アイデアが生まれる瞬間を紐解く / 対談 with 西田二郎 #1
平良 真人( @TylerMasato ) の対談シリーズ。
今回のお相手は読売テレビ放送チーフプロデューサーであり、音楽家・演出家でもある西田二郎さん。
西田二郎(にしだじろう)
1965年生まれ。大阪私立大学経済学部卒。読売テレビ放送株式会社入社。「11pm」「EXテレビ」を経て「ダウンタウンDX」を演出。
タレントに頼らないバラエティ「 西田二郎の無添加ですよ!」では民放連盟賞優秀賞。2015年より営業企画開発部長、編成企画部長を経て編成局チーフプロデューサー。
NJ名義にて日本クラウンにも所属し、音楽家としてFM OH!にて自身のラジオも持つ。会社員の枠に囚われずパラレルに活動を繰り広げる演出家。
一般社団法人 未来のテレビを考える会 理事代表幹事。
NPO法人 京都フィルハーモニー室内合奏団 副理事長。
テレビ局でプロデューサーをしながらも音楽家や演出家など様々な分野で活動されている西田さんに今の活躍に至るまでの経緯をお伺いします。
読売テレビに居場所を見つけた瞬間
平良真人(以下、平良):西田さんは本当に幅広く活躍されていますよね。
西田二郎氏(以下、西田氏):
西田二郎としては読売テレビに所属するサラリーマンでありつつ、NJという名前で音楽活動もしています。
近年、副業が推奨されるようになり” パラレルキャリア ”のような言葉も頻繁に聞くようになったのですが、僕自身がパラレルワークを意識したのは実は 20 年程前で、その頃からパラレルワークが当たり前に受け入れられる時代にならないかなと思っていました。
平良:先駆者だったわけですね。
西田氏:
カッコイイことを考えていたというよりは、学生時代からアホなことをして遊んでばかりだったので、朝早くから出社したり決められた範囲の中で着実に物事を進めて行くような生き方が性に合わなくて、そうじゃ無くても評価してもらえるように自分らしい生き方を模索した結果、必然的にそうなりました。
平良:就職活動の時からテレビ局の仕事を志望されていたのですか?
西田氏:
テレビ局志望ではなくて、どちらかと言うと反発心から避けていた業界でした。僕は経済学部で周りは商社や銀行を勧められていたのに僕だけテレビ局を勧められたことが気に食わなくて、だったら行かない!みたいな気持ちが強かったです。
平良:天邪鬼ですね〜(笑)
西田氏:
「 朝早くは起きられない 」って言っているのにかなり矛盾していますよね(笑)。
本来の自分はしっかりしていないとわかっているのに、周りからはしっかりしているように見られたかった。先生が気を効かせて先輩を紹介すると言ってくれたのですがそれも断っていたくらいです。
平良:そこからどういう経緯でテレビ局に入社することになったのですか?
西田氏:
就職活動をしていたある日、突然夜中に友達から電話がかかってきたんです。読売テレビの面接の前日で志望動機を聞いて欲しいと。
その志望動機が誰もが考えそうな答えで、僕はもっと人の心をグッと鷲掴みにするようなことを言った方が良いと伝えたんです。僕なりに少ない時間で一生懸命考えたアイデアも伝えました。でも、彼は本心をそのまま伝えたいからと納得しなかったんです。
だったら自分で直接言いに行こうかなと。正直ウケる自信があってぶつけてみたい気持ちが強くなってしまったんですね。
当時はまだ電話でエントリーを受け付けているような時代だったので、翌日エントリーしました。
平良:思わぬ展開ですね。
西田氏:
面接に行くと、喋るごとに面接官が笑って盛り上がってくれてザワザワする感覚を感じるんですよ。他の受けていた会社とは全く違うから、自分のことを理解してくれる会社だといつの間にか好きになっちゃって、自分に合っているなと思うようになりました。
平良:読売テレビに自分の居場所を見つけたと。
西田氏:
本当にそんな気持ちでしたね。こんなにわかりにくい話も面白い言うてくれるなんて優しいな!と。ここだったら生きる場所があるんちゃうかなって思うようになって、最終的にご縁をいただくことになりました。
だからテレビ局に就職したというよりも、僕を1番受け入れてくれた会社が読売テレビだったと思っているところが大きいですね。
”自分らしくある”ことが結果に繋がった成功体験
平良:まさに偶然のような必然ですね。入社以降はどのようなキャリアを歩まれてきたのですか?
