私はみつろうラップを買ったけど、103歳のおばあちゃんは、私が生まれる前からラップを洗っている。
by: RI-CO創業メンバーのひとりごと
今年103歳になるおばあちゃんが、体調不良なので会っておきたいと言う。
コロナ禍で、1年以上も会えていなかった。
この歳になれば、面と向かって「今日が最後になるかもね」という会話をするのが当たり前になる。
私は、小学生、中学生の9年間の多くをおばあちゃんと共に暮らした。
母親の仕事が忙しくなったことなど、諸々の事情があるのだけれど、中学生の3年間は、おばあちゃんの故郷たる山口県太平洋側「光市」で暮らした。今もこの町から広島方面にいくつも広がる広くて美しいビーチが大好きだ。
最近、2人目の子どもを出産し、集中豪雨、パンデミックなどをきかっけに、環境配慮について気にしていたことが自分の中で加速して、生活でもより実践するようになった。
おばあちゃんと、最近どうしているのか?という話題になったら、最近は身近なエコを始めたという話でもしようかと思って、行先の車の中で、なんとなく昭和の時代におばあちゃんと過ごした日々を思い返していた。
おばあちゃんはラップは洗って使う。買い物袋(またの名をボロ袋)という名のエコバックを持っていた。家庭菜園と生ゴミ肥料は常識。割けたビニルはテープで止めたし、貝殻でアクセサリーを作った。ビーチグラスを集めて空き瓶に入れた。古着で人形を作った。セーターをほどいて毛糸玉にして、またそれを編んだ。既製品のセーターは糸が繋がっていないからほどくのが大変だと言っていた。
災害対策(むしろ戦争対策)も半端ない。
いつ何があっても良いよう、風呂敷の中に、通帳・印鑑・貴重品・防寒具・おじいちゃんと若くして亡くなった息子の位牌を入れて、枕元に置いて眠る。それも毎晩。台風の時は、履物も枕元に。
砂糖と小麦粉、米は床下の鉄の缶に備蓄する。
肉が好物のおばあちゃんだが、基本的にあまり食べない。定期的に「肉が食べとうなった」と宣言して、その時だけ食べている。ヤギを飼っておけば、いざという時に良いと言っていた。
ラップを洗うおばあちゃんにも指定のブランドがあり、Sラップじゃないとすぐダメになると言っている。(メーカーさん的には、きっと想定外の使用方法)
昭和後期から平成のはじめあたり、おばあちゃんの行いは
「ばあちゃんは戦前の人だから貧乏くさいね」
「みっともないからやめなさい」
と言っている大人が大勢いた。うちのお母さんもそうだったかな。
その人々を非難するつもりも全くなくて、そういう時代だったと思う。
おばあちゃんは「あんたらは分かっとらんのっちゃ」とちょっと不機嫌にする程度で、今も暮らし方を変えていない。
私が今エコな生活を実践していると言ったら、おばあちゃんは「それは偉いね」と言ってくれそうだ。
でも落ち着いて考えたら、私がまじめな顔をしてそんなことをおばあちゃんに言うのは恥ずかしい。
9年もおばあちゃんの近くに居て、物を大切にしながら楽しんで暮らす方法と生きる楽しさ教えて貰ってきたはずだけれど、今更みつろうラップを買って、コンポストを始めて満足している自分に笑えてきた。
環境や災害にに配慮する暮らしは、ちょっと前までこの国の日常にあった。
環境や災害に備えられなくなったのは、どうやら最近の話かも知れない。
まだおばあちゃんは生きているし、そんなつまらないエコ話はせずに、顔だけ見て帰ろう。
もうすぐ経済成長前を知る世代、戦争体験世代もいなくなるんだな。
私は何を学んで、子供に何を教えられるだろうか。