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-2021-
2021年を振り返っていこうと思う。
決して毎年振り返っているわけではない。
今年は自分の中で変化が多かったから記しておきたい、ただそれだけの事だ。
2021年は"挑戦"の年
2021年の滑り出しは決して良くなかった。いや、最悪だった。
サークル同期が就活をしている中、留年していた俺は来る日も来る日も日常の暇を埋めるのに必死だった。
何をすればいいのか、自分がどうしたいのか、分からず苦しむ日々が続いた。
無限に持て余していた時間は、やれることに無限の可能性を保持しており、無限の可能性に意味を持たせられないことが心の疲弊に繋がった。
そんな時に佐賀に一人旅に行った。ひょんなことから元々行くのは決まっていたが、結果的にタイミングは完璧なものとなった。一旦日常から離れて、静かに考える時間が自分には必要だったのだ。
佐賀で何をしていたのかを、よく聞かれる。
吉野ヶ里遺跡で勾玉作りを体験したり、閑古鳥が鳴いていた大衆焼肉店の団体席で一人焼肉を嗜んだり、駅前の小洒落たショッピングモールでポケットWi-fiの営業されたり。そんな感じ。平凡で静かな旅。
この旅一番の醍醐味は、2時間半電車とバスに揺られた先にある「大魚神社の海中鳥居」だった。海中に鳥居があるだけ。とても綺麗で、とても幻想的で、とても心落ち着く場所。
俺は3時間、何をするわけでもなくただ海中鳥居を眺めて帰った。
これは自分の中での決まり事みたいなもので、
何かを考えたい時には海へ、何かの考えから逃げたい時には川へ
の信念で辛い時は行動している。
結果として、この旅では自分のやるべき事は見つからなかった。
旅から帰ったあとだった、為すべき事に気付いたのは。
自分の経験の引き出しを増やそう
「視野が広がる」「価値観が広がる」
よく聞く言葉だが、ピンときた事がなかった。
でも佐賀の旅から帰還してなんとなく分かった気がした。東京と佐賀ではあまりにも生きている文化が違いすぎた。
自分の中で引き出しが一つ増えた、佐賀を振り返ってそんな感覚を得た。
新鮮に感じた佐賀での生活は誰かにとっての当たり前で、その当たり前を知れた事がなんか嬉しかった。
丁度同時期に俺は、
全てに寄り添い、全てが輝けるような居場所作りをする事が自分の夢だと気付いた。
でも寄り添うのってとても難しい。
だってそれは誰かの当たり前を理解してあげる事が必要だから。
世に蔓延している多くの問題は認知することと理解することで大きく変わると思っている。幼少期、海外で暮らしていた時に人種差別を受けた俺はそうだったから。
だから決めた。
2021年は、自分から知らない世界に飛び込むんだって。
色んな当たり前に触れることを。
知らない世界、知らない価値観、知らない文化を無くしていくことを。
自分の経験の引き出しを極限まで増やすことを。
時間がある大学生だからこそできる経験を。
”今しか出来ないこと”に、全てを投じる。
それが2021年の目標になった。
今までならしないことを沢山した。
早稲田の街で働いてみたいかったから大好きな定食屋さんに自分からバイトを頼み込んだり、今ままで好きじゃなかった映画を見るようになったり、長期インターンで営業したり、歌舞伎町でバーテンダーやったり。等等等。
全部が全部、刺激的だった。(まあ未だに未知に飛び込む時は緊張するけど)
これはバーテンダーをやっていた時の話だが、店長はホストクラブも経営していたりと夜の街に結構パイプを持っている人だった。そんなある日、バイトをしていたら女のお客さんがやってきた。話を聞いていたら、どうやらその人は詐欺被害に2回あってお金が無いらしい。携帯は止められ、所持金が2千円という状況でバーにやってきて明らかに予算を超えるお酒を頼んでいた。その様子を見て店長は裏で風俗に落とそうという話をしていた。あまりにも未知の世界だった。でもこれが当たり前の世界で生きている人も沢山いるのだ。敷かれたレールを歩いているだけだったら確実に知らない世界だっただろう。