西田氏:
入社すると研修がはじまるのですが、僕は日誌にジャーナリストにはなれません!って毎日書いていました(笑)。
会社としてはゼネラル志向の育成を目指していたので、様々な仕事を経験させようとしていたのですが、僕はどうしても報道部には行ってはいけないなと。ジャーナリストにはなってはいけないと頑なに思っていました。
平良:なぜいけないと?
西田氏:
ジャーナリストは起きた物事を客観的に捉えないといけない。自分の恣意的な感情で事件や事柄を強く主張してしまうと誤解を生じさせてしまいます。現状を見て距離感をわかった上で自分の意見も交えながらニュースを伝えるスキルが必要。
でも、僕は客観視ってなんやねんって思ってしまうような人間で、そこの感覚を育てたとしても、もともと客観視できる人ほど立派には育たないかなと思っていました。
だから、本当に申し訳ないけどどう考えても出来ないと強く押し通して、最終的には制作に行かせてもらいました。
平良:その後は順調に?
西田氏:
最初はADからはじまって、画用紙と太いペンを片手にフロアを走り回り、なんとか形にしようと遮二無にやっていたのですが、それでも評価のタイミングで「 先輩の誰々はもっと頑張ってたな 」みたいなことを言われたりして… もう心が折れましたね。
先輩は伝説を作るくらい凄かったと聞いてもう辞めたいなと思いました。一生懸命やっても超えられないなら、もうしゃーないやんって。
そこから開き直って、だんだんアホなことばっかり言うようになっていきました。
そしたらいつの間にか先輩たちがそれも面白く受け止めてくれるようになって、先輩とは違うキャラクターとして認められていくようになりましたね。
平良:また気づかされるわけですね。
西田氏:
特徴的な出来事としては、上岡龍太郎さんと島田紳助さんの「 EXテレビ 」と言う番組がはじまった時、 視聴率を面白く理解してもらう方法を考えるんですけどなかなかオチが思いつかない。何日も会議室で頭を捻らせる日々が続いて、ADとしては議事録を取ったりしないといけない立場なんですけど、もうその場にいることがしんどくて。途中から勝手に会議室を抜け出して会社をぶらぶらしていたんです。先輩達があまりに疲弊していたので何かあった時の為にも少なくとも僕ぐらいは元気でおらなあかんなと思って。
平良:一緒に疲弊してしまってはいけないと。
西田氏:
言い訳でもありますけどね。その場に居ることがしんどかったのも事実なので。ただ責任感として、何かがあったら絶対に助けると決めていました。
とは言いつつも、先輩のことだからそのうちアイデアは出るだろうなと思っていたんですけど、なかなか出なくて…
平良:険悪なムードになっていくわけですね。
西田氏:
そうですね。それで、そろそろ僕の出番かなと思って。休ませてもらったから力にならないとなと。
ただこれだけ先輩が頭捻らせて考えても出てこなかったなら、僕がどんなに考えてもダメだから手にする1枚の紙に答えがあると決めて適当に紙を拾うことにしました。それでアイデアが出なかったら僕の負け。
そんな思いで拾った紙は毎分の視聴率の数字が羅列されている紙で、その視聴率を見ると 24 時過ぎの番組が終わる時間に 1 局だけ視聴率が 0 %だったんです。当時その時間のNHK局は砂嵐で見る人がいなかった。それを見て咄嗟に思いついたことは、番組が終わるタイミングで視聴者にNHK局にチャンネルを変えてもらうようお願いしたら、0 %の数字が上がるはずだと。0 から数字が上がるのは面白いかもしれないなと。
そのアイデアを持って会議室に向かうと、暗い空気が一気に変わって、いけるぞ!と大盛り上がりしました。そのまますぐに作業に取り掛かって翌日放送。案の定スポーツ新聞やテレビ業界で大きな話題になりました。
平良:別の局にチャンネルを変える発想は新しいですね。
西田氏:
1 分したら戻ってきてなって言って(笑)。
今は出来ないかもしれないですけど、当時はそのやんちゃが受け入れられて、やっぱり新しい番組も面白いぞ!と証明するきっかけになったんです。
