わたしの正義についてー2.手に入らないロシア
数年前に某サイトに掲載した書評ですが、わりと力を入れて書いたので再掲します。このロシアシリーズは6まであります。
ものすごく近くて、ありえないほど遠い
好きな本は手元に置きたいほうですか。読めれば手元になくてもいいいほうですか。ちなみに私は手元に置きたいほうです。なのでその前提で今回のコラムは書きます。
例えば、図書館で出会った本の大ファンになって持っておきたいと思う。そんな時、みなさんならどうするでしょうか。新刊なら本屋に行けば買えるでしょうし、多少古い本でもインターネット、Amazonなどで検索して見つかれば、比較的簡単に手にすることができますよね。そして届いた小包の送り先にある住所を見て、ああ私のためにやってきたのだわ、なんて遠くの本屋に思いを馳せたりして。でも、私が一番ロシア関連の本や資料に触れていた90年代はAmazon上陸前夜、それ以前にインターネットを介して買い物をする文化すらない頃でした。新刊以外は書店注文も難しく、発売から2〜3年経ったニッチな分野の本を新品で手に入れられる術はほとんどなし。隣町の本屋にあっても、自分の知らない本屋なら死ぬまで出会えない時代です。本屋の在庫情報なんて、個人ではほぼ知り得なかったからです。
田舎で出会った赤い背表紙
前回からロシア関連の本を紹介していますが、当時必要だった本はこの「微妙にニッチ」で「微妙に昔に発売されて在庫がわからない」ものばかりでした。そんな本になぜ出会えたかという理由はごく普通、近所の図書館にあったからです。まあでも、普通というには少し特殊かも。地元は田舎ですが立派な文化施設が多く、県立図書館はもちろん市立図書館でさえかなり幅広い(不思議な)分野の蔵書があったのです。そういう環境なので、市の利用者からすればふらっと立ち寄った棚で出会うのも変ではない。閉架ならいざ知らず「老若男女が触れる開架図書にそんなニッチな本選ぶ?」みたいな本とか。だからロシア関連の本も、そんな風にして出会ったものが初期はわりとあったのです。さらにその中で、1、2を争う長さで借りていたのがこちら。
革命とは何であったか ロシアの芸術と社会1900-1937年
芸術の棚にひっそりと並んでいたビジュアルブック。アレクサンドル・ロトチェンコに興味を持った後だったので、赤と黒のデザインに惹かれたのでしょう。その背表紙の色で即取り出し、ウラジーミル・タトリンの「第三インターナショナル記念塔」があしらわれたすてきな表紙にまた感動したことを覚えています。
内容としては、1900年から1937年までのロシア・アヴァンギャルド史をまとめた序章に各項目の簡単な解説とビジュアル資料が続く、いわゆる便覧という感じ。当時のロシア・アヴァンギャルド本は存在自体が少なかったこともありますが、その概要と豊富なビジュアル資料をこんな形で軽く読めるようにまとめた本は、かなり珍しかったのです。今読むと固有名詞や人名がいくつか違っていたり、まどろっこしい箇所があるのはご愛敬。大好きな本も読み直すと気づくことは多いものです。
この本は卒論から修論が書けるまで、少なくとも4年は手元にありました。貸し出しと返却を繰り返しましたが、次に借りたいという予約も入っていなかったようで、特に咎められることはありませんでした。ちなみに市立図書館の登録方法は電子化が済んでいましたが、貸し出しカードにハンコを押す方法だったら何十列と同じ名前が並ぶ恐ろしいことになっていたと思います。
子ども扱いしない国の絵本
2冊目は、絵本について書かれた大型本。引用文献リストか何かで見つけ、図書館で検索をかけたら車でないと行けない県立図書館の閉架にあることがわかった…というなかなかタチの悪い状況。
