与える人に共通する2つの法則
FROM ボブ・バーグ
多くの宗教、道徳や哲学には「他人から自分にしてもらいたいと思うような行為を人に対してせよ」という内容がある。こうしたものは「黄金律(ゴールデンルール)」と呼ばれる。
私たちの言葉で言えば「あたえる人があたえられる」になるだろう。このように「まわりの人に適切な接し方をすればそれが自分にも返ってくる」ことは多くの人が理解しているところでもある。
ただ、それが常に約束されているわけではない。親切にしたのに悪い結果になったということも、ときにはあるだろう。人生というのはままならないものだ。
あたえる人があたえられる、どう捉えるべき?
だからこそ「あたえる人があたえられる」というのは、この世界における大きな原則の1つと捉えるべきだ。ゆえに、個人間の1つ1つのやり取りに執着してしまったり、そのときの感情に縛られないようにすべきだ。というのも、自分は”これだけしたのだからこれだけ得るべきだ”、あるいは”得られそうな結果や見返りにばかりに固執し過ぎるのも良くないだろう。
そう、自然と”よいおこない”ができるようになること。これが肝要になる。「自分はそういう人間であるから、そういうふるまいをする」というように”与えること”もまた自然に発揮できる自分の一部になっているのが望ましい。
それからもう1つ。これは、自分自身に自己犠牲を強いることではない。また同時に、押し付けがましく、相手にそうしてほしいからと親切にすることでもない。あくまで、あなたはそういう人間であるから自然にそのようにふるまう。ただそれだけなのだ。
その結果として、自分のふるまいが自分のところに返ってくる。
「プラチナルール」とは何か?
さて、ここでもう1つこの「ゴールデンルール」を発展させた「プラチナルール」というものを紹介しよう。これはトニー・アレッサンドラとジム・キャスカートが提唱しているものになる。
ゴールデンルールは「”自分”がして欲しいことを、”相手”にしてあげなさい」だが、このプラチナルールとは、「”相手”がして欲しいことを、”相手”にしてあげなさい」というものになる。
そもそも、だれもが”自分と同じこと”を望んでいるわけではないだろう。私たちはそれぞれ異なるがゆえに、欲しているもの、必要としているものも異なっている。だからこそ、「自分がどうしてほしいか」ではなく、「相手がどうしてほしいか」に意識を向けること。これが重要になる。
ジョン・デイビッド・マンや私が『THE GO-GIVER』シリーズで触れたように「どれだけ相手の利益を優先するか」なのだ。
とはいえ、それはあくまで個人間のレベルでの話であって、人類普遍である「ゴールデンルール」それ自体を否定しているわけではない。「他人には自分が接してほしいように接しなさい」というのはゆるぎない大原則と言っていいだろう
この「ゴールデンルール」は仕事やプライベートといった場面を問わず、人生の重要な局面で効果を発揮する普遍の法則なのだから
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