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わたしの正義についてー5.愛を語るロシア

数年前に某サイトに掲載した書評ですが、わりと力を入れて書いたので再掲します。このロシアシリーズは6まであります。

愛を語る人

ラジオを聞いていたら、歌人の方がゲストに出ていました。「自らの恋愛模様や奥様のことと思しきことを書くことを恥ずかしいと思ったことはないか」という質問に、「そう思わない人が歌人になるんです(大意)」と答えていました。それを聞いた時に妙に「なるほどなー」と納得してしまいました。そういえば、太宰治などあるカテゴリに属する昭和の作家は皆かなり赤裸々に思いびとのことを書いていて、その雰囲気に憧れて日記に書いたりした頃が私にもありました。いつの間にかそんな度胸や熱もなくなりましたが‥‥。その大きな理由は、冷静に自分を見られるようになり、すべてが書くほどのことでもなかったと気づいたからです。

硬派さと影

それはさておき、ロシアアヴァンギャルドの代表的な詩人と言えば、ウラジーミル・マヤコフスキーです。人は見た目が9割じゃないけど、最初に触れた時の印象は意外と大きいもの。資料が少なかったりすると、後々までその印象を引きずることになります。マヤコフスキーは私にとってそういう人でした。ロシア十月革命を祝福する「ミステリヤ・ブッフ」の脚本を書いてメイエルホリドと詩や劇場の実験をしたり、ロトチェンコと一緒に文盲の人たちに国営デパートや農作物を啓蒙する壁新聞「ロスタの窓」やポスターのテキストを書いたり、リシツキーと『声のために』というビジュアルブックをつくって新しいエディトリアルデザインの基礎をつくったり、芸術左翼戦線という意味の『レフ』という集団と機関誌を創刊したり。とにかくゴリゴリに尖った仕事を山のように残してきた詩人兼コピーライター(の先駆け)で、先頭に立ってアジりまくるような力強さと硬派さに満ちた作品が大半だと思っていたのでした。私自身の大学生時代の日記にも「エクスクラメーションマークの多い宣言や単語、曲や詩は力強さがあるから好き。マヤコフスキーの後ろ向きだけど右手を振り上げる感じがいい。しょんぼり気味の時はマヤコフスキーの詩をよく読んでいる気がする」と書いていたほどです(すぐヘコんでいたから)。でも本当のマヤコフスキーはそうではなかったから、「後ろ向き」という表現はさておき、作品に影の部分を感じたのは正しかったのかも。

ロマンと謎に満ちた存在

基本的にマヤコフスキーはロトチェンコやリシツキーとの仕事とのパートナーというスタンスで調べていたので、マヤコフスキー本人を研究した文献をしっかり読んだのは大学時代の後期。そして彼のイメージが大きく変わったのが、この一冊でした。

ワレンチン スコリャーチン 著、小笠原 豊樹 訳
きみの出番だ、同志モーゼル 詩人マヤコフスキー変死の謎

かつてマヤコフスキーに憧れたジャーナリストが「通念であるマヤコフスキーの自殺は仕組まれたものであり、本来は他殺だったのでは」という論を展開するノンフィクションです。
恋多く、時に闊達で時に繊細だった詩人の周りにいた、名目上の恋人兼後見人リーリャ・ブリーク、フランスの恋人タチヤーナ・ヤーコブレワ、モスクワ芸術座の女優で最後の恋人ヴェロニカ・ポロンスカヤ、そして彼に近づいた最期の鍵を握るOGPU(合同国家政治保安部)のヤーコフ・サウロヴィッチ・アグラーノフなど、芸術家から政治家、秘密警察、アパートの住人までさまざまな人物の関係性を検証。さらに取り調べ記録や報告書などの公的書類、人々の些細な発言や遺書、領収書などの資料についても丹念に追っていきます。反論に対する返答と証明も間にはさみ、らせんを描くように追い詰めていく様子はまさにジャーナリストの一大プロジェクト。
しかしそれだけではなく、事件の新たな輪郭が見えてくるに従って、革命後の社会における作品の批判や糾弾、理想と現実の乖離など、詩人の苦悩が描かれているのが特筆すべき点です。さらに詩人とタチヤナを会わせないためにヴェロニカを引き合わせて恋に落ちさせ、一方でOGPUと繋がり芸術家の間を立ち回っていた強かなリーリャの様子、恋人になったことで陰謀の一端に巻き込まれることになった可憐なヴェロニカの恐怖、楽しい誕生日パーティと4カ月後の監視される不安と死を意識させられる恐怖感が悲しい対比を見せるマヤコフスキーの死の直前の描写。さまざまな証拠から人間模様や心情が仔細に伝わってくるからこそ、この本は単なる調査報告ではなく小説のようなロマンを感じさせてくれるのだと思います。

