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狂騒の時代とギャツビーの影──フィッツジェラルドが描いた1920年代のアメリカ
1920年代のアメリカ、それはまさに「狂騒の時代(Roaring Twenties)」。熱狂と退廃が入り混じる、歴史上でも特異な時代でした。第一次世界大戦後の余韻を引きずりながら、経済は空前の成長を遂げ、産業革命の波に乗って消費主義(コンシューマリズム)が開花しました。伝統的な価値観は次々と覆され、新時代の風が吹き荒れました。女性の参政権が認められ、アフリカ系アメリカ人による文化運動「ハーレム・ルネサンス」が巻き起こり、ジャズが都会を彩るなど、新旧の価値観がぶつかり合い、社会のあちこちで火花が散っていた時代です。
そんな混沌とした時代に、F・スコット・フィッツジェラルドは『グレート・ギャツビー』を生み出したのです。この小説が描く1920年代のアメリカは、まるで華麗な仮面舞踏会のようだと感じられます。しかし、その華やかさの裏には、どこか虚しさが漂っていました。禁酒法によって合法的に酒を売ることは禁じられたものの、飲酒そのものは禁止されていなかったため、ブラックマーケットが隆盛を極め、密売業者(ブートレガー)が暗躍した時代でもあり、アル・カポネのようなマフィアが台頭し、地下経済がかつてないほどの繁栄を遂げたのも、この時代ならではの光景です。
『グレート・ギャツビー』に登場するギャツビーやウォルフスハイムは、実在の人物をモデルにしていると言われています。例えば、ギャツビーのモデルとして有力視されているのが、マックス・ガーラック(Max Gerlach)。彼はフィッツジェラルドの近所に住み、ギャツビーさながらの派手なパーティーを開いていたと言われています。ドイツ出身で、かつてプロイセン王国の軍隊に所属していた彼は、20世紀にアメリカへ渡り、マンハッタンでビジネスを展開。第一次世界大戦ではアメリカ陸軍に従軍し、戦後はキューバとアメリカを行き来しながら、上流階級向けの密造酒ビジネスで巨万の富を築きました。
しかし、1927年の夏、禁酒法を定めた「ヴォルステッド法」に違反し逮捕。1929年には自殺未遂を起こし、視力を失ってしまいます。彼は「オックスフォード大学出身」を自称し、「ドイツ皇帝カイザーと繋がりがある」との噂もありました。さらに、「同じシャツは二度と着ない」と豪語し、口癖のように「Old Sport」と呼びかけていたとか。……どこかで聞いたことがある話ですね?
実際、彼がフィッツジェラルドに宛てた手紙には、こんな一文が残されています。
「How are you and the family, old sport?」
—Max Gerlach, Letter to F. Scott Fitzgerald
(ご家族ともども、お元気ですか? オールド・スポート)
「Old Sport」なんて、アメリカでもカナダでも実際に使っている人を見たことはありませんが、今でいう「Buddy」や「Mate」に近いニュアンスでしょうか。「Old」とつけることで、親しみの中にどこか格式ばった響きを持たせていたのかもしれません。
フィッツジェラルドが1940年12月に亡くなった後、1951年になってマックスは、フィッツジェラルドの伝記を書いていたアーサー・ミズナー(Arthur Mizener)に連絡を取り、「ギャツビーのモデルは私だ」と名乗り出ました。しかし、ミズナーは「ギャツビーは完全なフィクションだ」と信じていたため、マックスの話をまともに取り合わなかったのです。もし、当時ミズナーが彼の話に耳を傾けていたら、さらに面白い逸話が掘り出せたかもしれません。まったくもって惜しい話です。
ウォルフスハイムについても書こうと思ったのですが、少し長くなりそうなので、今日はここでお暇します。またの機会に。