ロシア・アヴァンギャルドの芸術家たちが社会に果たした大きな役割の一つに「民衆への啓蒙」があります。文盲が多かった農民や労働者たちに向け、政治や社会の状況をビジュアルとデザインでわかりやすく視覚化し、明快な短い言葉で伝えていったのです。例えば、国がつくる商品の品質のよさを知らせたり、自分たちの活動や行動が国の成長にどんな役割を持つのかと考えさせたりする。こうした手法やテーマは、次第に国の未来をつくる子どもたちの教育にも当てはめられるようになりました。子どもの場合は絵本がその役目を果たしていたわけですが、ここに掲載されている絵本からは、当時の政治方針と社会、デザインと教育の関連性が非常によく伝わってきます。また、巻末のスイス児童文学館学芸員の方の考察も基本は絵本研究の立場によるもので、一般的なロシア・アヴァンギャルド研究とは別軸の視点を新鮮に感じた覚えがあります。物事は多面的に考えなくてはならないということを、改めて感じさせられた一冊です。
でも、こういう勉強や資料としての価値を抜きにしても、この本は単純にカッコいくてかわいくて面白いのです。棚に並べておきたいという雑貨的な感覚も手伝って、返却の時はいつも残念な気持ちでいました(閉架書籍なので貸し出しと返却の扱いが厳しかった)。
その存在に恋焦がれた頃
そして「手にできないことがこんなに切ないとは!」と詩人ばりに感じていた本が、最後のこちら。大学の図書館で出会い、欠かせない存在になってから気づいたけれどもう遅い。こんなに読み込んでいるのに、こんなに付箋が貼ってあるのに、こんなに私しか使っていないのに。いずれいるべき場所に帰っていく人を思うような気持ちで、図書館のラベルが貼られた本を月一で返しては借りるという行動を繰り返していました。
ロシア・アヴァンギャルド 4 コンストルクツィア-構成主義の展開
国書刊行会の「ロシア・アヴァンギャルド」シリーズは、今でもロシア・アヴァンギャルドにおけるトップ級の文献だと思っています。この4巻だけでもロトチェンコやタトリン、カジミール・マレーヴィチやエル・リシツキーなど芸術家や評論家の論文や評論、書簡などの翻訳が60本以上も掲載されているという、資料としてすばらしい存在。例えば、先に紹介した『革命とは何であったか』に「ナウム・ガボは…兄のアントワーヌ・ペヴスナーとともに発表した『リアリスト宣言』にまとめられた。そこで彼らは新しい、非・関係的、リズミカルな構成主義の理想を推進した。」(P.91)と要約されている内容も、この本にある全文訳を読めば詳細に確認できるわけです。ロシア・アヴァンギャルドについては編者の五十殿利治氏の書籍に影響を受けて入った部分もあるので、憧れも込みで「こんな書籍がつくられていたなんて!」、「なんかすごい!」と感動した覚えがあります。実際に論文を書く上で非常にお世話になりましたし、15年くらい前のmixiのレビューには「ロシア・アヴァンギャルド芸術を勉強する学生に大きな力を与えてくれるシリーズ」と勢い余って書いていたほどです。ただ現在、全8巻のうちなぜかこの4巻だけが絶版らしく、それだけが残念です。
邂逅
Amazon.co.jpのスタートは2000年。今では何でも手に入ることが普通になり、よほどのものでなければ「私のものではないという切なさ」を感じる機会は少ないのかもしれません。私もここで紹介した3冊のうち2冊は、のちにAmazonで手に入れました(国書刊行会の本も数年後に偶然入った本屋で購入)。『ソビエトの絵本』は10年ほど前、「革命とは何であったか―ロシアの芸術と社会 1900‐1937年」は5年ほど前だったでしょうか。心の一冊とまで思った本があっけなく見つかった時は、嬉しさの一方で思い出にまた触れる怖さが入り交じる、なんとも言えない気分になりました。けど、まあ買うよね。とはいえ、分野によってはインターネットで辿り着けない本はまだまだたくさんあります。だから足で探すリサーチの旅は意外となくならないんだろうなとも思うのです。
当時の私が感じ続けていた、手に入らない切なさとどうしても手にしたい気持ち。みなさんにはなんとなくわかってもらえるような気がするのですが、いかがでしょうか。
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