俺が何をしたっていうんだ。

初夏の夕暮れ、時刻は夕方6時頃。
金玉が腐るかもしれない不安が見事払拭され、軽快に原付きで家路を進む俺の行く手を阻んだのは一台の乗用車だった。

交通事故である。

※この記事を読む前に一つ前の記事を読む事を推奨します。


幼少期の俺はそれはもうわんぱくクソガキであった。
ありとあらゆる危険な遊びをし、その度に怪我をしたりしなかったりしてきた。
骨折、擦過傷、頭部を縫う怪我は一度や二度ではない。
交通事故も経験したがその時は奇跡的に殆ど無傷に近い軽傷だった。
怪我の多い生涯を送ってきた俺が、これまでの人生でも一二を争う位痛かったのが今回の事故である。

ちなみに金玉が腐りかけた痛みは暫定8位です。


追い越し禁止の道路で、すれ違いざまに車体をぶつけられた。
一瞬数センチバイクが浮いた様な間隔を覚えた直後には左の肩から地面に叩きつけられていた。

そのまま数メートル引き摺られ、バイクと共に静止した。
一拍置いて全身を駆け巡る激烈な痛みと悪寒。
そこでようやく俺は今事故ったんだと脳が理解する。
尋常じゃない痛みに悶え狂いながらも、なんとか視線を前方に向けた。
俺をピンポン球よろしく跳ね飛ばした乗用車が逃げてしまうかもしれないと、必死でナンバープレートに目を凝らした。

メガネが吹き飛ばされていたせいで何も見えんかった。
俺は乱視だった。

俺の心配とはうらはらに車はすぐに停車し、ドライバーが駆け寄るのが見えた頃鼻腔にガソリンとオイルの臭気が漂う。
俺の身体に寄り添う様に倒れた愛車から、ガソリンとオイルが漏れ出していた。
これアカン奴、と思うも身体を動かそうとした瞬間に左肩に耐え難い激痛が走る。無理だ。
同時に右膝に熱を感じ、視線をやると真っ赤に染まりスーツがボロボロに破けている。

なんとか上半身を起こすも、そのまま左肩に手を当てながら一ミリも動けなくなってしまった。
後に到着した救急隊員に流血と勘違いされる量の脂汗を垂れ流しながら、やり場のない怒りに我を忘れキレ狂っていた。
具体的には左肩に尋常じゃないレベルの痛みがあるはずなのに、気が付いたら逆の腕で歩道に向かい被っていたヘルメットを全力でブン投げていた。
(だって痛いから触るな動かすなと再三警告したにも関わらずド◯痴運転手のボケが俺を担ぎ上げようとしたから。)

更にそんな動けない俺に手書きの連絡先のメモを受け取るよう差し出してきた運転手。
お前の事一生忘れねーからな。絶対今じゃねぇだろ。

追加でキレ狂い、言葉の限りを尽くした罵詈雑言を感情の昂ぶるままに投げ付けていた辺りで救急車が到着した。

搬送され、救急外来にてレントゲンとCT撮影。
一通り検査をされた後、じゃあ膝縫っちゃおうかと医者に言われ初めて膝の怪我が重篤だったことに気付く。
肩の痛みがとにかく痛すぎて、膝に全く痛みを感じなかった。重めの擦り傷位かと思ってた。8針縫った。

結果は左鎖骨骨折、右膝の挫創。あと全身の打撲。
整形外科の専門医がいなかった為、その日は自宅に帰されることに。

とにかく肩が痛く、一ミリも身動きがとれない。
ベッドから状態を起こすだけでも、耐え難い痛みが肩から胸へと這いずり回り5分以上かかる。

なんとかどうにか迎えの車に乗車。
這うようにソファーベッドへ倒れ込み、痛みに耐えながら朝を迎えた。

翌朝、整形外科に行くやいなや手術を宣告された。
本当に目の前が真っ白になった。
ビビリで飛行機も乗れない俺に、手術の恐怖に耐えるのは無理だった。

恐怖に脳が活動を停止し、診察室で15分以上黙りこくり狂う息子に代わって付き添いの両親が回答をしてあれよあれよのうちに手術が決定してしまった。

紹介状を受け取り、次の日病院に。
なんとか覚悟を決めよう、手術の日を迎えるまでの数日でなんとかメンタルを調整するんだ。
だってどう考えても手術をした方がいいんだから。


あ、ラッキーですね。今日空いてるので早速手術しちゃいましょう。 


再び目の前が真っ白になった。


神を呪って頭を掻き毟ってる間にも手術に向けた検査はどんどん進む。
気が付いたら手術着を纏い、病室に寝かされていた。
死刑囚の気分で目を瞑りただただ震えていた。
本当に気が狂うかと思った。

コロナ対策で付き添いの両親は病室に入ることが許されず、階下の売店前の待合スペースで待ってくれている。
不安を喋って解消することも許されないまま、無情にも手術執行の時間になった。

オペ室に行く前にご両親の前通るからねと車椅子を押される。
情けない姿を見せてしまうなと思いながら、待合スペースに到着。



親父爆睡してた。


オカントイレ行ってて居なかった。


なんて緊張感のない奴らだ、絶対許さないと思いながら車椅子は手術室へと向かう。


いよいよ本当に終わりの時間だ。
様々な事前確認の問答に答え、厳重な扉の奥へ入室。
ドラマとかで見るイメージの手術室よりも古汚い設備に少し不安を覚える。

そして手術直前。
麻酔科医や看護師に意識の確認や患者の取り違え防止を兼ねて色々と話しかけられる。
年齢、病状、体調などひとしきり聞かれ話が尽きた頃、一人の看護師のおばさんから話しかけられる。

淳平くん頑張んなきゃだめよ、愛子さん(オカン)本当心配してるんだから。
愛子さんのためにも頑張って!元気に戻るよ!!



