つ「電気椅子」と出会いました。音楽やデザインなどを巻き込んだ華やかなカルチャーの渦中にいた人が、対極にある「死」を淡々と描いている。溢れるほどの情報や人に囲まれていても結局は孤独なのだ、という思いが伝わってくる気がしました。あまり好き嫌いで表す作品でもないけど大好きだし、人間のありようをこれほどよく表した作品はないと思っています。

アンディ・ウォーホル

アンディ・ウォーホル 1956-86 時代の鏡

 山のように本が出ているウォーホルですが、最も身近だったのはパルコから出ていたものです。その後、1996年に東京都現代美術館で開催された大回顧展の図録は、図録デザインのオシャレさに驚いた一冊。2色刷りのシルクスクリーンがその後で結構な時間を費やすきっかけに繋がるなんて、その時は全然わかりませんでした。「電気椅子」を見ると今でも「人生って不思議ね…」と考えてしまいます。

 今回はかなりアートに寄った内容なので「さっぱりわからん」という人も多いかと思います。でも個人の好きなものなんてそんな感じじゃないでしょうか。スポーツだって音楽だって触れていない人からすればわからない。だから「わからない」と言われることは常ですが、そんな中でも誰かしらの「なんだかおもしろそう」という気持ちに繋がればいいなと思っています。

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