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【めくるめく】それで思い出しましたが・・・
初めて note に投稿してから15日がすぎました。初めて note に投稿というよりも、初めてSNSに投稿、というべきでしょうか。
SNSのいくつかにアカウントはもってはいたし、他の人のメッセージを閲覧したりしていたのですが、note に投稿するまではどのSNSにも投稿はしたことがありませんでした。
この15日間は、日記のような、走り書きともいえるような、気軽な文を毎日投稿してきました。気分がのってきたので最近は小説というか、なにか物語を連載したいという気にもなってきています。
けれど、ひとつ大きな問題のあることに気づきました。
この note のわたしのアカウントについては、わたしの知人のなかでは現時点ではひとりにだけお知らせしています。小説を投稿してしまうと、その人の知るところとなり、とても気恥ずかしい気持ちになるにちがいありません。日記や走り書きならば創作の才の問われるところではありませんが、小説となると、そのなかに精緻に織り込まれるはずの才能というものの欠如が明らかになってしまうのが恥ずかしいのです。
note に小説を投稿するならば、もうひとつ別のアカウントをつくって、わたしの知人のうちのだれも知らないところに投稿するのがよいかしらん?と考えています。けど、アカウントふたつももつのって、めんどくさがりのわたしにはきっとうまく管理できないよなあ・・・。
めんどうくさい、で思い出しましたが、この世はめんどうなことで満ちています。なにをするにしても、ワンドをふるだけで、あら不思議、やろうと思ってたことがすんなりできてる!!なんてことは起きっこない。この世はめんどうなことに満ちている。めんどうなことでできている。だから、めんどうだから、ということは、行動しないことの言い訳にはならない、言い訳としては不適格だと考えています。 めんどうだから行動しない、というならば、この世でなにひとつ行動できなくなりますから。
言い訳、で思い出しましたが、若造の頃、言い訳をするな、と上司から責められたことがあります。
言い訳をすることはなにゆえいかんのでしょうか?と問うと、上司は黙してしまいました。
背景事情を説明することは悪いことではないはずです。
言い訳をするな、とは結局、上司がその保身のために反論を許さない、黙って叱られてうなだれていろ、と主張しているにすぎないと考えるのです。
そもそも、責めるということは上司と部下との間には必要ないことであって、必要なのは起きてしまった不都合の悪影響を、どれほど早期に最小化するかの方策を具体的に考えることだと思うのです。
不都合の悪影響、で思い出しましたが・・・。
・・・なんか脈絡のない話が終わりそうにありません。
これでは小説を書くなど、とんでもない夢物語かもしれませんね。作品としての小説が恥ずかしいとか恥ずかしくないとかいう前の段階でした。
恥ずかしっ!