表紙もクールならタイトルもクール、マヤコフスキーの最期が粛正だったのではという疑惑があったのも有名だったので、「うっわ何これカッコいい!」と思って買いました。本人は実際に映画にも出演経験がある男前の文学者だし、作品は硬派だし、死因も謎に包まれているなんて最高じゃない、と(もはや史実の存在なので許してほしい)。が、これを読んでいくと、どうやらそれだけの人ではなかったとわかってしまうのです。実は繊細でロマンチストで心やさしくナルシスト。そんな性格が災いしてか、破局後もパトロンになり彼を離さなかった元恋人には政治的に利用され、元恋人が仕組んだ作戦によってある恋人は離れ、ある恋人には嫉妬の炎を燃やし、さらには当局監視の不安に苛まれる日々を過ごすことになる。そんな人が書いた作品には女性や恋人について書いた恋愛詩も多ければ、情感たっぷりの叙情詩もあり、情動に任せて書かれた手紙もある。『ロトチェンコの実験室』の時も書いたけれど、人は本当にいろんな顔を持っているものです。わかったと思った部分はほんの一部だと再び実感したのでした。

この本以降はマヤコフスキーの本もなんとなく意識して探すようになったのですが、大半は古本屋で見つけるものでした。日付を見ると1970年代が多い気がします。ロシア文学はアヴァンギャルド関連でも日本にも入りやすい存在だったんでしょうね。

ペルツォフ 著、黒田 辰男・大木 昭男 訳
マヤコーフスキイ生活と創造

マヤコフスキーとロトチェンコが発行していた機関誌『レフ(Left Front of the Arts/芸術左翼戦線)』や『新レフ(New Lef)』にも寄稿していた、マヤコフスキー研究の権威による600ページ以上に渡る研究書。原典は「マヤコーフスキイ 生活の創作」全3巻。その第2巻1〜6章を翻訳したもので、十月革命後から長編詩「これについて」の発表、1925年『レフ』発行時の約6年ほどの活動がまとめられています。革命以降の政治風刺とや社会と詩作の関係、周囲の作家や作品と自作への影響、「レフ」時代の文芸政策との関わりなど、あまりの膨大な情報量と幅の広さに「処理しきれない‥‥」と一度は通読を諦めたほど(関係ある部分だけ参考にした)。でも、こうした文献を読むと、少しずつでもマヤコフスキーが日々や社会の出来事を繊細に感じ取り、ダイナミックな表現や言葉に哀愁を含ませて描写していたことがわかってくるのが面白いのです。

翻訳者が紡ぐマヤコフスキーの言葉

最後は、マヤコフスキーの作品集をいくつかご紹介します。海外文学、特に詩は、原文で読むことができない私のような人間にとって、翻訳者の描写やトーンはかなり重要な要素になってきます。言い回しや単語選び、表記も含めて、作品やその作者から受ける印象に大きな違いをつくりだすからです。野崎歓訳『うたかたの日々』と曽根元吉訳『日々の泡』で好みが分かれるボリス・ヴィアン「L'Écume des jours」の例と同じです。そんな風にマヤコフスキーも日本に訳者が複数存在する詩人。どちらも詩人かつロシア文学の研究者が翻訳されていますので、比較してみるのも面白いかと思います。

マヤコフスキー 著、小笠原豊樹 訳
悲劇ヴラジーミル・マヤコフスキー

まずは最近のマヤコフスキー作品集から。写真の「悲劇ヴラジーミル・マヤコフスキー」を含む土曜社の「マヤコフスキー叢書」全15巻は、一冊に一作で計15作品を紹介したシリーズです。翻訳を手がけられてきた小笠原豊樹氏が発行の中盤で急逝されてしまいましたが、シリーズは無事に完結。アルバムはちょっとハードルが高いけどシングルなら‥‥という感じで、どの作品からでも読み始められるのが魅力です。

草鹿 外吉 訳
マヤコフスキー詩集

こちらは1968年発行、草鹿外吉氏翻訳による詩集。小笠原氏の訳に比べると、かな表記や平易な言い回し、体言止めなどがやや多く、一文も短めで親しみ深さを感じる表現です。サンリオSF文庫や『ジュニア版 世界の詩 ロシア・ソビエト』などジュニア向け書籍の翻訳が多いことを考えると、ティーンにも読めそうなリズム感にも納得させられます。

小笠原 豊樹・関根 弘 訳
マヤコフスキー選集〈第1〉

最後は約60年前、1958年に発売された小笠原氏翻訳の選集を。リンク先は「マヤコフスキー選集 I」ですが、全3巻のシリーズ物です。どことなく硬質な描写や言い回しで、マヤコフスキーの力強い面がにじみ出てくるイメージがあります。翻訳家によって訳が違ってくるのはもちろんですが、同じ翻訳家でも歳を重ねることで表現や描写が変わってくることはままあります。そういった部分に注目してみるのも、新たな発見が得られて楽しいのではないでしょうか。

マヤコフスキーは、私が何か言うまでもなくマニアックなファンが多い詩人です。なのであまり多くのことは語れませんが、ロシア・アヴァンギャルドつながりで興味を持たれる方もおられるのでは、ということでご紹介してみました。

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