論述:味の道楽
味がしないんだ、と友人に言われたので、
「今食べてるラーメンの感想か?」
と聞き返した。
時刻を巻き戻そう。
我々は上着を羽織らずに外をふらつき、あてもなくラーメン屋を探していた。
夕暮れには下校の生徒や親子連れが平日絶えない商店街も、深夜には閑散としている。
その商店街の一角に存在している、やや薄汚くなったインコの羽の色のようなアパートが我々二人の住処であった。
紹介をしよう。東北地方の私立C大学に通っている一校ウン千人の中の二人が我々である。出会いは、ぼんくら学生にありがちなものだ。オリエンテーションで楽単の編成を先輩から聞かない者といえば、大抵ロクでもない講義構成になる。ロクでもない講義構成組の生活リズムは必然と似て、気づけば顔見知りになる。そうすると、お互いが休んだ講義やこれから休みたい講義の情報を分かち合うべく、無言の同盟が結ばれる訳である。
講義だけではなく、我々ぼんくら学生の住処の趣向も合致していた。
まぁ、そのような経緯で、このような仲になるというのも予想がつく。
学生といえば、夜中のラーメンが定石だ。できればワンコインで済むものほどよい。
1階違いの距離しかないのに互いの家で調理をしない我々の非効率な協定(ずぼらさ)に照らせば、味を重視しているわけではなく、「夜中にラーメンをすする」という工程が重要なのだ。
いかにも個人経営な、マンションの1階のテナントに入っているラーメン屋がこの日は見つかった。我々は事前に店を調べるなんてことはしない。
時計がカチッと音を立てた。
「今食べてるラーメンの感想か?」と聞くと、友人は至極まじめそうな面を維持したまま「違う」と答えた。
そして仏頂面のまま、また1口を含んだ。
ぼんくら学生に会話のホスピタリティを求めてはいけない。我々が合意したのは大学での生存戦略である。そういった利益の付き合いだが、週の半分ほど面を突き合わせる生活をして2年が経つ。ポタポタと内側になんらかの感情は溜るものだ。それは慣れともいう。
「味がしないということは」と突如話し始めた。こいつは大概こうだ。
「味がしないということは、味覚がないということではない。」
こいつは教養学部だったはずだが、教養学部は論理学の講義を取り入れていなかったのか?と一瞬気が遠くなった。
「AはAではない、と同じことを言っていないか?」
なお、こちらは法学部である。
「まあまて。言葉の意味を我々は学習によって同じものを共有するが、体験までは共有しないんだ。それを説明する。」
「お前が前にふざけてカレーに砂糖をいれたことがあっただろう。その時に私は確かにカレーの味と砂糖の味が混ざったものは感じた。もう1つの事例を挙げよう。珍しく学食の安くて美味い人気のCセットの日があったな。お互いが金銭難でロクなものが食えなかった中、1口1口に感謝をしながら食べるお前はなかなかの見ものだった。
この、砂糖が入ったカレーとすきっ腹に入ったCセットの“味”は私の中で同列なんだ。」
「もちろん、砂糖をいれたお前に私はふざけるなと怒ったし、Cセットに満足感も感じはした。唐辛子を噛めば痛みだって感じるし、にんにくの独特の味だって判別できる。」
ここまで一呼吸で語ると、友人は少し深呼吸をした。ラーメンを運んでいた手は止まっている。先ほどまでこちらを見ていた視線は、残り半分以下になったラーメンに落とされている。
「私は、五味を感じもするし、だしや酒の味だってわかる。しかし、そこには主観的な喜びや悲しみ、好き嫌いが欠けているんだ。」
まぁ、脳波を計れば案外自分の好みはわかるかもな、と付け加えて友人は自嘲した。
思うに、こいつは同情を求めてはいない。友人は学びを深めたいがために突飛なことを言い出すが、そこに嘘はない。仮定の話をする際は仮定というし、冗談の時は冗談という。つまり、この話は嘘ではなく、ただ純粋にこちらのなんらかの答えを期待してでの告白だ。
一呼吸の時間が過ぎる。あー、と言い出してから、しゃべり始める。
「主観的な味がなくても、お前が食べたものには栄養と、他人と共有した時間があったわけだろう。」
無骨な眼鏡の奥に隠された友人の目が、こちらをじっと見ている。
「なら以上だ。お前の“味”は把握したよ。」と答えてやった。
友人との距離は、こんなものである。
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眼鏡を拭きながら、ちらりと友人の顔を見た。
のんきに替え玉を頼んでいる。店主はけだるそうに、あいよ、と答えた。
先ほど言わなかったし、これからも多分言う機会はないが、
友人と食事を共にしている時には、味がわかる気がするよ、という言葉を胸の奥にしまう。
友人の先ほどの答えには少し納得してやった。
夜が更けていく。帰る頃には、満腹感でほどよい睡眠が期待できるだろう。
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いつきくんによる登場人物の紹介と雑感:
・友人A(眼鏡かけてて味がないと言い出した方)
いつき{ こいつの家に置いてある調理器具といえば炊飯器と包丁。炊飯器に米とタンパク質の何かと野菜をぶち込んで作ったもので外食以外の食事を賄っている。だから他人に自分ちの台所をあまり貸したくない。教職課程を道楽でとるタイプ。
・友人B(他人のカレーに砂糖はいれるし金欠の時の学食に感激しながら食べる方)
いつき{ 鍋とフライパンと包丁、塩や砂糖など一通りは置いてあるが、洗い物を滞らせるタイプ。教職課程はとらないが、友人Aの付き添いでたまに聴講する。レポートはぎりぎりに出す。
・友人C (本編には出てこないが、AとBの後の知り合い兼カウンセラー)
いつき{ 友人Bとは市民活動で会った。友人Aが大学卒業後、まあなんやかんやあって心療内科のお世話になった際にカウンセラーとなる。友人Bから、友人Aのこの話を聞く。
その後について:
いつき{ 友人Aは死ぬかもしれないけど、友人Bとの思い出があったので、もしかしたら最期の時は思い出すかもね。友人Bは悲しむけども、こいつはこいつで優先すべきものがある。だけど、きっと忘れないでしょう。
原案:高校の時の漫画