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【めくるめく】祐香子さんへ

 昨年末、朝日新聞の朝日歌壇にこのような哀歌を見つけました。

 コロッケを買いに並べば前の人で売り切れになるそんな人生
               (福井市)佐々木 祐香子

 あとひとり。
 あとひとり分だけ先に並んでいたならば手に入ったであろうコロッケ。
 あと5分、いや、もしかしたら1分でよかったかもしれない、早く並んでいたならば。
 家を出るときに、窓のロックに手間どった。玄関でどの靴にしようか迷ってしまった。カギを持っていないのに気づいていったん履いた靴を脱いで取りに行った・・・
 それらのどれかひとつでもなければコロッケが手に入ったかもしれないのに。

 たかがコロッケ。
 けれどもよくよく振り返ってみると、今日のコロッケに限らず、わたしの人生、いつもこんなだった。
 不正をはたらくことなくまじめにきちんと並んで、不平を言わずじっと耐えて幸せの到来を待った。その幸せの姿がようやく目前に見えてきた。先に幸せを手に入れた他の人たちは満足そうに笑っている。
 次はわたしの番。
 幸せを手にしようと手を伸ばしたとき、なぜかしゅるしゅるとしぼんで幸せは姿を消した。

 わたしのなにがいけないの?
 いつもいいところまでいけるのに。
 幸せの姿がみえるところまではいけるのに。
 他の人たちは幸せを手に入れて、どうしてわたしだけ?

 世を恨んだこともあった。
 不条理だと叫んだこともあった。
 でも、もう諦めた。
 わたしの人生はもともとそんな人生なんだ。
 切ない。
 なにをしてもきっとわたしの人生には幸せは来ない。
 望んでも無駄なんだ。
 わたしは人生になにも望まない。
 もう、いいんだ。

 そこまでの深い絶望に落ちたかどうかは別にして、あと少しだったのに残念!という不成功の想いはわたしにも何度も経験があります。
 そのほかに、残念にも感じないほどの不成功がずっとたくさんあります。
 残念に感じないのは、わたしがぐうたらで成功を手に入れるための然るべき努力をしていなかったからです。

 不成功を残念に思うのは、不足していたにせよ、まじめに努力したからなのだと思います。コロッケを手に入れることができなかったのが残念に思う背景には、まじめにおとなしく列に並んで待っていたのに、という思いがあるはずです。

 周囲の人をみると、自身の健康保持のために筋トレをしているとか、資格を得るために働きながら学んでいるとか、より安全な地域社会をつくるために行政にはたらきかけているとか、さまざまな努力をしておられる方々がたくさんおられます。
 そういう方々こそが、あと少しだったのに残念、という想いを抱くのであって、わたしのようなだめだめのなまけ者は努力も挑みもほとんどしないので、残念と感じる機会さえ多くはありません。

 作者の佐々木 祐香子さん。
 あなたの人生で残念と思ったことは多いと感じておられるもようですが、その回数だけ、あなたは少なくとも努力をしたのです。そのような努力ができる人なのです。
 そのことを誇りに感じてほしいです。
 見ず知らずのおっさんからの余計なお世話でしょうけれど。

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