ちょっとまってコイツだれだ?知り合いか??どう考えても知り合いのテンションだよな全然わかんねーこれ俺も知ってr







気が付いたら手術終わってた。


事前に聞いてはいたが、マジでいつ眠ったかもわからないレベルで麻酔で落とされ気が付いたらもう術後の病室だった。
そしてあのババァは一体どこの誰だったんだ。

そして更に驚いた。
あれ程痛くて動かせなかった肩が動く。超動く。
グルングルンまわる。
骨くっついただけでこんなに痛みが引いてしまうとは、骨折恐るべし。

ひとしきり我が身に何が起こったのかと現状を確認した後、とりあえずありったけの自撮りを撮影した。

祖父の火葬が終わった後、こんな機会もうないからと祖父の入った骨壷と遺影を抱えながら弟とツーショ撮った時と完全に同じ動機。

ダブルミーニングで痛々しい写メを関係各所にひとしきり送信わった頃、尿意を催した。

手術前、呆然としてる俺を呼び止めた看護師から尿道カテーテルの有無を聞かれた。
今回は短い手術なので、手術中排尿を我慢できるならばカテーテルは挿入しなくてもいいがどうすると。

無理だ。まずその頃全身麻酔で俺には意識がない。コントロール下に無いものを軽はずみに返事出来る訳が無い。
そして何より俺は極度の頻尿だ。膀胱と肝っ玉が本当に小さい。
だけどこれ以上何一つ辛い思いをしたくなかったので、医者にかける迷惑を全部意識の外に追いやり秒で尿道へのカテーテル挿入を断った。
俺の処女は簡単には捧げない。
いつか大事な人が出来た時まで操を立てるのだ。


そして時は手術後に戻り病室。

破茶滅茶に尿意を催してる。
点滴からの水分補給のせいか、はたまた術前から検尿以外一切排泄をしなかったからなのか。
理由は不明だがとにかく強烈に尿意を催してる。
ベッド近辺を見渡すと左手側ベッド脇に尿瓶を発見。
しかし処置した左肩が痛むため手が自由に動かない。
しかも右手には点滴がぶっ刺さってる為、無理に取ろうとすると事故が起きる可能性が高い。

易易と押すべきものではないとわかりつつも、ナースコールで看護師を召喚。
尿瓶を受け取り戸惑いながらも排泄成功。
使用後の尿瓶を片付けて貰うため再びナースコール。
尿瓶を回収し、中身を洗い再び病室に持ってきて貰う。
一連のトイレルーティーンが爆誕した。


そして俺は極度の頻尿だ。
この汚いルーティーンを朝の退院を迎えるまで、計15回程繰り返した。
後半もうナースキレてた。
無言で尿瓶を回収していく暗闇病棟のナース服、ホラゲの世界観だった。
今軽く舌打ちしなかったねぇ?泣くよ?

翌朝見事に歩ける様になり退院。
マジ現代医学半端じゃねぇリスペクト。
エクストリーム手術を終えて僅かな痛みを携えながら現在自宅療養中です。

先ずはご心配お掛けしました事を心よりお詫び申し上げます。
(1ヶ月振り二回目の陳謝)
出演予定のライブに直前出れなくなってしまい大変申し訳ありませんでした。


そんでよ。

俺が何をしたって言うんだ。

呪いか?だとしたら即刻辞めろ、効果は抜群だ。
お忘れの皆様も多いと思いますので今年我が身に降り掛かった出来事を時系列順にまとめます。

1月 祖母他界
3月 祖父他界
4月 酔っ払いに原付きを破損させられる
5月 諸々の事情により家と職を失う
6月 金玉が腐り落ちそうになる
7月 交通事故により左鎖骨骨折☚New!


なんだコレ。
どうなってんだ。

今宗教勧誘とかされたら多分イチコロで入信する自信がある。
信じる神も居ない状態でこんな酷い現実耐えられない。


予後も良く、今は体調はだいぶ良好だ。
メンタルはもう本当に中々なレベルで沈み狂っている。
落ち込んでもしょうがないしこんなもん誰かのせいではないのはわかっている。
(交通事故は別。絶対許さない)
どうにも気分が沈んで何もする気にもならず、日がな一日寝コケている。

なんとか次皆と合う時までには心身共に今よりもうちょい元気になってるので、よろしくお願いします。

この度はご心配をお掛け致しました。
よく聞くお守り、厄除け祈願等ご存じの方はご一報ください。



















殺してくれ