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信仰の戦い

家から自転車で5分くらいのところの、昔住んでいたマンションの向かいの馴染みのある場所に、その教会はあった。1年前に転職してきた同僚に紹介されたその教会は、教会と言っても普通のキリスト教教会ではなく、イエスキリストをメシア(救い主)として信じるユダヤ人のための、メシアニックジュー教会であった。


その日は、スコット(Sukkot)というお祭りだった。スコットとは仮庵(仮小屋)という意味で、その昔、モーセがエジプトからイスラエルの民を救いだし、約束の地に向けて荒野を40年旅した際、神がイスラエルの民の只中に住まわれ、彼らを道かれたことを祝う感謝祭である。この祭りでは、木材で簡単な小屋を建て、屋根を木々の葉で覆った仮庵に7日間住む。実際にイスラエルでは各家庭が家の横に仮庵を建てて、祭りを祝うという。


実に興味深いのは、イエスキリストが生まれたのは、12/25のクリスマスではなく、仮庵の祭りだったことだ。また、聖書では、クリスマスを祝うことを定めていないが、この仮庵の祭りを、イエスの再臨まで祝うことが定められている。多くのクリスチャンは、これを軽視しているが、この世の終わりに、ユダヤ人がイエスキリストを救い主として信じることは、聖書の成就なのだ。


この教会でもビルの屋上に仮庵が建てられ、メッセージの後、そこでバーベキューパーティーがあった。牧師先生は気さくな方で、初めて参加した私に、フレンドリーにデザートのチョコレートケーキを勧めてきた。私は、乳ガンで食事制限をしているので、甘いケーキは食べられないと伝えた。すると、牧師先生は、「じゃ、今ここで祈ろう。仮庵の下で祈ると癒されるから」とすぐに祈ってくださった。仮庵には、神の臨在があるため、仮庵の下で癒された人を何人も見たとのことだった。


その翌日も祭りの8日目のお祝いがあった。私は、今まで知らなかった聖書の解き明かしをもっと知りたくなり、翌日もその教会に行った。メッセージは、イエスが仮庵の祭りの終わりに語る言葉についてだった。それは、イエスキリストご自身が救い主であるという宣言だった。


[ヨハネの福音書 7:37,38]


さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立ち上がり、大きな声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。

わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。」


メッセージの後は、仮庵の下でひとりひとり祈りを捧げた。牧師夫人と話すことができ、彼らのお嬢様も私と同じ非浸潤の乳ガンだったことを知った。彼女は全摘手術をされたが、その後2人のお子様を出産されたとのことだった。それからも、牧師夫妻は、私のことを気にかけて時々連絡をくださり、癒しについて共に祈ってくださるようになった。



しかし、全ての人が喜んで祈ってくれたわけではない。友人の中には、私が乳ガンと知り、疎遠になってしまった人もいる。母教会の牧師と牧師夫人は、私が手術しないことを心配して何とかしようしていると聞いた。この牧師夫人は、ご自身も乳ガン手術をしていたので、私にも祈るどころか真っ先に手術を勧めてきた。友人から牧師が私が「痩せて小さくなって心配」と言っているとも聞いた。その夜、乳ガンが悪化する悪夢と寒さで眠れなかった。


悪夢を見た翌日、別の教会の友人から連絡があった。友人の教会の牧師夫人からメールがあり、私のために、折に触れて、一緒に祈ってくれているという。また、友人の教会は、癒しについては積極的で、多くの人がそれを体験しており、別の教会の兄弟姉妹のためにも、積極的に祈り、祈った方の癒しの祝福に預かっているとのことだった。


「彼女に伝えてください。よかれと思って助言してくださる方に感謝はしても自分が決めた事を迷うことはありません。神様は直接あなたに語り示されます。あなたが神を愛し神様もあなたを愛しておられるのですから。主の最善を祈ります!」


神様は、倒れそうになるといつも引き上げてくださる。

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