でも知れた。
そして理解をした。
この経験を無駄にしたくない。
こういう経験を積み重ねたい。
「赤フンドシで夢を叫ぶ団体です」
今年一番の挑戦は、男祭りという赤フンドシで夢を叫ぶ団体に参加したことだ。
大学4年目にして新たなコミュニティに入ることは緊張したが、応募して、ラッキーなことに参加資格を得た。「いつかは自分も出てみたい、そのために裏で一度見てみたい」という軽い気持ちからだった。
でも動画編集やカメラなどのスキルを持っていなかった俺は、どうも団体に貢献できるものがなかった。それで悩む時期が少しあったが、すぐに気付いた。
出来ないものがあるなら、出来るようになればいい。
それも難しいなら、自分が出来るものを探せばいい。
お陰様で自分なりの貢献が団体にできるようになった。しかしながら問題はまだまだ続く。この団体、どうもすごい人ばかりなのだ。人間的にも、スキル的にも、頭脳的にもデキる人が多く、この人には敵わないと思う瞬間があまりも多かった。
でも、挫けることはなかった。
"自分は大した事がないのだ"、そんな弱さを自覚し認める事ができた。
世の中に自分の弱さと向き合える人はどれだけいるだろうか。
自分はスゴイのだと、強いのだと信じてやまない人はどれだけいるだろうか。
あまりいない気がする。
弱さと向き合い、逃げなかった事。
空疎なプライドが剥がれ、一つ大人になれた気がした。
飛び込んだコミュニティには沢山の経験が待ってて、沢山の出会いがあった。
2年半やってたよさこいサークルでは得られなかった経験に満ち溢れていた。
こんなにも気が合うのかという友達ができ、見習いたいと思える友達も増えた。
今年の大半を費やした男祭り。これなしでは2021年は語れない。
言葉の責任
今年で一番実感したのは言葉に伴う責任の重さかもしれない。
俺は自分の言葉には責任を持ちたいし、
自分の言葉に責任を持てない人が嫌いだ。
残念ながら男祭りには責任を持てない人が多かった。
彼らは確かにこれまで華やかな実績を大学生時代に残してきた。
それゆえ言葉には夢が詰まっており、口からはカッコ良く並べられた言葉が出てくる。
煌びやかなその姿は、誰かの憧れの的になり誰かの人生で主人公になっている。
そして彼ら自身もそんな主人公になりたがっている。俺にはそう見えた。
それは疑問だった。一番近くに居るとダメダメな所を多く見てしまっているから。
主人公たちの煌びやかじゃないところを知っているから。
誰かの輝きは違う人の輝きありきなのだと、この時知った。
この世の中、みんなが主人公なんだって。
でも表舞台にいる人だけが主人公扱いされる世の中なんだよな。
だから思うんだ、
凄いやつになるために凄いことをしたくないなって。
他者評価のために自己の道を決めたくないなって。
みんなが主人公の世界で、誰かの主人公になる必要ってあるのか?
自分の言葉に責任を持つ、そんな人間として俺は主人公になりたい。
最後に
2021年、あっという間でした。
とっっっても濃密でたのしかった。
「人生楽しく生きたい」って人類の大半が思ってるけど、
人類の大半がこれを忘れて生きてるよなってよく思う。
今日コミケに行ってきた。明日はCDJに行く。多様なジャンルを楽しめる人間である事が少し嬉しいと思った。男子校育ちで色々手を出していたからか、文化の守備範囲が広く、その分人生楽しめる事が多いんだな。
前までは飽き性で、「これが好き!」って熱中出来るものがないことに悩んでいたが、色んなものに手を出してきた分、楽しめるものも多いんだな。短所かと思ってたけど長所じゃんってなった。
来年どうするかは正直何も決まってない。
可愛い原付買って日本一周したいし、長編小説書きたいし、やりたい事は多い。
まだ不透明な未来だけど、
迷いながらも自分なりの答えで一歩ずつ前に進みたいな。
楽しむ気持ちだけは忘れたくないな。
それでは皆さん、良いお年を。