その経験が自分の中ではとても大きくて、そこから周りの見方も変わった気がしますね。あいつは休ませておこうと。
平良:自由にさせておいた方が良さそうだと。
西田氏:
そうなんですよ。議事録は自分達で取れば良いから休ませとけばいざという時に返って来るはずだと。
平良:そもそも先輩たちは休んでいることには気づいていたけど許してくれていたってことですよね。
西田氏:
わかっていたと思いますね。僕が逆の立場だとしても、ええ加減にせえよって思いますよ(笑)。
でも先輩はそのサボり精神を許してくれたわけです。先輩が許してくれたから、僕は自然体で責任感だけ持って過ごせた。だからこそ、然るべきタイミングでお返しができた。成功体験を積むことが出来たんです。
平良:やっぱり面接の時の直感が合っていたってことですよね。
西田氏:
本当にその通りで、違う場所だったらどうなっていたのかなとは思いますね。もし仕事だから席についていなさいと言われていたら、僕はあの結果を出せていない。
この経験は、僕の 1 番原点になっている所で、全てひとまとめにして同じことをすれば良い訳じゃなく、各々が適切な役割を担うことで成果を生むことを経験によって実証できたことが大きかったなと思います。
ゾーンに入る瞬間
平良:
濱口秀司さんをご存知ですか?
USBメモリを考えた人で、僕が尊敬するビジネスマンの 1 人なのですが、イノベーションに関する講演をよくされていて、その講演の中で西田さんと全く同じようなことを話されていました。
必ず物事の期限を決めて、その期限の中で緊張と弛緩の中間にいなきゃダメだと。スポーツ選手はそれをゾーンとも言ったりするみたいなのですが。
さっきの話だと会議室は緊張していて西田さんは弛緩していたわけですよね。
西田氏:意識緩みまくっていますよね(笑)。
平良:緩んだ状態から会議室に入ることで緊張と弛緩の間に入ったのだろうなと。
お風呂に入っている時やシャワーを浴びている時にアイデアを思いつくのはそういうことですよね。ずっと考えていたものがふとリラックスした時に思いついたりする。
西田氏:
その通りですね。会議中にトイレに行って帰ってくるとアイデアが出るんですよ。
平良:
だけどこれは時間を決めないと緊張が生まれないらしいんですよ。
だから作家やアーティストが曲を作る時も必ず締め切りは必要らしいです。
西田氏:図らずもそのフレームにはまっていたんですね。
平良:そうなんですよね。だから先輩方がそれを許して今後もそうさせようと思ったのは面白いなと。
西田氏:
それ以降、先輩達のお手伝いをしようとしても、それくらい自分でやるから良いよ!って全然手伝わせてくれなくなりました。そもそも上手じゃなかったんですよね(笑)。だからもう頑張らせんでええと、そう言う空気になっていきました。
僕を起用する時は点数がわからない。他の人ならだいたい 70 点くらいは平均的に取れるけれど、僕は 0 点以下かもしれないし、時々とんでもない点数を出すかもしれない。それをわかって起用しないと大火傷するよと。
平良:満遍なく点数を取りたければ他に適任がいるってことですね。
西田氏:
優秀な人がいっぱいいるわけですからね。
そうなると、登板回数が自ずと少なくなりますよね。
例えばフロリダのディズニーランドに毎年 1 回取材に行く恒例の企画があって、海外ロケを楽しみに順番が回ってくるのをずっと待っていたんです。上の先輩からどんどんバトンが渡されていき僕の順番がようやく来たなと思ったら、あっさり後輩に回って行ったり。
平良:飛ばされた?
西田氏:
もうね、嘘やろと。なんで僕じゃないのかなんて聞けない。言わなくてもわかるよねって空気があって、そういう所は気を病むことは多かったです。
でもそれ以上に先輩たちが僕の特性を見極めたのかなとは思いますね。
(つづく)
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