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【めくるめく】ネコの池でおぼれることの幸せ

 ネコは可愛い。
 たまらん。
 死ぬときはネコに囲まれて死にたい。いや、ネコに埋もれて死にたい。

 たとえば、ネコカフェに行って店員さんに2匹のネコを紹介されて、より可愛いと思うほうと遊んでいいですよ、といわれたと仮定する。
 でもどちらもめちゃめちゃ可愛いと仮定する。
 さんざん迷った末に片方を選んだと仮定する。
 
 選んだほうは、より可愛かったほうのネコ。
 そうであれば、選ばなかったほうのネコは通常はどのように表現されるのでしょうか。

 わたしならば、「より少なく可愛かったほうのネコ」と呼びます。
 それよりほかに言いようがないと思うのですが、この「より少なく〜」という言い方は多くの日本語話者には違和感を生じさせるみたいです。
 可愛くなかったほうのネコ、というのは選ばれなかったネコを指しません。あれだけ迷ったのだから、選ばれなかったとしても可愛かったのです。それゆえ、可愛くなかったほうのネコ、という言い方は適切な表現ではありません。

 たとえば、より危険なほうと、そうではないほうがあったとすると、後者は「まし」なほう、と言ったりできます。
 ネガティブな意味の修飾語の場合は、より少なくネガティブなほうを言い表すのに「まし」という言い方ができます。
 けれどもポジティブな意味の「可愛い」とか「素敵だ」といった修飾語であったり、必ずしもネガティブでもポジティブでもない「青い」とか「平たい」といった語の場合、「まし」は使えません。

 小笠原の海と沖縄の海とはどちらがより青いか。
 仮に小笠原の海のほうがより青いと判定したとしましょう。
 それでは沖縄の海は?
 より赤い とはいえませんよね。絶対に青いですよね。より青くない ともいえませんよね。青いですから。そもそも「青くない」色ってどんな色をさすの?って話になりますよね。
 
 英語では Okinawa's sea is the less blue. というふうに、 less をつけることで自然に表現できます。
 日本語では、より少なく青い というと違和感が生じてしまいます。
 「より少なく〜」は論理的ではあるけれど、日本ではほとんどだれも追求しなかった論理性なのでしょう。だから、論理的であるにもかかわらず、そしてそれゆえだれもがその意味を理解するにもかかわらず、違和感が生じるのでしょう。

 より可愛いネコも、より少なく可愛いネコも、みんな可愛い。
 わたしの身体を取り囲んでほしい。ネコの池でおぼれたい。
 想像するだけでも幸せ。
 でも、実際にネコの池でおぼれたら、そのときわたしは想像よりも少なく幸せであるだろうと思います。

 かなりのネコアレルギーなのです(泣)💦

 

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